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Sunny day

人生はセルフプロデュースのようなもの。

ある人が呟いた「誰かがインターネットで私の話をしたりファンアートなどを描いてくれたりして残してくれたら、私は永遠だよ」と。人は何かしらの「集団」に身を置くことで心落ち着いたり安心できたり互いに共鳴したり助け合ったりして共生していくことができる、ある種の人間の動物的本能というか「群れ」をなす。それが今では「インターネット」というところで共生している。
このnoteでの手記もそうなのかもしれない。自身とは違う「誰か/他人」に求めている側面もあるかもしれない。僕はとにかく以前から「書く」ことで現状を客観的に見つめて心落ち着かせていたように思える。今でも部屋に大量のそのメモ紙が取っといてある←マメ。写真のアルバムような感覚。ただの収集癖?笑 “人生はセルフプロデュースなのかもしれない”と思ったのは、「自分のこと」は自分で演出して自分でプロモーションして自分の為に残していくものだよなぁと、自分は自分の為に活動して自分の為に生きてゆく、そんな当たり前のことを改めて思った。そしてその「誰か」や「他人」というのは「自分自身」ということ。例えばアイドルがファンやまだ出会っていない1人でも多くの他人に向かって自身を発信し続けているのだけど、実際の求めるべきところは自身の「外側」ではなく「内側」、実際この僕のnoteもその「誰か」や「他人」イコール自分自身だったり「もう一人の自分」だったりする。もはや多重人格者的思考かもしれない。簡単に言うと内向的。確かに昔はみんなに認められたかったしチヤホヤもされたかったし人気者になりたかった時代も確かにあった。承認欲求というか。自身の価値や存在の意味を他者に委ねていたように思える。誰かの声が欲しかったし誰かが反応してくれるだけで安心できたような気がする。そうしていくと時には傷ついたり嫌な思いをしたり、思うようにことがいかず悩んだり迷ったりウンザリしたり、そして疲弊。ただそれももう何十年も生きていくとだんだんとわかってくる。気づくというか「知る」まではいかないけど、実際まだその過程の途中かもだけど、今となっては「外」のことなんてどーでもよくなってくる。単純なところだと「フォロワー数」とか?「いいね」の数とか?「いいね」なんていつも自分の投稿を自分で連打してるぜ!笑 だからその人にも自分の為に生きていってほしい。自分の居場所は自分自身で作って自分の「中」に作るもの、そもそももうその居場所って知らずのうちにもうそこに住んでいて意識してないだけで物心ついた時からずっと「そこ」にいるんだと思う。ゲームで言うとシムシティー的な街づくりをやっていくより自分の部屋の中に家具を置いたり花を飾ったりして街を豊かにしていくんじゃなくて自分の部屋の中を豊かにしていく感じ。そーいえばCRASS(UK)のドキュメンタリーDVDの中でドラム?だったかが語ってた「高級な車や高価な時計なんて要らない....(省略)“豊かな生活”?豊かにすべきは生活じゃなく“人生”だろう?」と。まさしく物質的な価値や存在なんてただのハリボテで意味をなさない、精神的な内向的なところに意識とその意義を存在価値を見出すことが健全で最良だと思った。

実際なんて言ってたか見直した笑 

ここまでブワーと書いたけど、結局最初に感じたことはなんだっけ?ってなった笑 まぁ人それぞれだし自分はたまたまそうであっただけでそれを他人にも当てはめちゃ〜本末転倒。

No one can rule my mind, No one can rule others(誰も私の心を支配することはできない、誰も他人を支配することはできない)

人は人、自分は自分って感じ〜!!強引に終わらせた感ある笑 何じゃそら笑

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それにしてもどうも仕事以外のプライベートでは遅刻しがちである。今日も時間に余裕を持って朝起きたし何なら天気も良かったからゆっくり散歩も行ってゆっくり準備して行く予定だったのに、結局時間の電車には乗れなかった。のんびりDVD観てnote書く暇あったら準備しときゃよかったな。準備の詰めが甘いと言うか、さーぼちぼちぼち準備していくかー!ってなってから思ったよりも手間がかかってる。何ならもう準備するかー!ってなってから煙草に火をつけてしまう。その一服がいかんのだが。ついね。やっちゃうね。そして結局バタバタで汗だく!

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今週の「インスタで流れてくる広告の中で一瞬関連なしを押す手が止まってしまった広告」のコーナー笑
わかるわー。ちょっと外出るだけでドッと疲れるよね〜^^ あと気圧!天気悪い日は動かんねぇ^^こーゆー系?栄養ドリンクとかモンスターとかレッドブルとかも全く飲まんのよね〜。ウチの母も昔から体が弱く、そうだった。日中はほとんど横になっていた。僕も何と言うか単純に今日は朝から動いて疲れたとか仕事が大変だったから疲れたとかじゃなくて、「なんか」シンドイのよ。結局なんだかんだ外出ちゃえば普通そうに立ち回れるんだけど、何がシンドイって家を出るのが辛い時がある。誰にも見られたくないというか、自意識過剰なんだけどいわゆるそれとはひと味違うくて、「ジロジロ見られてる気がする」だったり「何かコソコソ俺のことを言っているんじゃないか」とか、HSPの一種みたいな、他人にどう思われているか気になり過ぎるし、なんかヘンなこと言ってないかなとか、あの人はどう思ってるんだろうとか、笑われてるんじゃないか、嫌われてるんじゃないか、など。「それ」は日によって軽度重度あるんだけど、基本的にはここ10数年はそんな感じ。真夏でもマスクがないと出歩けないし、電車乗る時はイヤホンして寝るフリして外部をシャットダウン、自転車で走ってて交差点で信号待ちの時や青になって渡るときに待ってる車の運転手の視線が嫌い、「ジロジロみるな!」っていつも思う。その代わりインターネット上ではあまりそこまで酷くなくて、ネット上ではイェーイみたいに元気で社交的なやりとりができるんだけど、実際に人と会ったり外出たりするとものすごく疲弊する。発達障害の一種か適応障害の一種か、HSPなのかASDなのか、、、なんか色々あってようわからんね。もうある意味慣れたというかそんな自分は「そうやって生きていくしかない」って半分諦めてるというか「しょーがない」。それなりにぼちぼちやっていくしかない。
イェーイ!めっちゃホリデー!!笑 

