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pitch-dark


外回りの営業を終え、漸く一休みができると自分のデスクの椅子に座った途端、PCモニターに出た煩わしい社内チャットの通知が俺を辟易とさせた。

"ちょっといい"

そのたった6文字に、滲み出る圧倒的不満感に、俺は聞こえないよう小さく舌打ちをする。


『あ、…あの…すみません…』

隣のデスクからおずおずとか細い声で、申し訳なさそうに遠藤さくらが俺に声を掛けた。


『…飛鳥さんから呼ばれましたよね…。その…あの……また、私が書類間違えちゃってですね…ごめんなさい。』



「いや、大丈夫だよ。遠藤さんは悪くないから。ミスなら誰でもするしね。」

『でも…また先輩が飛鳥さんに言われますよね…』

「まぁね。けど、いつもの事だから。…同期だから俺にだけ当たり強いけど。」

『…いつも私が仕事遅いし…ミスばっかりだから…飛鳥さんもイライラしてるんだと思います。それで先輩に……本当にごめんなさい。』

「齋藤だって、遠藤さんくらいの時は同じだったよ。…とりあえず、行ってくるわ。」


そう言い残して、椅子から立ち上がると、俺は2ブロック隣の島にある飛鳥のデスクに足を運んだ。

俺の姿に気がついたのか、齋藤は自分のモニターから視線を移すことも無く、書類の束を俺の方に乱暴に置く。


『付箋、貼ってる所、読み直して。』


齋藤のストレスポイントその1

直ぐに指摘してこないこと。

このラリーの時間が無駄だとさえ俺は思うが、一応は書類を手に取り、付箋が貼られた箇所に目を通す。


「…読んだけど。」

『…読んだけど、』

「…何。どこを直せばいい。」

『…はぁ。…それで何も違和感抱かないの。おかしいんじゃない。』



齋藤のストレスポイント2

言い方が嫌味ったらしい。

さっさと指摘してくれれば、こっちだって間違ってた、ごめん。と直ぐに素直に修正できるのに、何故こうも無駄な不快感を与えてくるのか。


「…ごめん、俺は合ってると思ってたし、遠藤さんとも確認しながら作ったつもりだったから。間違ってるなら、教えて欲しい。」

『じゃあ何、さくらのせいって言いたいわけ。』

「違うけど…」

『けど何。…最終的にこの書類で回したのはアンタなわけでしょ。そしてこれを確認して上に回すのは私の仕事。私か、さくらかに責任擦りつけられるから適当に確認もせず回していいって思ってんの。』

「そんな言い方、してないだろ。」

『そんな仕事、してますけど。私達、あんたら営業の尻拭いする何でも屋だと思ってる?違うから。』


齋藤のストレスポイント3

長引くし、とにかくウザイ。


「…だから、そんなつもりはないって。そんなことより早く修正した方がいいだろ。俺も齋藤も、こんなのに時間食ってる方が給料の無駄じゃないか。」

『アンタが適当なことしてなけりゃ、そもそもこんなやり取り始まってないから。』

「起きたもんは仕方ないだろ。自分だって散々ミスしてきた癖に、なんで俺と遠藤さんの時だけネチネチネチネチ…」

『誰がネチネチ言って─────!?』



『わ、分かりましたから…!!ま、間違ってる場所、見つけました。…飛鳥さん、指摘してくれてありがとうございます。ほら、〇〇さん行きますよ…!!』

いつの間にか齋藤のデスクにまで来て、慌てて止めに入ってくれた遠藤さんの声で、我に返る。

俺たちは上がりかけていたボルテージをお互いに押さえつけるように、それぞれの仕事に戻って行ったのだった。


夜9時を回った頃、ロッカールームからフロントに出ると姉さんが嬉しそうに駆け寄ってきた。


『ごめんねー、いつもいつも。…本当助かったぁ。今日だけはみんな期末試験と被ってるからってシフト入れなくて。』

「…まぁ、姉さんにそこまで頼まれたら、ね。」


そう言いながら、俺は彼女が洗い終えたグラスをカウンターに並べる。俺は親しみを込めて姉さんと呼んでいるが、彼女は親族でもなんでなく、単なるこのバーのママ。

学生時代、最初は飲み場所として、そして2年生の後半からは従業員として、このバーに入り浸っていた。

そんなわけで姉さん、本名生田絵梨花、年齢不詳、とはもうかれこれ7年来の付き合いといったところか。

学生当時の彼女との恋愛だったり、サークルのトラブルとか、就活の相談まで、田舎から都会にでてきた俺の親代わりのように、彼女に相談していた。

…と言うよりも、このお店と姉さんの雰囲気が、色んな悩みをさらけ出させてしまう様な不思議な魅力を纏っていた。

そんなこんなで、俺は就職した後も定期的に学生バイトが少ない夜には、姉さんからヘルプ要請を受けて出勤している。

うちの会社は副業が認められていないが、俺がこうして堂々とバーの従業員としてやっていても副業をしているとバレないトリックがこの店にはあった。


──────それは、客は目隠しをすること。


ただでさえ薄暗い店内に、少しばかり大きめに設定した落ち着きのあるBGM、コロナ禍になる以前からのソーシャルディスタンスを保った半個室の座席。そして、そこに目隠しをした客と、従業員。

