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卒園式 謝辞

「明日、先生泣かしたら、ひとりにつき500円だからな!」

2月の中旬、嫁が息子の卒園式実行委員メンバーでジャンケンに負け、卒園式の保護者代表お礼の言葉の重役が僕に回ってきた。文章を書くのは嫌いじゃないから軽く請け負ったが、実際に謝辞を起草し始めると、なかなかどうしてこれが難しい…。いつもだったら好き勝手に書いてしまうのだけれど式典における文章のあり方をまざまざと考えさせられた。就寝前に考え込むと夜も眠れず午前3時になったり、参考になる本やネット情報を漁ったが、僕は結局好き勝手に書くことを決めた。他人の価値観に併せてはいいものは書けない。僕は何より保育園でお世話になった先生が好きだったし、園長先生の事を尊敬していたから、感謝の気持ちを優先させることにした。

卒園式の前日の夜、僕は嫁に冒頭の言葉を宣言した。嫁も承諾した。なんて下衆い夫婦だろう…

令和3年3月13日、息子の卒園式が執り行われ、僕がマイクを手に取った…

冬の香りが残る木の芽風が吹き、渡り鳥が飛び立ち始める旅立ちの日。コロナ禍にも関わらず先生方に多大なるご尽力を賜り、このような忘れられない卒園式を執り行って頂き心よりお礼申し上げます。

大変僭越ではございますが卒園児の保護者を代表してご挨拶させていただけたらと思います。

○○組の皆さん、ご卒園おめでとうございます。
いつまでも小さいと思っていましたが、今、あなたたちのしっかりとした姿を見ていると、とても頼もしく感じます。そしてほんの少しですが、さみしいなと思いました。さみしくなったのはあなたたちがお父さんやお母さんに頼らずひとりでできることが増えてきたからです。ひとりでできることが増えたのは園長先生や先生たちから色々なことを教えてもらい、あなたたちが素直な心で一生懸命に学んだからです。これからも先生たちに教えてもらったことやここで出会ったお友達を大切にしてください。

保護者の皆様、この度のお子様のご卒園、誠におめでとうございます。
ご縁があって皆様とご一緒する機会に恵まれて大変感謝しています。また在園時には数々のご厚意を頂きありがとうございました。どうぞこれからも仲良くしていただければ幸いです。

瞳を閉じると、登園したばかりの頃の朝の光景が瞼の裏に映ります。
大粒の涙を流し、泣きじゃくる我が子と同じくらい不安だった私に「お預かりいたします。いってらっしゃい」と子どもを抱きかかえてくださった先生方。その柔和でありながらも凛とした所作に安堵し、職場へ向かう決心をつけることが出来たことを今でも覚えています。

園に通い始めてからの子どもの成長は、まるで移り行く季節と追いかけっこしているようでした。四季が巡る度におむつが離れ、ボタンを閉じて着替えたり、箸を握りご飯を食べ、不器用ながらも歯を磨いたり。このような生活習慣を教え込む事は本当に根気のいることだったと思います。大きくなるにつれ、記憶が色褪せても先生方の教えは動作の中に残り生涯を通し子どもたちを支えていきます。改めて深くお礼申し上げます。

一生懸命に走り、愛くるしく踊る姿に胸を熱くした運動会。家庭では見せない子どもたちの一面に目を丸くした発表会。成長の節目で開かれた様々な行事では、私たちの目の届かないところでの準備や設営、子ども達への目の行き届いたご指導など先生方の大変な苦労がなければあの感動的な情景を観ることは叶わなかったでしょう。試行錯誤された先生方の姿に思いを巡らせると感謝の念に堪えない思いです。

私にとって子育ては学びの機会でもありました。恥ずかしいことを白状しますが、年端もいかない我が子を大人と同列にとらえ、大声で叱りつけたり、時には手が出てしまい、自己嫌悪に苛まれることがありました。それなのに子どもの笑顔に翳りが見えないのは、先生方が保育教諭という立場を超え、子どもたちを我が子のように愛してくださったからです。先生方に育まれた、素直で美しい子どもたちの、心根に触れる度に私の方が救われる思いがしました。

園長先生が以前、お話しくださった「三つ子の魂百まで」という言葉を私はいま反芻しています。幼い時期の性質は大人になっても変わらないという諺です。私たちは幸運でした。人生の礎を築く大切な幼少期に先生方に我が子を託すことが出来たからです。本当にありがとうございました。

名残惜しくも、時は満ちて、本日、子どもたちは〇〇保育園を卒園致します。子どもたちは先生方からの教えを胸に刻み新しい時代を羽ばたく希望の翼となるでしょう。

最後になりますが〇〇保育園の益々のご発展と先生方のご健勝をお祈りしまして私からのご挨拶とさせて頂きます。

令和三年三月一三日 保護者代表 6号室の196番

いつも謝辞を書きながら諳んじていたので、言い間違えもなく淡々と読み上げた。目の前を見ると園長先生、副園長は厳かな顔をして固まっている。泣いてはいない。担任の先生は涙しているが、僕が謝辞を読み上げるまえから泣いていたので、ノーカウント判定…。父兄の皆様も同様に謝辞を読み上げる前からの涙で僕の挑戦は終わった…。言葉って難しいな。でも、これでいいのだ。

卒園式も無事に終わり、写真撮影の時に嫁のママ友から「ものすごく共感しました。私の言いたいことをすべて言っていただいたようでした。」とお声かけ頂いた。僕の謝辞はその言葉で救われた。ひとりでも伝われば素敵なことだと思った。

写真撮影後に尿意を抑えられず、園のトイレをお借りしようとした際に園長先生と副園長に呼び止められた。

「〇〇さん、とても感動しました!出席できなかった職員にも聞かせたいくらいだ。ありがとうございました。」

「園長先生、私は先生方に最後にお礼が言えて嬉しかったんです。長女もここでお世話になり、息子でここの保育園にお世話になるのも最後です。私は本当の気持ちをお伝えしました。私の方が先生方に会えなくなるのがさみしいくらいなんです。謝辞は、とくべつお渡しするものでもないですが良かったら差し上げます。ワープロですが…」

「〇〇さん、ありがたく受け取りますね」

僕はとても感動した。僕の謝辞は伝えたい方にちゃんと届いていたのだ。涙が出そうになったけど、おしっこの方が出そうだったからそこは我慢してトイレに駆け込んだ。

「〇〇さんがジャンケンに負けてくれて良かった(笑)」

式が終わってから嫁のLINEには僕の謝辞について称賛が寄せられていたようだ。

言葉って難しい。でも言葉は世界を変えるって信じている。

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