2024.5.25石川県立美術館開催土曜講座「3度の大典太展示に関わって」聴講レポまとめ
拝聴してから一週間経ってしまった……。
とても興味深いお話が聞けて良かったし、楽しかったです!
まえがき(言い訳)
※基本的に自分で書いたメモの書き起こしなので、雰囲気くらいしかお伝えできないと思います。
※お電話にて土曜講座の内容をSNS(X)に投稿しても大丈夫かとお問い合わせし、ご快諾いただいておりますが内容に関して事細かにお伺いできたわけではない為、ご指摘等いただいた際には速やかに対応致します。
※いただいたレジュメ内容を一部引用させていただいております。
2024.5.25
「3度の大典太展示に関わって」
講演者 石川県立美術館 村瀬さん
■SNSの反響が大きく、場所を講義室からホールに変更しました。
→刀剣男士大典太光世のオタク(審神者)がいっぱい反応した自覚があります(己もそのひとり)
ご対応いただけて大変ありがたや……。
ホール後方真ん中あたりに座ったんですが、体感お仲間:地域の方で1:2くらいの比率?
列埋まっているものの、1つ2つ席開けた状態で座れるくらいの埋まり方でした。
■1990年頃まで、博物館などの展示において国宝を移動する際は人の手で運んでいた(狩野永徳の作品を背負って運んだり)
→す、すごい時代だ……!
トイレとかも当然いけない(緊張でそもそもそんな状況じゃない)というのも「ですよね……!」ってなる。
■村瀬さんの)入職から約40年で、その間に大典太が県立美術館に展示されたのは今回で3回め
大典太は特別な刀なので、節目節目に展示されてきた。
大典太、前田が揃って展示されるのは1967年以来なので57年ぶり。
→節目というのが県立美術館(新館)の開館だったり新幹線開通だったりで、こうして見ると結構お会いできる? って錯覚しそうになるけど、今回展示していただけた前田家家宝の刀たちが揃い踏みするの、本当に本当に貴重な機会なんだな……。ごじゅうななねんぶり……。
■三代藩主前田利常。大阪の陣で真田丸の戦いに出陣している。
妻が徳川秀忠の娘、珠姫。珠姫との子でもある富姫が後水尾天皇の猶子である八条院親王に輿入れ。
これを契機に後水尾院との関わりを強めていく。
→江戸初期藩主あるあるなのかもしれないけど、徳川宗家の姫を妻に迎え入れて天皇家に娘輿入れさせて……って手腕がすごいな……。利常公、三代目だけど利家公の子(二代目の異母兄弟)だし大阪の陣リアルタイム経験者だしで余計時勢をばりばり感じながらだったんだろうな……。
■利常⇔後水尾院、幕府に面従腹背。後水尾院は利常に菅原道真図を贈っている。その図柄は天神、荒御魂として復讐を遂げんとする道真の姿。そして直筆の「忍」の文字も贈っている。
復讐の前の道真図を贈ったのは幕府に対する叛意、すなわち「文化による戦闘」ではないか。
→藩祖である利家公が「前田家の祖は菅原道真公である」と宣言しているため、前田家に贈るものとして違和感はないよね。
……けど、御祭神の姿じゃなくて復讐で雷バリッバリに落としにかかってる図柄、あえて贈る!? て思っちゃう(しかも朝廷サイドから)ので、本当に後水尾院、徳川幕府に思うところアリアリのアリだったんだな……。
って思って軽く調べたらマジのマジでバリッバリのバチッバチに家康公ともやりあってらっしゃる……ワア…。
<ここから刀剣乱舞の話に脱線します>
あとここで「そういえば加賀前田家の祖先、菅原道真公だ」と今更の気付きをし、刀剣乱舞における大典太光世の「雷の日には調子が良くなる」や雷に関連づいた演出などが「雷神の側面を持つ菅原道真公の霊力が、前田家の家宝、象徴でもある大典太光世にバフを与えている」という解釈もできるのか! となって密かに興奮したオタクで大変申し訳ありません。
「雷が鳴ると鞘から滑り出る」という逸話がある…という説も聞いているんですが、どうやらそれ別の刀(坂上宝剣、つまりソハヤノツルキ本科)の逸話らしいのでいまいち私としてはしっくりこず。
刀剣乱舞の刀剣男士の物語=モデルとなった刀剣の物語”ではない”、という認識はしているし、三池(大典太光世・ソハヤノツルキ)回想にて「幕府の霊的な守り」をソハヤはともかく大典太も担っていた、というくだりがあるのでこの兄弟、結構なアレンジを加えられていそうなのですがそれはそれこれはこれ……と思っていたので、自分なりにしっくりくる理由付けが見つかってすごくウキウキルンルンでした。
前田家の祖が菅原道真公、知識としては頭にあったはずなのに、ここに結びつかなかったのすごく不覚。でも気付くのって楽しい。