まず来店客は、受付でバイトの黒服に注意事項(アイマスクを外すことの禁止、等)の説明を受けた後、黒服のエスコートにてカウンターに着く。その後は対面の従業員と思うままに話やお酒を楽しむことができるというシステムだ。


姉さん曰く

『出来る限り周囲の外部情報を遮断して、悩みやありのままの自分を曝け出せる、安らぎの場所』

がコンセプトらしい。

俺が上京したての頃にこの店にハマったのも、まだ周囲に馴染めない環境で、1人で堂々と来られるし、孤独感を埋めてくれる場所だったから、というのが1番の理由だ。

2番目は、偶然バーの閉店後に通用口から出てくる姉さんの姿を見て、視覚情報を遮断するのは勿体ないほどの美人だと知ったからという邪な理由もあるが──────


「やっぱり姉さんは顔出して商売した方がもっと人集まりそうだけど」

『…まぁ、そうかもね。…でもそしたら私達が年老いたらこのお店の魅力って色褪せていくじゃない。視覚情報がないこのシステムだからこそ、このお店の存在価値は続くと思うんだ。』


「…ところで、姉さんって今いくつ?俺が大1から7年だから、当時35と仮定したら今────」


『……』

矢先、ドアが開く音と共に黒服が1名の女性客を連れてシートに着席させた。

黒服が2言3言女性に声をかけた後、半個室の2番シートからカウンターにきて

「2番さん、ハイボールです。お願いします。」

と、丁寧に注文をすると、再びエントランスへと戻っていく。


「…新人ですか。」

『うん、最近入った子。そういえば、君と同じ学部だったと思うよ。』

「へぇ…」


さすがに大学を卒業して3年も経ってしまえば、そこまで上下との繋がりが濃くなかった自分にとっては後輩と言われてもピンと来ない。

もしかしたら、サークルの後輩を辿っていけば、知り合いの知り合いくらいにはなるのかもしれないが。

そんなことを考えている内に、姉さんがハイボールの入ったグラスを俺に差し出し、2番シートを指さした。


女性客だから、お前が行け、ということだろう。これも姉さんの持論だが、基本的には接客に関して異性の従業員を宛てがう。

曰く

『所詮、こんな所でぶちまけたい愚痴なんて、余り話が分からない異性が聞くくらいが丁度いいよ。』と。


俺は「行ってきます」とだけ姉さんに伝えると、そのまま2番シートに着席をした。



「こん──────……今晩は。……初めての、来店、でしょうか。」


自分でも分かるほどに声が上擦ってしまう。


『…あ、…はい。…初めて…来ました…。』

そこに居たのは、元来の小顔を惜しみなく発揮し、アイマスクで顔の大半を覆われた齋藤だった。

声でバレるんじやないか、と懸念したどたどしい声掛けとなったが、途中でやめてしまえばより怪しさがますのでとりあえずは言い切って、着席をする。

「…こちら、ハイボールになります…」

そっと対面に座る齋藤の前にハイボールを差し出すが、あまりにもなれていない彼女は、ドン臭く机の上に両手を乗せてグラスを探していた。

仕事の時と正反対のその姿に、思わず吹き出してしまい、直ぐに手で口を抑える。いつもの癖で、また齋藤が怒り始める、そう思ったのだ。

だが、俺の予想に反して、彼女は恥ずかしそうにはにかみながら

『…ご、ごめんなさい……慣れなくて…』

と、笑った。


「あ、えっと…こっち、…ここです。」


そっと彼女の手首を持ってグラスに誘導しようとした時、キュッと彼女の細い指が俺の手を握る。


「えっ…」

『えっ…』

「あ…あの、グラスを…」

『あ…あぁ…そういう…!!ごめんなさい…あの…あの…何か…そういうお店なのかと…』

慌てふためいた齋藤はパッと、俺から手を離すと、『はずっ……あー、…熱い』と、両手で自分の顔を覆い隠した。


「…大丈夫ですよ。見えないって、結構慣れないと思います。」


『…あ、ありがとうございます…。いただきますね。』

零さないように恐る恐るグラスにまずは唇を当てた後、ゆっくりとハイボールが音を立てて齋藤の喉を抜けていく。

そこからは少しの間、沈黙が続いた。

齋藤はおつまみで提供したナッツを手探りで探し当てると、一つ一つ味わうように口に運んでいる。

