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最後のTight Hug⑩



「…絵梨花と、別れて欲しい。」


恐らく絵梨花に遺伝したのであろう、その真っ直ぐな瞳で、父親は俺に頭を下げた。


もちろん、俺が絵梨花の父親にとって疎ましい存在である可能性は排除していなかったし、だからこそこんな話題になることは想定もしていた。


俺は湯のみに一口だけ口をつけると、かわいた喉を潤すと共に、一呼吸置く。



「…嫌です。」


しっかりと、絵梨花の父親の圧力に負けじと虚勢を張る。

きっと、何年も子育てをしていた父親と、せいぜい20年にも満たない人生の若造とでは、その虚勢が無為であることは明らかではあった。


それでも、引くことは出来ない。


絵梨花だけは、譲りたくない。


そんな気持ちがいつのにか俺には芽生えていた。


絵梨花は席を外すように言われ、自分の部屋にいる。


だから父親との1対1において、俺が折れてしまう訳には行かないんだ。



「…どうしてもか。」


「どうしてもです。」


「…理由を聞いてもいいかな。」


「絵梨花が、大好きだから。…今までに感じたことのないような、大きな存在だから。」


それを聞くと、父親の顔は一瞬和らいだ後に、また気難しい表情に戻った。



「…だったら、尚更別れて欲しい。…いや、むしろそうだと思ったから、今回呼んだんだ。」


「…俺が絵梨花にとって、邪魔な存在になるから…ですか。」



その言葉に、父親は被りを振る。



「…逆だよ。」


「…逆?」


「…君にとって絵梨花が、好ましくない存在になるから、だ。」



ゆっくりとソファーに持たれかかった父親は、先程までとは打って変わって、どこか諦めたような…温和な表情になった。



「…好ましくない存在って、なんですか。…絵梨花は俺にとっての希望です。」


「…もし、それが君の片想いでも…か」



父親は窓の外を眺めたまま、俺に問いかける。


その言葉に、妙に胸騒ぎがした。



「…片想い?」


「あぁ。…絵梨花はただ、君を利用していて、そして君のことを愛してる訳では無いとしても、か。」


そんなわけ、ないでしょう───────



胸騒ぎがして、そう答えることが出来ないでいた。



「…絵梨花と君は、私が初めてあった日、本当に惹かれあっていたのかな」


「…それは…」


「…あの子は何か隠そうとする時、裾を握りしめる癖があるだろう。」


「…」


「…なぜ、絵梨花が学校の夏期講習に行かないと思うかい。」


「…あなたが厳しい塾に入れている。…そう聞いてます。」


「…私は絵梨花に塾を進めたことなんて、1度もない。…今だって、彼女の習い事はひとつも無いよ。むしろ父親としては、夏期講習に出て欲しいくらいだ。」


「…嘘だ。」


「…○○くん、あの子の夢を、知っているかい。」



…その問いに、俺は押し黙ることしか出来ない。


「…あの子の、行きたい大学は」



言葉が出ない。



「…あの子が何を好きか、知っているかい。」



「…絵梨花は俺のことを好きだって…言ってくれてます。…いつも…いつもいつも…」


「…高校3年に上がる時、あの子にこんなことを言ったんだ。」



"もし、会社を継がないのなら、跡取りを見つけろ。…お前が大学生になる頃には、俺は海外への長期赴任が始まる。"



「…会社を…?」


「…年商で言えば、そんなに大きい会社ではないがね…」


そう言いつつも、絵梨花の家は実際には普通のサラリーマンには到底手に入れることの出来ない豪邸であった。


絵梨花の父親が雑誌に掲載されて、インタビューに答えている紙面がこの部屋にはいくつか飾られている。


そして、どこからかの表彰と、これみよがしに並べられたトロフィー。



「…絵梨花は…何て…」




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────会社を継ぐ相手"さえ"見つければ、私は歌手を目指していいんですね。




「その一週間後だよ。…君と絵梨花を教室で見かけたのは。」


「…歌手…絵梨花が」


「…彼女が夏休みに費やしていることの99%は、ボイストレーニング。…そして残りの1%の時間を使って君とすごし、君を生け贄にし、自分の夢を追うつもりなんだ。」



目の前がぐにゅりと歪んで、絵梨花の父親の顔の形を認識することすらもままならなくなる。


絵梨花が、俺のことを好きじゃない。


俺のことを思ってくれていたことも、言葉も


思い出も、触れ合った感触も、共有したはずの未来図でさえも、


全ては、絵梨花の手のひらの上で踊らされていて、都合よく扱うために作り上げられた、虚像なのか。



「…君にも未来がある。…だからこそ、お願いだ。…あの子の為に君の将来を捧げる必要なんてないんだ。…あの子を好きになってくれたからこそ…忠告させて欲しいんだ。」



そんな言葉だけが、表面的に鼓膜に溶け込んで行ったのだった──────





LINEの通知が残っているのは、気になるタイプなんだ。


だから、こんなにも赤いポップアップの数字が大きくなったのは初めての経験だった。


その多くが、齋藤からのもの。


"遊ぼ。"


"課題教えて"



"無視か"



"私、何かした?"


そしてスタンプ爆撃。


そんな風にこの一週間で齋藤から溜まった通知は19件。



かたや、絵梨花からは


"どうしてもにも言わずに帰っちゃったの?"


