一人暮らしの男子大学生が唐揚げを揚げるとき。


 あと数週間で二十歳になる一人暮らし大学生。今日は唐揚げを揚げようと思う。初めまして。駿と申します。

 

 私がまだ実家にいたとき時々唐揚げが食卓に並んだ。別に特別な日でもない日に並んだ。私はその唐揚げがあまり好きではなかった。味が不味いわけではなかった。ただ、外で食べる唐揚げのほうが美味しいと思ってしまう私が嫌だった。

 母の作る料理の味を鮮明に思い出すことができない。数か月前まで毎日食べていたあの味。実家でのあの料理たちは今は私以外の三人分しか作られないのだろうか。こんなご時世になり実家に帰ろうにも帰れない状況が続いている。お互いに元気ならそれでいい。

 味の思い出せない母の料理を不味いと思ったことは一度もない。多分母は料理が上手い。毎日料理をしているし、正月にはおせちを作っている。親戚に料理を教えているところも見た。私が十九年近く食べてきたあの料理は私に吸収され血肉となっている。味が脳みそに残っていなくても今キーボードをたたくこの指、目、髪の毛一本一本をあの料理が形成している。不味かった記憶がないなんて母は料理人じゃないか。

 私は唐揚げを揚げた。一人暮らしをして唐揚げを食卓に並べるのは二回目だ。一回目なんて油がはねてはねてみたことのない肉の塊ができて、掃除が大変だった記憶しかない。今回はうまく揚げることができた。唐揚げはいつが揚げ終わりなのか全然わからない。そのためしっかりと火の通ったちょっと固いぐらいの唐揚げになる。レタスを盛った皿の上に五個六個と唐揚げを並べる。レモンとマヨネーズも忘れない。今日はシーザードレッシングの気分だ。片栗粉をまぶして揚げた唐揚げはざくざくと音をたてた。母と同じでレシピを全く見ないで作ったその唐揚げは我ながら五百円で販売しようかと思うほど美味かった。

 この唐揚げが美味いのは下味のニラ醤油によるものか、違う。片栗粉を玉状に揚げて衣をザクザクにしたからか、違う。これで正しいのか、いつ揚げ終わるのだろうか、油がはねることを恐れているこの料理中の感情がこもっているからだろう。この美味さはあのラーメン屋の唐揚げじゃ感じることができない。


 この記事を書いて自分のためだけじゃない料理を作る母の大変さを少しわかることができたと思う。母は偉大なり。これから母の作った料理でできたこの体で健康に生きていく。


本日も皆さんお疲れさまでした。ありがとうございます。



 蒸した玉ねぎはポン酢で食べるのが一番うまい。

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