願わくば、齋藤が話し続けてくれて、俺は相槌程度の返事で留めておきたかった。何せ、知り合いだから、声でバレる可能性が全くないとは言えなかったから。

けれど、齋藤も緊張をしているのか、あるいはまだ目隠しでいることに慣れていないのか、日中に俺に嫌味をつらつらと並べていた人とは思えないほど、小さく纏まっている。


痺れを切らした俺は、思い切って、質問をした。


「…今日は、何か話したいことや、悩みが合って来られたんですか。」

『…え?…あー…悩み…』

「…そういうお客様が、多いので。」


するとしばらく逡巡した後、指先でグラスの水滴を拭いながら、意を決したように齋藤は口を動かした。



『…素直に、なりたくて。』

「素直に…ですか。」

『…はい。…私、いつからか…ひねくれちゃって。…何か、自分でも自分が分かんなくて、嫌になっちゃって。』


そう語る齋藤の姿には、とても攻撃的な感情なんてなくて、ただひとりのか弱い少女のように写る。


『…いや、本当は分かってるんです。…自分が勝手に空回りしてるって。』

「…お仕事…ですか。」

『公私共に…かな…』


いつしか、齋藤の手元にあった小鉢に入っていたナッツが無くなっていたので、そっと手前に引いてナッツを追加しようと手を伸ばした時、

ナッツを口に運ぼうとした齋藤の指先と、手が触れ合う。


「…あっ、すみませ──────」


刹那、引こうとした俺の右手を齋藤はゆっくりと握りしめた。



『…このまま、でもいい?』

直感的にそう感じるより、そうかと答え合わせするより先に、齋藤が口を開く。


『…〇〇でしょ…』

「……」

『…違ったら違ったで、いい。…ただ私の独り言を聞いてください…』


キュッ…と、齋藤の握った指先に入る力が強くなるのを感じ、じんわりと手汗をかく。


『ある同期がね、ずっと仲良くて、いつも一緒にいて。…仕事でも良く関わってたんです。…でもね、少しずつ営業の彼と、事務の私はすれ違いが起きていって。』

「…」

『すれ違いというより、劣等感だって気づくのに、認めるのに時間が掛かった。…年次を重ねる度に成果を上げてイキイキと成長していく彼と、ずっと事務だけして誰からも感謝されない私。』

自嘲気味笑った齋藤は、そこまで言い終えるとハイボールを一気に空にした。

本当なら、次のオーダーを聞くべきだろうが、今この時だけは齋藤の話を遮ることなんて出来ない。それに、齋藤もそれを望んでいないということは明確だった。


『段々私は勝手に彼に仕事を頼まれる度、"私は、ただのお手伝いさんとして見られてる"って、変なプライドが邪魔をして。…彼のサポートが仕事なのに。…そして私は、…』




『彼の営業サポートから、外してもらうように課長にお願いをした。』



今思い返せば、不自然なタイミングだったと、妙に腑に落ちる。遠藤さんが入社してきて、彼女の教育係という名目でペアを組んだが、それは彼女が入社してからすでに1ヶ月以上経過したタイミングだった。


『…そしたら、何が起きたと思う。』


「…いや、俺には…。」


いつの間にか、俺は素直に齋藤に返事をしていた。


『…その彼が、新しい後輩と仲良くやってるのを見て、1人で寂しくなった。…私じゃなくて、いいんだって。…やっぱり、私はただの…でも……』

そこまで口にすると、齋藤はアイマスクを手で抑える。狭い半個室の2番シートには、小さく鼻をすする音が響いた。






『…私、好きなんだ。…そうは見えないだろうけど。…好き。』


そして、そんなこれまでどんなに明るい場所で目を凝らして居ても、俺には見えていない、真っ暗な場所にひた隠しにされていた彼女の想いだった。


「…齋藤…」


『…〇〇…嫌な同期で、ごめんね。…でも…私には…』





重ねていた手から離れて、伸ばされた彼女の手が、ゆっくりと頬を2度、3度と撫でる。そして俺のネクタイを引っ張った彼女。


カウンターから、少し身を乗り出す形で吸い寄せられた俺に、齋藤は静かに唇を重ねた。



『…私には、これが精一杯。』

真っ暗闇の中、齋藤の姿だけは、愛しいほどに燦然と輝いて見えた。



fin.


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