"お父様から、何を言われたの。…連絡ください。"


"話したいです。"


この3件だけだ。


今の俺には、その通知の差がそのまま2人からの想いの量に現れているように感じてしまう。


どうして、絵梨花はもっと気にしてくれないんだろう。


父親に、真意をバラされてしまった今、もう俺はお役御免なのだろうか。



彼女は、自分の夢のためになら俺を生け贄に捧げ、そのためだけに俺との時間を過ごしていたのだろうか。



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─────こうすれば、少しは暖かいでしょ。




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─────私だって…そう思ってるよ。飛鳥は友達。でも…不安なんだよ。…飛鳥と何話してるんだろうって…何してるんだろうって…本当は私なんてって…!!



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────……だったら、しよ…。…正真正銘の、カップルになれた記念に…



一緒に想い出を重ねてきた間の、彼女の喜怒哀楽。そのどれもが、作り出されたフリだったんだろうか。



そんな解くとことの出来ない問題がグルグルと頭を巡り、そして、目をそらすようにスマホを置こうとした時だった。


──────たすけて。



そんなLINEの通知が、齋藤から入った。



「…齋藤?」


ただならぬ雰囲気の文章に、俺は慌てて齋藤へと通話をかける。2つほどコールが鳴り響いた後、齋藤の声がスピーカーの奥から聞こえた。


「齋藤、どうした?」


『助けて。…今…川沿いのパン屋さんの前にいる。…誰かつけてきてる気がするの…』


「…マジで…今行くから…人通りの少ないところに行くなよ。」


『…怖いよ…。…早く来て…こんな時、○○しか頼れないの。』



その言葉とともに、齋藤との通話は切れてしまった。





「…お前さぁ…いい加減にしろよ…」




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『いいじゃん。…どうせ暇だったでしょ?…それに、何日も私の連絡を無視するから悪い。』


俺を騙したことになんて全く悪びれる様子もなく、浴衣を着た齋藤は俺の手を引きながら歩く。


1年に1度の夏祭りを堪能するかのごとく、齋藤は好きな出店の食べ物を片っ端から買って、1口食べては俺に押し付けていた。


俺に至っては今日が夏祭りの日だなんて、すっかり忘れて、そんな気分ではなかったが。




焼きそば、たこ焼き、綿菓子に、りんご飴…


王道のラインナップを全て制覇するかのごとく買い漁ると、最後にラムネだけ買った齋藤は


『疲れたから、あそこでゆっくり食べよう』


とだけ言うと、俺の手を握り、川辺に腰を下ろした。



齋藤に騙し討ちされてから、ずっと歩きっぱなしで悲鳴をあげていた脹ら脛が、ようやく安らぐ時間を与えられる。


周囲はまだ皆出店を回っており、川辺で腰を下ろしている人々はそう多くはなかった。



『…美味そうだなぁ…どれ食べたい?』


「…どれ食べたいって…全部口つけてるだろ」


『…今更間接キスなんて気にすること?キスした仲じゃん。』



「…あれは…頬っぺだったし…」



『…じゃあ…しよっか。』


「…は?」


『ちゃんと、キスしようか。』

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時々見せる、あの虚ろな目をしていた。


この瞳に見つめられた時、俺はどうしようもなく齋藤に吸い込まれてしまいそうになって、体を動かさないようにするのが精一杯で


最終的に、彼女に飲み込まれてしまう。


ラムネを口に含んで、彼女の喉仏がコクリと動く。


俺の両肩に手を乗せて、鼻先が触れ合うまでの距離になり、彼女の異性としての色香が俺の五感を押さえつけた。


『…ねぇ…○○…』


囁く様な声で、俺を見つめる。


『…何か、あったんでしょ。…いくちゃんの事で』


「……いや」



『嘘つかないで。私には分かる。…辛いなら、一緒に分け合うから…話して…』


ピタリとおでこをくっつけられて、俺を包み込む様な齋藤の甘い言葉と、彼女が優しく俺の頬を撫でたその暖かい体温に、この一週間の憂鬱を全て溶かされてしまった。



「…俺はッ……絵梨花は…本当は…俺のことを…」


スーッと、冷たい感覚が頬を伝い、夏の夜風に冷まされる。


『…』


「…でもッ…俺は…いつの間にか…絵梨花が…だから………」


文節で区切るのがやっとだ。


それも支離滅裂で、言いたい言葉が、上手く外に出ていかなくて、呼吸が苦しくなる。



それでも、齋藤は俺の言葉に共鳴するように、涙を零した。



『…ごめん、○○。…私もう無理かも。…いくちゃんと一緒に居て、○○が幸せじゃないなら…私は…』


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暖かい彼女の、その唇が、解けるように俺の唇とぶつかる。



そして、それが夜風に冷まされないよう、俺は齋藤の頭を抑えて、より体を密着させた────




きっと、○○はそこにいる気がした。


根拠なんてない、けど、絶対にいると思った。



そして、今この胸のざわめきを信じて、彼との誤解が溶けなければ、もう2度と戻れない気がして。



駆け足で走ると、夏の生ぬるい風が、私の肩を撫でる。


あの日、彼はその上着と共に私の身も心もおおってくれた。



もう一度、言って欲しい。


私のワンピースを、可愛いって。


似合ってるよって。



愛してるって…抱きしめて欲しい。



全てを許しあえたなら、このラムネを一緒に空にしたい。



そう、思っていた。



──────でも、



私の目に飛び込んできたのは、川辺で飛鳥とキスをしている○○の姿。



全身から力が抜けて、指先から瓶が落ち、地面には炭酸がシュッ…と溶け込んで行く。


私の涙と共に。






『…嘘つき。』

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もう、人を愛することなんてできない、そう思った。



to be continued...





















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