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【チャクラの観点から観る自己愛】


昨日のコラムでは第三チャクラに関係している概念の一つ【自信】についてお話しました。

第三チャクラ=自信という意味ではなく
ほんの一部分の情報ですが
少しでも人生が豊かになればと思い書いてみました。

今日は、その次の第四チャクラの
要素【自己愛】のお話をします。

私たちの日常で起こるいろんな問題の根本には
ある一つのこと、、セルフラブ(自己愛)の欠如があると言います。

そしてそのあらゆる問題の解決策は、
自分を完全に愛し、受け入れること。

本当にそれが全ての答えになるかどうかは
言い切れない部分があるかもしれませんが

自分自身を心から愛することは
人生において最も重要なことの一つでは
ないでしょうか。

私は元々、
自己愛や自分への思いやりを
実践するのがとても苦手でした。

今やっと少しずつできるように
なってきた段階です。

今日は私の過去の話を少ししようと思います。

2週間ほど前、
関東に住むお父さんの家に数日間
滞在するタイミングがありました。

そんなに長く一緒に過ごす時間は
なかなかないのですが数日間いたことで
私の知らないいろんな話を聞くことができました。

その中の一つが、私が生まれた時のこと。

私は、未熟児で出産予定日よりも
1ヶ月も早く帝王切開で生まれてきました。

生まれてすぐは
肺で呼吸をしていなかったらしく

保育器に入れられて
身体にたくさんの管を繋がれて
無菌室の中で様子をみる日々が
続いたそうです。

お父さんですら
面会をさせてもらえない中

そこに登場したのがおじいちゃんでした。

初孫だった私のことが
とっても待ち遠しかったのでしょう。

おじいちゃんは
病院のルールなどを完全に無視して
(というか耳に入ってたなかったのだと思う)

みんなが神経をつかって
滅菌に取り組んでいたりする中

ズカズカと消毒もせず私の名前を呼びながら
一目散に私の入っている保育器にむかっていったそうです🤣

誰の言葉も耳に入っていない
おじいちゃんの行動に
お父さんも病院の人も固まったし
びっくりしすぎて止められもしなかったそう🤣

そしてお母さんの妹である叔母も
自分の子どもではないけれども
とてもとても愛情を注いでくれて
ずっと私のことが大好きでねー
という話をお父さんがしてくれました。

私はそんな自分が生まれてきた時のことや
小さい時のことなんて全く記憶にないのですが

大きくなってから
「彩乃は生まれてきた時に死にかけてたんだから生きているだけですごいんよ」

とおばあちゃんからも
そう言えば何度も聞いたことがあったなと
思い出しました。

ただ、大きくなるにつれて

例えば
ピアノが上手く弾けたら先生が褒めてくれるなー

小学校の時、放課後残って
先生のお手伝いをしたらすごく喜んでくれて
金ピカのシールをもらったり

いい成績をとったら
三者面談でお母さんが喜んでくれたり

そんな経験を繰り返しているうちに
私は自分に向けられている好意や愛情は
「私が〇〇をしているから」という
条件付きのものだという思い込みをしていく事になります。

それは社会人になって
会社員をやっている時にピークに達しました。

これだけの成果を出しているから
上司が認めてくれている。

これだけ数字を上げられているから
後輩が慕ってくれている。

自分の周りの人が
「ろんちゃん、ろんちゃん」
「ろんさん、ろんさん」と
近くにいてくれるのは

自分が出している成果ありきだと
本気で思うようになっていきました。

そこからというもの、

数字をキープすることや
前回を上回ること
より派手な結果を出すこと

そこに気づかないうちに
執着するようになり

それができそうにない時は
誰にもバレないように裏でめちゃくちゃ
努力して

あたかも
「結果を出しているのが当然でいつものこと」

という雰囲気を
出すようになりました。

できないところを見られたら
今笑顔で自分の近くにいてくれている人は
自分から離れていくだろう。

本気でそう思っていたのです。

だから
今近くにいる人が
そのまま自分に好意を持っていて欲しい
近くにいて欲しい

その為に
弱みやできないことを隠すようになったり
自分の気持ちに嘘をついたことも
数えきれないぐらいあったと思います。

そんな状態でずーっと過ごしている中で
ある日、上司からも後輩からも
一気に信用を失った事件が起こりました。

その時は全く理解できなかったのですが
今ならわかる。

慕ってくれていた人達の心が
自分から離れた原因。

その人たちことを
全く信用できてなくて
全く愛せていなかった。

その人達は
「ただ一緒に働けているだけで楽しい」
と思ってくれていたのにもかかわらず

私がそのことに気づかず
数字ありきだと思って
がむしゃらに頑張っていたことが

周りの人たちの気持ちを
ないがしろにしていたことによって
数々の小さなすれ違いを
引き起こしていたのです。

「今日も一緒に働けて楽しかったよ」
「近くにいてくれてありがとうね」

それだけでよかった事だと
後から気づくことになりました。

〇〇をしていないと人に好かれない。

自分に対して
条件付きの愛しか向けられなくなっていた

それに気づいたのは
その出来事の何年も後でした。


またそれとは別に
フリーランスになってから

とてもとても傷だらけになった出来事があり
「死にたい」とは思わなかったけれど
「消えたい」と思って

ある日の早朝
ただ長野県に向かう

という謎行動をしたことがありました。

自然の中に消えたかったのか
その時の細かい感情は思い出せません。

なのですが
結果的に私は気を取り直して
元気を取り戻すことになります。

どうしてそうなったのか。

それは
長野に向かっている電車の中で
ふとある言葉が頭の中で聞こえてきたからです。


「彩乃は生きてるだけでそれでいいんや」

おじいちゃんの声で
聞こえてきました。

小さい時から
日常の中で何回も言ってくれていた言葉。

その当時は
「そんなわけないやん、またなんか言うてるわー」

とそんなに気にも止めていなかった言葉。

「彩乃は生まれた時、どうなるかわからんかったけどこんなに大きく育って、勉強も頑張って習い事も頑張ってすごいねー」

とおばあちゃんにもいわれてたっけな。

私的には、
もっとすごい人がいるし
別にそんなにすごい事ができてるわけでもないしと

その時はその言葉を
素直に受け取れていませんでしたが

結局、
人生のまあまあなピンチの時に
救われたのは

「彩乃は生きてるだけですごい」

この言葉でした。


自己愛。

「私の内側をみる」
「私の内側をあなたに見せる」

他人と自分自身をシェアすることは
最も恐ろしく、最も神聖なことの一つかもしれない。

「私は大丈夫」あるいは
「自分のことを知られてしまう」
「見つかってしまった」
「完璧ではないと気づかれてしまう」
「私を受け入れたり、愛したり、しょうにんしたりしてくれないだろう、、」

あなたはどんな感情が湧いてきますか?
人は仮面や鎧の向こうにあふ自分の内側を見せることで親密な関係を築くことができると思います。

条件付きではなく
自分の存在自体を認められるようになる。

愛することは、
自分を見せるということ。

条件をペタペタくっつけた
自分じゃなく
そのままの自分をシェアしても
大丈夫と信じられること。

それが
自己愛。

第四チャクラが活性化されて
自分の人生が幸せに向かっていく
そんなヒントになればと思います。

今日もコラムを読んでくださり
ありがとうございました。

namaste. Ron











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