シルエット
『起きろぉ!!』
「うぉ…!?」
バフっという布団の音と共に、絵梨花の全体重と、飛び込んできたことによる重力が自分の体に掛かった。
絵梨花はグリグリと頭を俺の顔に押し付けて、起こそうとしてくる。
こんな状態で二度寝なんて出来る分けない。
「…おはよう、絵梨花。」
『起きた?』
「起こされた。」
『良かった。今日はドライブの日だからね。』
絵梨花の強い引力をもちあわせた眼差しと、大きな歯を見せて、ニカッと笑う姿は、ふとした時に俺の淡い記憶を呼び起こす。
そんな時、俺は決まって絵梨花のシルエット越しに、あの人を思い出すようになっていた。
「…」
『…どうかした?』
「ううん、なんでもないよ。」
『なら早く、早く。ご飯食べて!!』
無邪気にパタパタと、スリッパとフローリングの音を響かせながら、テーブルへと向かう絵梨花。
その姿はとても自分より1つ年上の姿とは思えない。
でも、そんな無邪気なところも含めて、俺は絵梨花に惹かれたのだろう。
゛彼女゛のシルエットには、いつの間にかピッタリと絵梨花の姿が宛てがわれていた。
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『ねーぇ、遅いってば!』
「ごめん…!!途中でクラスの奴に出会って…中々巻けなくてさ」
『もぉ…映画まで時間ないし、行くよ』
そう言って俺の手を掴んだ彼女の掌には、カップの水滴が滲んでいる。
ひんやりとしたのも束の間、直ぐに熱を帯びた俺の手で水滴は蒸発した。
「…あ、あのさ…!!」
『ん…?』
繋いでいない方の手でトレイを返却口に置いた遥香は、俺を見る。
「もう…クラスのみんなに言ってもいいんじゃないかな…。…そっちの方が、俺も安心だし…」
安心、なのは遥香に俺の名札をつけることで、取られる心配が減るから、というチンケな理由だった。
『……みんなには、言いたくない。』
決まっていつも遥香はそう言った。
周りには見せたくない。
2人だけの秘密でいい。
「…そっか。」
2人゛だけ゛の秘密を共有できた嬉しさと
2人゛だけ゛でしか認められない寂しさ
その両方を交互に味わいながら、いつも俺は遥香の言う通りに従っていた。
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初めて、絵梨花が泣いた。
俺はどうしていいか、分からなくて
唖然としたまま、居酒屋のトイレの前で立ち尽くしていた。
『…どうして、隠すの。』
隠してない。
隠した、訳じゃなかった。
ただ、会社の飲み会の場で、大手を振って実は同じ部署の先輩と付き合ってます、なんて言い切る勇気がなくて。
────お前は、まだ彼女いないのか
課長からのその言葉に、咄嗟に、
居たらこんなに長く飲んでません、
なんて嘘をついた。
その直後、無表情だった絵梨花と目が合ったかと思ったのもつかの間、トイレに行ってしまった。
でも、
10分経っても、15分経っても
絵梨花は宴会の部屋に戻ってこなくて
皆が盛り上がっている隙に、トイレに様子を伺いに来たら
目を真っ赤に腫らした絵梨花が個室から出てきた。
『…私が年上だから…』
「…そんなことないよ」
『私のこと、みんなには紹介出来ない?』
「違う…」
『私の事…本当は好きじゃないから…』
どれも、違う。
強いて言うなら、
他の人達に鑑賞されたくなかった。
邪魔されたくなかった。
2人゛だけ゛の関係で、いたかった。
あの時の、遥香の気持ちは、こういう事だったのかな。
彼女が泣き止むまで、その肩を抱き続けた。
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『さよなら、なんだ。』
「…どうして、今日の今日まで、言ってくれなかったの。」
『…ごめんね。でも、さよならはきっと、必要なことだと思う。』
「…その程度の、関係だったんだ。…遥香にとっては、俺なんか。別に直ぐに忘れられる…」
『…そんなわけ、ないじゃん。』
「だったら、なんで。…いつ行くかも、理由も、場所も、何も教えてくれないんだよ。」
『…貴方のことが、忘れられなくなるから。』
「…なんで。…それならこれからも連絡取ろうよ。ずっと会おうよ。…どんなに遠くても、会いに行くから。」
旅立つ3年生を送り出す、同級生たちの賑わいの輪に入ることも無く
俺と遥香は、2-Bの教室で、最後まで向かい合っていた。
もうこれで最後なんだ、この教室も。
来週からは、隣の塔に行く。
けれど、その3年生の塔に、遥香は居ない。
どこの学校の、3年生の塔に行けば、遥香に会えるのかも、教えて貰えない。
「どんなに離れてても、関係が途切れてしまう方がさみしい。」
『薄い望みに期待して、いつまでもこの関係のことを思い出さないと行けない方が、さみしい。』
これだけ、貰うね。
遥香は俺の第2ボタンを契ると、大切に握りしめたまま、背を向けて行ってしまった。
いつも、俺は遥香の言う通りに従うしか、無かった。
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『本気で思ってるなら、一生一緒にいるに決まってるんじゃん。』
「…でも、さ。…お互いにとってこの2人は共依存になってしまってて。…別れるっていうのも、ある種いい選択だったんじゃないかな。」
『やだよ。私なら、こんな主人公のワガママって、嫌だ。』
「相手のためを思って、そうしたんじゃない?」
毎週肩を並べて観た月9の最終回は、なんとも切ないエンドだった。
彼女の夢を応援するために、主人公は敢えて、彼女を突き放した。
そのシーンに怒り狂って缶ビールを机に叩きつけたのが絵梨花だ。
『相手の為って。それって自己満でしょ。責任取れないだけでしょ。お互いに好きなら、一緒にいるために努力して、解決策を見つけるべきだよ。』
「…あっ…」
『そんなの、別れを正当化して、美化して、一緒にいる術を探そうとする努力をしないための、キラキラした包装紙みたいな、安っぽい詭弁だと思う。』
真っ直ぐに、俺の瞳を見つめる絵梨花を見ると、
なぜか、いつかの、流せなかった涙かこぼれ落ちてきた。
『…えっ…?』
「絵梨花…本気で俺と一緒に居たいって、そう思ってくれてるんだな…って思ってさ。」
『…当たり前じゃない。』
バカみたいなやり取りをしながら、気がつけば絵梨花も一緒になって、笑顔で泣いていた。
いや、
涙を流しながら、笑っていた。
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『ごめんね。無理言って。』
「いいよ。妹さんもこれからこっちで就活なんて大変だろうし。部屋は余ってたしね」
『いい子だし、経歴は申し分ないから、直ぐに就職先は決まると思うの。1ヶ月間だけだから。』
「親心全開だね。まぁ、落ち着くまではゆっくりしてもらっていいから。」
『ありがとう。可愛い妹だから、手は出さないでよ?』
「出さないよ。」
刹那、インターホンが俺らの会話を遮った。
絵梨花はモニターを覗き込むと『やっほー』、と手を振りながらエントランスを解錠する。
『きたきた。…私も会うの久しぶりなんだ。…私が向こうの大学を卒業して以来。』
「何か、俺も緊張してきたな。」
『話しやすい子だから、大丈夫。』
チャイムが鳴り響いた。
『来たみたい。』
絵梨花に手を引かれて、玄関まで足を運ぶ。
いつか、妹になるかもしれない子だから。
できる限り、いい印象を与えられるように───
そんな必要は、すぐに無くなった。
fin.
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