宅八郎さん死去

高校生のときだった。家でたまたまついていたバラエティ番組をなにげなく見ていた。普段そんな番組は見ない。けれど、そこに出ていたある男の人に私は釘付けになってしまった。長髪に眼鏡、痩せていて、独特な話し方。そして、手が綺麗だった。

「なにこの人、めちゃくちゃかっこいい!」

テレビに出ている人を見てこんなに興奮したことはなかった。「誰?この人誰?」私は興奮して妹に聞いた。妹は呆れて言った。「お姉ちゃん、知らないの?宅八郎だよ、オタクの」その頃すでに宅八郎は複数のテレビ番組に出ている有名人だった。私は全然知らなかった。「オタクってなに、どういうこと?」「だから、オタクとしてテレビに出てるんだよ」「この人がオタクなの?」「そうだよ、見ればわかるじゃん」

確かにその風貌はオタクのそれだった。けれど違和感があった。本物のオタクが、こうやってテレビに出て滔々と話せるわけがない。この人はオタクを演じているに違いない。

けれども、宅八郎は誰よりもオタクだった。オタクでありながら、テレビに出るアイコンとしての「オタク」を演じ続けた。

テレビで一目見たときから、私は強烈に宅八郎のファンになってしまった。なにが好きだったかって、顔が好きだった。雰囲気が好きだった。こんな素敵な人はほかにどこを探したっていない。

それ以来、彼の出ているテレビ番組は欠かさずチェックした。彼の出番が少なくとも、すべて録画した。彼の本『イカす!おたく天国』も買い、すみずみまで読んだ。巻末に彼の年表が出ており、昔の写真なんかも載っている。その写真の彼はオタクの扮装をしておらず、短髪でおしゃれな服を着ている。普通にかっこよかった。ほらね、やっぱりかっこいいじゃん、と私は思った。私はつねづね、宅さんの顔立ちが整っていることを主張していたのだが、妹や友達には気持ち悪がられた。宅八郎は「気持ち悪いオタク」というキャラだったのだ。

宅八郎が仙台にやってくるという情報を聞きつけ、渋る友達を無理やり誘ってそのイベントに行った。そのころ宅さんは、週刊誌でちょっとしたスキャンダルが持ち上がっていた。女性関係だった。その女性は、宅さんとお見合いするというテレビの企画番組に出演した女性で、それがきっかけで宅さんから連絡があり、関係を持ったというのだ。当時宅さんは「童貞」というのも売りにしていた。しかし実は童貞ではなかった。それに、宅さんは普段はオタクの格好なんてしてなくてすごくおしゃれだ、とその女性は週刊誌で語っていた。童貞じゃないのに童貞のふりをしたり、おしゃれなのにそれを隠してダサい格好をすること、そういうことをする宅さんが、どうしようもなくかっこいいと思った。だって普通は、童貞が童貞じゃないふりをしたり、ダサい人がおしゃれなふりをしたりするじゃないか。

イベント当日、私は「エリー」という人形を買い、宅さんに渡した。宅さんはテレビ番組でリカちゃん人形を持っていたので、人形が好きなのかと思ったのだ。そのとき宅さんに、週刊誌のことを聞いてみた。宅さんはその週刊誌の編集者を「攻撃」していることでも話題になっており、私はそちらを心配していたのだ。宅さんが、なにか法に触れるような悪いことをしていたらどうしよう、と思っていた。けど宅さんは私の目を見てはっきり「ボクはなにも後ろめたいことはしていない」と言った。嘘を言っている人の目ではなかった。

私は宅さんに会えて、話もできたことで有頂天になっていた。その後、またいつものように宅さんの出演するテレビ番組を見た。番組の冒頭、宅さんが手に持っていたのは、私が渡したエリーだった。宅さんはニコニコしながらエリーを持って手を振っていた。私は胸がいっぱいになった。

私はまもなく東京の大学に進学した。そのころ宅さんは『SPA!』で連載を持っており、私は毎週熱心に読んでいた。宅さんが出演していた新宿ロフトプラスワンのトークイベントにも何度か行った。宅さんと同じ空間にいられるだけで、東京に出てきてよかった、と思っていた。

宅さんの「攻撃」の対象は、次第に広がっていった。プレイボーイの小峯氏にはじまり、田中康夫、小林よしのりなど著名人にも及んだ。宅さんはついに「逮捕」されてしまった。別件逮捕だと本人は訴え、その顛末を記事に書いた。『SPA!』を干され(宅さんをかばった当時の編集長も解任になった)、『噂の真相』で書いていた。その後噂の真相の岡留編集長とも不仲となり、確かブブカとか、そういったマイナー系の雑誌に書いていたと思う。そのころの宅さんの記事は、抜群に面白かった。それだけではない。新宿ロフトプラスワンでは、「宅八郎の放送禁止大学」というトークイベントを何度か行っていた。1997年のことだ。ここでは様々な人をゲストに招き、小林よしのりへの批判などが繰り広げられた。「ここでしか話せない」業界の内幕が語られるこのイベントは最高に危なくて面白かった。

このころが、私のなかでは宅さんの全盛期だったように思う。私には、法律ぎりぎりのことをやりながら、様々な業界人を「処刑」していく宅さんが、とにかくかっこよく思えた。正義のジャーナリストだと感じていた。いや、宅さんが正義だったのかどうかは、じつはよくわからない。やりすぎな感じもしていた。けどそういうやりすぎで過激な部分も含め、私は宅さんが大好きだったし、応援していた。

けれど、宅さんの「攻撃」は次第に執拗なものとなり、だんだんと宅さんの周りからは人が離れていった。テレビにもすっかり出なくなってしまった。雑誌の連載もなくなり、宅さんの活動を追うすべを失くした私は、いつしか宅さんへの興味が薄れていってしまっていた。

時々、テレビの『あの人は今』などのコーナーで宅さんを目にすることがあった。宅さんは選挙に立候補して落選したあとは、バンド活動をしたり、歌舞伎町でホストをやったりしていた。女性にもてる宅さんなので、ホストは合っているだろうな、と思った。

宅さんが57歳で亡くなったことを聞き、残念だし、寂しいと思った。ほかの人たちのYahoo!コメントを見ると、好意的なコメントが多い。宅さんが活躍した当時は、どちらかというと色眼鏡で宅さんのことを見て、「気持ち悪い」と言っていた人が多かったのに。でもじつは、みんなそんな気持ち悪い宅さんのことが好きだったのだろうか。宅さんの功績をもっと評価すべきだ、という声もある。確かに、「これからの世の中、オタクが世界を動かす!」と最初に言ったのは、宅さんだ。そして実際、その通りになった。オタクとして、物書きとして、ジャーナリストとして、宅さんが与えた影響は大きい。もっともっと活躍してほしかった。でも、よくここまでやってくれた、とも思う。

宅八郎さん、ありがとうございます。お疲れ様でした。どうぞ安らかにお眠りください。

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