脱線の脱線ですが、マルイコラボでも大典太光世に雷のマークが付与されていますがこれは鳥のマークと合わせて「鳥止まらずの蔵」の逸話(まるで雷に打たれたかのように鳥が落ちた)なのかなと解釈していたのであんまり引っかかってませんでした。
<ここまで刀剣乱舞の話に脱線しました>
■維摩居士(ゆいまこじ)と利家図の共通点
並べると構図が非常によく似ている。ただし利家図には大小の刀も描かれている。
これは知(維摩居士は非常に優れた知恵者だった)だけでなく、武も持ち合わせている。すなわち文武両道である、という現れ。
→スライド上で並べて表示していただいたんですけど、本当に構図そっくりでワー! ってなった(浅~~い感想すぎる)
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kaiga/k-1.html
利家図は多分上記リンク先のもの のはず
維摩居士のは絹本墨画維摩居士像(京都国立博物館蔵)でした。
上畳が描かれている=只人ではなく神として祀られた姿、みたいな意味合いもあると知り「あっそういえば今まで神社やお寺で見てきた御祭神の図画、そうなってる!!」と今更の気付き(パート2)も得ました。たのしい。
■鎌倉幕府以降、理想の武士として平家の故人たちを想定する世風があった。(祟りを畏れる・避けたいという面もあった)
そういったものもあり、成り上がりの武士が平氏の流れを組んでいると名乗ることがよくあった。
■利常の具足について、すね当ては大阪の陣当時に身に着けていたものだが、その他のものはそれよりも新しい。
これは苦い記憶(真田丸の戦い)をすべては消さないよう、戒めとして利常が敢えてそうした(具足を残した)。
■利家の遺言のひとつに文武両道を目指すように、というものがある。
文武両道・文武二道観は693年には日本に伝わってきており、文武天皇は直刀の仕込み刀を実用として持っていた。
遡って加賀前田家のルーツである菅原道真も文武二道だった(弓の名手)が、有事の際以外にはひけらかさなかった。
→<ここから刀剣乱舞の話に脱線します>
……あの、あの、刀剣男士大典太光世……、「戦は好きじゃない」と言うけれど、実装中(2024年5月現在)TOPを誇る打撃ステータスもちで……。
「優れた武を有事の際以外にはひけらかさない」
はちゃめちゃに刺さっていました本当にすみませんありがとうございますありがとうございます……。
極の姿になると墨絵を嗜んでいることも判明してェ……文武…文化芸術に通じた加賀前田家の宝刀……。
ほんとうにありがとございます ううう。
<ここまで刀剣乱舞の話に脱線しました>
■茶の湯は文武二道の局地。
千利休は武士ではないのに切腹を命じられた、つまり文武二道の人であった。
茶の湯を示威の象徴的手段とした豊臣秀吉にとって、美的規範の定立は重大な権威の否定となる。
故に、秀吉公は利休を粛清した。
一方、粛清された側は美に殉じたものとしてその犠牲の大きさゆえに聖化され、永遠化される。
すなわち「美も刃となる」。
利休の切腹については金沢の商家にあった藤四郎の短刀を使用した、という説がある。
→美も刃となる……。文化的芸術的側面で幕府を凌駕しようとしていた前田家。
まつりごとって本当にあらゆる戦い方、抗い方があるんだなあ……と考えてしまう。
<ここから刀剣乱舞の話に脱線します>
それはそれとして「美は刃ともなる」で刀剣の美の結晶こと大包平くんが脳裏にログインしてきたのは秘密です。
<ここまで刀剣乱舞の話に脱線しました>
■黒楽茶碗・北野と前田藤四郎を見た時、「似ている」と思った。
作成の工程が似ている。作者が本阿弥光悦と親しく、作刀の工程を参考にしたとある。
→刀と茶器? と思ったけど、確かにどっちも「焼き終わるまでどんな色・模様が出るかわからない」って聞いたことある……!
うわーーーそう繋がるんだ面白い……。
■足利将軍家の宝でもっとも重要とされたのが刀剣。二つ銘則宗、鬼丸国綱、そして大典太光世。
室町時代、大典太が持つとされた評価は「威圧的であるが美しい」「由緒と、美」
→<ここから刀剣乱舞の話に脱線します>
ずっと悶絶していました。おおでんたみつよ……。
<ここまで刀剣乱舞の話に脱線しました>
■大典太は足利尊氏以来の重宝として室町幕府将軍家に相伝され、十五代将軍足利義昭が豊臣秀吉に譲り、秀吉から前田利家に下賜されたと伝わる。
豊臣秀吉にとっての大典太には、「室町殿の正当な後継者である」という意義もあった。
前田家もそう考えたがゆえに、大典太は「前田家第一の宝」とされたのでは?