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歯が抜けた。またさらに抜けた。もう結構前からグラグラしてたからこりゃいつかヤバいなーと思っとったけど、さっき飯食っとったら抜けた。悲しい。これで前歯がほとんど無くなった..。半分は入れ歯。これでまた一生マスクは確定されました。なんか安く歯なんとかならんのかねぇ。マスクをとって笑いたい。笑顔が素敵な人になりたい。もっと自分に自信を持ちたい。自分を愛したい。いや前から自分のことは自分が一番好きなんだけど、諦めちゃってる事ばっかだし、どうひっくり返ってもお金はないしインプラントとか無理だと思うし、歯以外にも自分の顔とか体とかコンプレックスの塊だし、美容整形とかお金あったらやってみたいし、さっきの話にも繋がっててマスクなくても外出歩けるかもだし、もっと堂々と生きて生きたい。結局自分に自信がないんだろうなぁ。自分のことが嫌いで死ぬタイミングと勇気がないから仕方がなく生きてて、仕方がないから付き合っていくしかない。人から見たら全然大丈夫だしそんな深刻に悩むことないようなことでも、自分にとっては盲目的で致命傷な事柄。まー誰にだってあることだよねぇ。決して悩んでるのは自分だけじゃない。僕もツラい、みんなツラい。みんな悩んでる。みんな「そんな自分」を誤魔化し誤魔化し生きているように思える。頑張ろうね。僕も頑張るから。いや頑張らんでいい無理しなくていい、僕も頑張らないし無理しないから。互いの背中を合わせて、もたれ掛かろう。共済。相互扶助。「歩み寄る」んじゃなくて「歩み合う」、って以前観にいったドキュメンタリー映画である人が言ってたの思い出した。

「相互扶助」って英語で「ミューチュアル・エイド」って言うのね、そんな絵を描いてみようと思って描いて初めて知った。「背中」は「Back」なんだね!英語って面白いね。

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なんでこんなの買っちゃったんだろう。前の日の夜に帰ってくる途中に買ってきたもの。結局その晩は食べず翌日の昼に。2玉入ってた。一番ビックリしたのがこのサイズ感なのにお湯を入れて3分で湯切り!3分!?普通のと同じでいけるの!?倍くらいあるのに!?同じ3分で!?ってめっちゃ疑いましたが、3分で全然大丈夫でした。え〜うそ〜、熱湯に浸す時間と麺の量は比例していかないのか?何でなんだろう?え、じゃあどんなけんの量の麺でもお湯はたくさん必要になるけど時間はたった「3分」で麺ができちゃうの!?なんかすごくない!?そー考えるとなんか「3分」って謎じゃない?最初に「3分」を見つけた人すごい。「お湯を入れて3分」ってマジ最強フレーズ。そしてもう残念ながらその3分待つということが当たり前だし一般常識だしそれが正義だし染みついてしまっている。「3分を越えると、遅い」という苛立ちのパラメータが。ちょっと前だけどなんかどっかの名店的なところのラーメン屋さんのカップ麺ver.があって単純にその時の量的にこれくらいでいいやみたいなノリで買って食べようと思ったんだけど、お湯入れて見たら確か7分か8分かで、「え!!?長ッ!!」と思った。

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結局なんだかんだ計画的に企んでやってこう思ってたけどなんだかんだやってたら「もういつでもいいか!?」って思えてきた。なので急に投下したった!笑 YoutubeとBandcampでのみ聴ける。正直CDやテープやレコードでのリリースみたいなのも考えてはいたけど、なんかめんどくさくなった笑 「ここに置いとくから気になった人はどうぞ」的な、どこの誰でも自由に通りすがりにどうぞ的なバラ撒き無料発信みたいな感じにしようと思った。今はそれが一番ストレスフリー。それとCDやテープやレコードなんかの「物質」に対しても「なんか疲れてきた」。うまく言葉では言えないけど、「物」の価値というか、意味というか、それでなければいけない理由というか、そんな「物」みたいなもんにカタチを替えたくなかったというか、「room」はあくまで個人的「概念」。そもそも誰にも伝わらない&伝えきれない&引きこもることを概念として昇華させた自分だけの精神世界の「部屋」という意味が込められている。ただ「部屋」という言葉が先行したものではなく、当初から音楽の嗜好が合ったDOOM(UK)と大阪のFOODというバンドから似た語感の「ROOM」がよぎり、イコール「私だけの部屋」の意味として命名した。社会文化交流スペースSNSで疲弊してしまった人達の「自分だけの」休憩所みたいな存在になればなぁと思う。目立った宣伝や広告はやらない。インスタにストーリーに一回あげただけ。ふと気づいた人だけに。
Happy Octoder!楽しい10月を!^^