「つながり」という枷
少し前までは色んな方向に興味もあってちょっと手を出してみたり触ってみたりもしたけど、先週くらいから急にめんどくさくなって興味が薄れた。なんかいっぱいあり過ぎるね。疲れちゃった。数年に一度やってくる「マイ断捨離ブーム」なのかも知れない。物質としての断捨離じゃなくて、情報というコンテンツ要素の断捨離。気づけばもうすでに手持ちのカードだけで充分だと思った。だけど短いようで長いこの人生、この先思ってもみない出会いや経験が待ち構えているかも知れないと思うとちょっとドキドキするしワクワクもするのは確か。その未知なる世界に「もしかしたら」なんて幻想を抱いてしまっているのだけど、そのモチベは時間と共に衰弱して現在に至るというわけ。だからその前に疲弊しちゃうわけ。情報過多なわけ。
最近気づいたんだけど、ラジオとか雑談配信的なのが好きでよく聴いているんだけど、僕は雑談がしたいわけではないということと、どっちかと言うと人の話を聴いていたいんだなぁと思った。中には「お話ししたい人どうぞ〜」的な感じでコメントでやりとりする雑談なんかもあるけど、僕はそうじゃない、ラジオ配信、パーソナリティーが今週のトピックとかあんなことあったこんなことあったよ〜なんかをダラダラ話しているのを垂れ流して聴いている方が好きかもって思った。
27(金)14時過ぎコインランドリーにて。ばあさんが座っていたところにじいさんがやってきた。「久しぶりだねー、最近調子どうだね?」
続けてじいさんは「もう、くたびれたわ」
ばあさん「(無言)」じいさん「もうこの先どうやって生きていったらいいかわからんわ、、」
わからんね。じいさんでもわからん。ばあさんもわからん。わからんね。
本当に虚しい。もう20年ほど前のこと。泣いたらスッキリするとかそんなことじゃない。もしも願いが叶うなら、またあの日に帰りたい。もう一度あの日から人生をやり直したい。本当に虚しい。
俺を殴ってくれ!おもっきりガツーンと殴ってほしい!意識飛ぶくらいおもっきり顔殴られたい!殺してくれ!俺を殺してくれ!!!
結局は自分がそれで満足ならそれで良い。人は人だし自分は自分なりの楽しみ方で満点。それ以上もそれ以下もない。「本来の楽しみかた」とは?
僕はあんまり普段からお風呂に入らないから、温泉だろうと銭湯だろうと家のユニットバスだろうと、「風呂」全部は「気持ちいい」。むしろわざわざ外に出歩かなくても家の中で済んでしまうのならそれに越したことはない。あとは頭の中でいくらでも想像できる。確かに実際「現地」でしか考えることのできないコトがあるかもだけど、まだ経験してないのであればそれはただの「かも?」でしかない。現状に何不自由ないのであればわざわざ外に出る必要はない。その「想像」だけあればいい。それが当たっているのか間違っているのかは重要じゃない。そこじゃない。そう思うか思わないかだけ。だいたいどっちみちお金も体力もないから外の世界がわからない。でも今は動画とかあるから知ることはできる。昔はちょいちょい旅館泊まって温泉入って〜とかやってたけど、今はもう車もないしそんなまとまったお金もないし。また行きたいなぁ。しっぽり行きたいなぁ。
今日は10月の29日(日)。満月。夜はさらにグッと寒くなった。部屋でも上に何か羽織るか布団かぶっていないと寒い。そろそろ半纏を引っ張り出すか。寒さに加えて、今朝から鼻水が止まらない。急性鼻炎のような花粉なのか何なのか。今に始まった話じゃないけど、急に鼻水が止まらなくなる。そして地味に頭も痛い。ゆっくりしたい。「寝る」しかない。ハッピーハロウィン。多分僕はパラレルワールドにいるのかもしれない。僕の「知ってること」は「無い」ことになっている。逆に「無い」はずのものは「たしかに存在している」ことになっている。とにかく、他の世界線がどうあれ、僕は「寝る」しかない。だから寝よう。
僕の方はフォローするも外すもご自由に〜\(^o^)/♪別にみんなのこと嫌いになったわけじゃないよ〜!あえてここでは活字として書かない。もし会ったときとかに話の流れでそうなったら各個人に口頭でお伝えします( ^ω^ )ノ♪
そもそもフォローされたら「フォロバしなきゃ失礼かな」って思ってたのがまずかった。フォローされたから相手をフォローするんじゃない。あとは単純に昔は好きだったけど今はまた別のものが好きになったとか。その心境の変化みたいなもんには常に正直でありたい。アプデとともにパッチもあてて修正していこう。