→その刀を養女の病気治癒のために下賜した、ってことだよなあ……と思うと、いかに豪姫さまが秀吉公に娘として愛されていたかも実感する。
体裁とかそういう理由もあるかもだけど、そもそも大典太を貸し出して、ってこと自体がすごい。豊臣家にあった時点で、足利宝剣の由緒と歴史背負ってる刀だよ? すごい。
■大典太が秀吉から利家に下賜された経緯
豪姫のために秀吉から借り受け、のちに下賜される。というのが『享保名物帳』に記載されている。
ただし正本では「徳川家康が秘蔵、秀忠が利常の長女鶴亀(秀忠養女)治癒のため下賜」とされる。
これは「徳川家由来のもの」としておくと、将軍家召し上げの対象にならなかったからこう記していたのでは?
→め、召し上げ対象回避方法にそんな方法が!?
燭台切光忠も伊達家でそういう記され方してたら召し上げ回避してた未来もあったんだろうか……。
こっちは徳川本家じゃなくて水戸徳川家だからまたちょっと違うんですかね。水戸のものとしては燭台切光忠がいてくれて嬉しいけど、焼けなかった”もしも”があるのなら、とやっぱり考えてしまうので……。
■大典太の大は大小の光世作刀剣がいた説と、最上の作(大左文字とか大包平とか)の大の説がある。
■大阪城の肝試しの逸話については考証的には微妙。
■「鳥止まらずの蔵」について、「烏(からす)止まらずの蔵」説もあるけれど、「鳥類」とはっきり書いてある。
■「鳥止まらず」なのにハバキには鳥?
鳥は鳥でも「鳩」。
護国霊験威力神通大菩薩、つまり八幡大菩薩の鳩。
ハバキは銅に四分の一銀を混ぜたもので作成されている。
今回の展示では見えないが、裏面には梅のような紋(梅鉢ではない)が入っている。
この梅紋について、秀吉の桐紋を削った上から掘った説があるが、厚さ的にほぼ無理。
おそらく前田家三代(利常)までの間に、拵えを作ったときに作成されたのでは?
■拵えについては今回展示期間が長いため、保存状態維持の問題で見送りとなった。
以前の展示では拵えと並べて展示していたこともある。
■石川県立美術館は、掛け軸や絵画向けの照明。
その関係もあり、前回までは刀に対して光源が遠かったけれど、今回は三度目の正直!
(村瀬さんは)太刀でも刃を上向きにして展示すると決めている。
今回の能登半島地震だけでなく、震度4以上が年に一度はくるため耐震を考えた上でもそうする。
刀の台座を低く、中に鉛や免震装置(すみませんうろ覚えです……)を設置して対策している。
今回、鋒/切っ先が見えないかとずいぶん苦心した。
刃先ギリギリに光が当たるよう頑張った。
よくあるぎらっと光が当たる感じで見たいなら1,2歩ほど前に進んで見るのをおすすめ。
位置を模索していく中で、刀のほうが「ここだ」と主張するようになった。
お刀の命じるがままに置いた。
→本当に本当にありがとうございます……!
暗闇の中、温かみのある照明にきらりと照らされて、優しい光を返す大典太光世が見られたのは村瀬さんのおかげだったんだなあと……。
本当に素敵で、私は椅子に座って長時間眺めていたんですが本当に、刃先ぎりぎりに光があたって、陰影で青黒く見える刀身との対比がまた美しくて……。何時間でも眺めていられる。(3日で計12.5h滞在した人間)
■霊力がすごく、畏れ多くて触れることができなかった刀。
大典太は外に出る機会が限られているので色々と調査をする機会もあまりなかった。
今回、腰樋の先辺りに綾杉肌のようなものが見える……? というのも新たに発見。
近日8K画質で大典太が!
→8K画質大典太!?!?!?!?!?!?
そんなん大はしゃぎ不可避ですありがとうございます企画に関わってくださったすべての方々本当にありがとうございます。
わ~公開終わってしまってさみしかったのが多少薄れる。うれしい。公開情報お待ちしております。
全体の感想
大変興味深い講演でした。拝聴できて良かったです。
随所で「(大典太の)霊力が」とおっしゃっていて、美術品としての刀剣を扱う側からも大典太光世ってそういう見られ方・感じられ方をする刀なんだ……と大典太光世という刀剣を知って十年にも届かないぺーぺーのオタクは思いました。
それに加えて「お刀の命じられるがままに置いた」や「刀が『ここだ』と主張するようになった」などのお言葉を聞いて……、だいぶ強火感情、お持ちだな!! というのが伝わってきました。
どこから目線??? となってしまうんですが、これだけの情熱で展示していただけたの、嬉しいし、ありがたいなあって思いました。
大典太、本当に本当に愛されている刀だ~~~!!!!!
当たり前すぎるんですけど、改めてそう思いました。
最後になりますが、刀剣乱舞とコラボ本ッッッッッッ当にありがとうございました!!!
2024.6.1 四倉あづま
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