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ルックバックを観た。私は何かに打ち込めているだろうか。

予定のない休日。読まなければいけない本や、やらなければいけない家事はあっても、したくてたまらないことはない。暇を受け入れて寝て過ごす勇気はなかったので、話題になっていた映画「ルックバック」を観に行った。

映画が終わってお腹がすいたので、すぐそばにあるスーパーの弁当売り場に行った。600円の低カロリー弁当と、ヘルシーではないけどおいしそうな400円のビビンバ弁当が目に留まる。どっちにしようかしばらく迷ったところで、私はこんなことをしていていいんだろうか、と思った。こんなことに頭を使って、時間を浪費していいんだろうか。
ルックバックを観てしばらくは、映像や物語に感動するより、時間を忘れて好きなことに打ち込む登場人物への羨ましさと自己嫌悪でいっぱいになった。

オープニングからエンディングまで、藤野はずっと漫画を描いていた。一度やめてしまっても、また立ち上がって描いていた。眠気と戦いながらも必死に描いていた。季節は移ろって、着ている服が半袖から長袖になっても、ショートカットだった髪が肩より長くなっても、ひたすら描き続けていた。

ずっと椅子に座って絵を描くなんてつまらなさそうだと藤野は言った。実際、絵を描いている時の藤野の表情は、楽しくてたまらないといった感じではなかった。ゴミ箱は描き損じたものや納得のいかなかったものであふれていたし、いつも頭を抱えてあれこれ考えながら描いている様子だった。でもその姿が、私にはものすごく眩しく、羨ましく見えた。
初めて京本の漫画を見て悔しさが湧き起こり、本とスケッチブックを買ってひたすら練習するシーンは、舌を噛みちぎりたくなるほど羨ましかった。イラストやデッサンの参考書が日を追うごとに増えていくのを見て、若くしてこんなに必死になれるものを見つけられていることが羨ましくてたまらなくなった。

羨ましかったし、努力家な藤野がものすごく遠い存在に思えた。でも、自分の作品のファンである京本に褒められて、嬉しさが押えられなくなっている様子にはちょっと親近感が湧いた。

褒められたいとか、この人より上手くなりたいとか、そういう気持ちを糧にするのってあまり褒められたことではないと思っていた。私も普段は文章や詩を書いているけど、正直なことを言うと、作品を通して自分自身を評価してもらいたいという気持ちがめちゃくちゃある。褒めてもらいたいし、自分が誰よりもいいものを作りたいと思っている。でもそんな恥ずかしいことは誰にも言えないし、「書くことが好きだからやっています!人の評価とか気にしてません!」って顔をしている。でも藤野のように眩しくなれるのなら、褒められたいという気持ちも受け入れてみようと思えた。

机に向かってひたすら漫画を描き続けている藤野と京本の姿は本当に輝いて見えた。これは劇伴が壮麗な雰囲気だったからというのもある。日常の何気ない風景が流れる映像と対比すると、音楽が少し浮いているような気もした。藤野と京本が漫画に打ち込む姿は確かに美しいけど、当事者にとってその時間は日常に過ぎず、特別美しいものではないはず。でも音楽によって、彼らが放つ無意識の輝きがより鮮やかになっているようにも思えた。

この作品を見て同じようなことを思った人はたくさんいるんだろうけど、私も例に漏れず、2人の背中を見て何かを頑張りたいと思った。仕事でも趣味でも家事でもなんでもいい。褒められた時のうれしさとか、思うようにできない悔しさとかを思い出しながら、日々を過ごしていきたい。


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