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デーカンの活用法

デーカンの歴史

デーカンの歴史は紀元前3000年頃の古代エジプトで始まります。夕日が沈むときにあらわれた星空に基づいて考えられていました。初期の暦は太陰暦で月を13に分割し、29.3日を割り当てました。しかし、この方法では一年で6分の5日余ってしまいました。エジプトではこの余計な日を時間外として考えました。時が経つにつれ、異なる地域の異なる神がデーカンの支配する神として入り込んできました。アラブから入ってきた分割法では18に分けられています。この分け方は中世ルネサンスの占星術師の間で占星術的呪術として人気になりました。

ヘレニズムの時代(紀元前1世紀~6世紀)はアレクサンドリアにおいて始まりました。この頃には出生のホロスコープだけでなく、サイン・ハウス・惑星・ルーラーシップ・アスペクト・予測法・凶星と吉星の分類・昼と夜の惑星の使いかたが確立されていました。この頃、7つの天体がピックアップされ、デーカンの使い方が変わりました。デーカンの手法を積極的にとりあげたのは占星家マルクス・マニリウスでした。中世のそのシステムはおひつじ1デーカンをおひつじが支配し、おひつじ2デーカンをおうしが支配し、おひつじ3デーカンをふたごが支配するという考え方です。中世の書ではデーカンは「フェイス」とよばれていました。

*シドンのドロテウス(1世紀)は出生図と日時選定について詩形で「占星術の詩」を著しました。この書は中世のペルシャとアラビアの著述家に強い影響を与えました。

*ヒッパルコスは紀元前129年に黄道に850個の恒星をピックアップし、最初の恒星のカタログを考案しました。これを発展させて、プトレマイオスは西暦149年、1022個の恒星をリストアップしました。プトレマイオスは48星座を考案しました。[21の北天星座+黄道12星座+南天15星座]のうち、アルゴ座を除く47星座が今でもつかわれています。(アルゴ座は、のちにラカーユによってりゅうこつ座、ほ座、とも座に分割されました)

*シドンのドロテウス(1世紀)は詩形で出生図と日時選定についての書を著し、これは『占星術の詩』と呼ばれます。中世のペルシャとアラビアの著述家に絶対的な必須資料がもたらされました。

プトレマイオス(100-178)はトレミーともよばれています。エジプトのアレキサンドリアに生まれました。当時ヘレニズム文明では数学者ユーグリッドやアルキメデスが活躍していました。プトレマイオスは「アルマゲスト(天文学の理論と方程式に関する書)」と「テトラビブロス(出生占星術と社会占星術に関する書)」を書きました。

*ヘレニズム占星術は多くの神秘的な宗教や哲学、魔術と融合しました。グノーシス派やプラトン哲学やストア哲学が占星術と結びつきました。ヘレニズム期にはホールサインシステムがつかわれていました。天文暦や天文学理論はプトレマイオスの時代からあまり発展しておらず、「アルマゲスト」の理論が1000年近く重視されました。

*エジプトのレトリウス(6世紀か7世紀)はアテネのアンティオクス(おそらく2世紀)の著書などを引用し、出生占星術の書を著しました。その理論はのちのマーシャーアッラーのようなペルシャやアラビアの占星術師に大きな影響を与えました。

西暦500年から1500年は占星術全般が表舞台から姿を消しました。この時期はローマ帝国の崩壊からオスマン帝国の台頭の時期にあたります。

一方、アラビア世界では、750頃~950頃、中世占星術が続いていました。そのころ多くの占星術師が活躍しました。このころ発展した占星術の技術は①出生図②日時選定(エレクション)③ホラリー(特定の時間の質問チャート)④マンデン(社会現象)などです。

*マーシャーアッラー(740~815年)ペルシャのユダヤ人で、マーシャーアッラーは広く尊敬された多作の占星術師であり、バグダット建都の日時選定チャートを作るために雇われたといわれています。著者の多くは現在でもラテン語で保存されているといわれています。

*アブー・マーシャル(787~886年)最も有名で権威ある占星術師のひとりで、数多くの影響を与える著述を著しました。西方ラテン世界で最も有名なものは占星術についての『大序論』で、社会占星術についての論文は『宗教と王朝』と呼ばれ、『大会合』としてよく知られています。

中世西方ラテン世界では(1100~1400年)頃、ヨーロッパの人々が占星術に気づくことになりました。トレドで「スペインのジョン」(セビリアのジョン)が活躍したからです。スペインのジョンをはじめ、スペインの翻訳家がアラビア語の占星術、魔術、錬金術、数学、そして哲学の著述の翻訳に取り組みました。13世紀には、占星術は軍事的、政治的エリートから広く支援されました。

ルネサンス期(1400年代~1600年代)になってデーカンは占星術師、錬金術師、魔術師によって復活します。デーカンが絵画や詩[#]で表現されはじめました。マルシリオ・フィチーノ(15世紀)がプラトンの著作とヘルメス選集を出版し、「魂」の概念を強調することで魔術的占星術が発展しました。惑星は神々の魂(プシュケー)とされ、天空のようすと神々のようすとを重ね合わせて考えられました。この見方から「癒し」という概念が占星術にとりいれられるようになります。心理的な抑圧と精神的な病との関連が指摘され始めました。そのため、医療占星術や気質や体型を判断する技法が発達しました。実際、医学部のカリキュラムには占星術の技法が含まれていました。また、数学の発達によってより正確な天文暦が生まれました。アスペクト・クインタイル(5分割)の発明がありました。天文学者で占星術師である人によって広まりました。ルネサンス後期、星図や星のカタログが多くつくられました。

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