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最後のTight Hug⑨


夏の朝日に少し汗ばんで来た頃、ひんやりとした気持ちのいい感覚が頬に触れて、ゆっくりと目を開く。


『あ…起きた』

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彼女はすっぴんとは思えないほどの透明な表情を見せながら、俺の頬を優しく撫でていた。


昨夜彼女と触れ合ったのち、微睡みながら彼女と話しているうちにいつの間にか意識を手放していたのだろう。


そしてそのまますっかり彼女の腕の中で寝息を立てて、絵梨花にしがみつくように顔を埋めていたことに、ようやく気がつく。


「…ごめん…その…」


同級生の女子に甘えた形で眠るという、思春期の男としては非常に恥ずかしい姿を晒してしまったと思うと、一気に顔が火照ってきた。



『…可愛い。…○○って、可愛いところもあるんだね。』


いたずらっぽく笑うと、"ほら、おいで。ママですよ。"と、絵梨花が俺の頭を撫でた。


「…恥ずかしいんですけど。」


『……○○、可愛すぎるんですけど。』



弄られてしまっても仕方ないか、と諦める。


それ以上に彼女と共に眠りの世界に入ることが、こんなに幸せだなんて。


これほどまでに安心して眠りに落ち、そして起きた時には胸いっぱいの幸福感に包まれていた睡眠は、未だかつて経験したことがない。


今や俺にとっては、目の前の絵梨花が何よりも愛しい存在で、手放したくなくて、自分だけのものでいて欲しい。


そう思うと、いても立っても居られなくなって、今度は俺が少し強引に絵梨花を腕の中に包み込み、頭を撫でる。


『…ん…○○、暖かい…』


「…夏だから、室温が高くて暑いんだよ」


『ううん、気温じゃない。私の体温が暖かい。…心がポカポカするの。…幸せ…』



「…絵梨花、可愛すぎるんですけど。」


『…真似しないで欲しいんですけど。』



「…絵梨花、…大好きだよ。」


『…私も。…大好き。…』



汗ばんだ体とか、暑過ぎる気温とか、

そんなもの程度では、俺と絵梨花の体を引き離す理由には、到底なりえないくらい。



それほどまでに、彼女とは、心の奥深くまで、強すぎる結び目が出来ていた───────




8月の初旬も終わり、いよいよ夏季の補習も折り返しを迎えた。


夏が勝負だ、という事をいう大人は、どうせ冬が来れば、冬が勝負だ、と言うのだろう。


だから取り立てて、受験生としての夏を意識したつもりは無いが、それでも自分にとって必要な限りの努力は続けている。


─────そう、つまり俺はサボってなんかいなかったわけだ。



「…それ、本当かよ。見せてくれ。」


『あぁ、構いませんよ。何度でも見たらいいじゃん。ちゃんと齋藤飛鳥って書いてるでしょ。』


俺は誇らしげな齋藤から先週受けた模試の成績表を取り上げた。


何度見ても、齋藤の偏差値は夏前から10近く上がっていて、そして気がつけば俺とほとんど遜色のない学力にまで達している。


特に、国語と社会に至っては俺の方が点数が低いくらいだ。


「…これ、どうしたんだよ。」


『…勉強したに決まってるでしょ。今1日15時間わ目標にやってるよ。』


「15!?…俺の倍以上じゃん。」


『塾も行き始めたでしょ、後家庭教師の先生もつけて、もちろん自習室も利用してる。…凄いだろ。』


俺も夏前に比べては着実にレベルアップはしていた。実際に第1志望の合格判定は70→80%に上がっている。


それをも上回る、齋藤の成績の成長ぶりに、度肝を抜かれた。


「…どうしたんだよ、急に勉強始めて。夏前まであんなにやる気もなかったのに。」


『まぁ、理由は2つあるよ。ひとつはいい教師に巡り会えた。…今の家庭教師の先生、医学部なんだけど、頭がいいからさ。…なんて言うの、私の育てかた、分かってんだよね。』


「何だよ、育てかたって」


『褒めて、伸ばす。…私人見知りだから萎縮しちゃうじゃん?…けど、そこを把握して優しく、丁寧に、褒めながら教えてくれるんだよ。…そして、この成績』


俺から再び成績表を奪い取ると、勝ち誇ったようにヒラヒラと紙を再度見せつけた。


「…ふーん。…で、もう一個は…?」



『…あー…もう一個、は。』



少し齋藤の返事に間が空いて、大きな瞳が俺を真っ直ぐに捉える。


「…え、何…?」



『…まぁ、隠すことでもないけど。これ。』


齋藤が指さしたのは、成績表に記載された第1志望校の合格判定欄。



「…あれ、齋藤もここの大学第1志望なの。俺もだよ。」


『知ってるよ、バカ。…だから、第1志望なんでしょ。』

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「……齋藤…俺は…」


『勘違いしないでよ。…ほんの少し、ほんの少しだけ、アンタと一緒のキャンパスライフも楽しそうだなって気持ちがあるけど、そうじゃなくてそもそも私が学びたい文学があるから、ここにしてるだけ。』


「…なら…いいけど。……齋藤、改めて言うけど…俺は、やっぱり真面目に絵梨花と付き合っていこうって決めたんだ。…だから…」



『…大丈夫だって。勘違いなんかしない。…それにアンタが選んだ恋でしょ。それなら私は応援するだけ。…それが私にとって好きな人に出来る、唯一のことなんだからさっ…』



吹っ切れたように笑う齋藤の表情は、


逞しくて、

凛々しくて、


その一方で一抹の寂しさを孕んでいることは、俺には隠しきれていなかった。




絵梨花は学校の補習には出ない。それは、夏の前から変わらなかったし、あの旅行以降も、何度か誘ったが、来てはくれなかった。


だから、基本的には土曜日の夕方だけ、一緒に過ごすことになっている。


「絵梨花が補習に来てくれたら、俺も、齋藤も嬉しいのに。…勉強の合間だって…一緒に…」


俺はベンチに座って絵梨花と手を繋いだまま、公園で走り回る子供達を見ていた。


『ふふっ…私もそうしたいけど、そしたら私は勉強に集中出来ないんだもん。それに、お父様に入れられてる塾がスパルタだから、そこに缶詰状態。』


「…そっか。…絵梨花って、どこの大学行くの。」


『…○○は?』


「俺は東京の坂道大学だよ。…そういえば、齋藤もそこにするって。」


『飛鳥が?へぇ…じゃあ私もそこにしよっと。また3人で遊べるし。』


「…え、そこにしよって、決めてないの。」


『うん、とりあえず勉強はしときなさいって言われてやってたから。特に行きたいところがあるわけじゃないんだよね。…でもまぁ坂道大学なら国立で学費もかかんないし、お父様も認めてくれると思う。』


「マジで…!!じゃあ、卒業してからも絵梨花と一緒に居られるの、俺!!」


『あはは…ちゃんと皆受かったらだけどね。』


「大丈夫、絶対合格する。…絵梨花も油断すんなよ、絶対約束だからね。」


『…うん!』


そのまま繋いだ手を離して、絵梨花を強く抱きしめる。


公園にいる周りの目とか、誰か同級生に見られるかもしれないとか、そんなことは問題にはならなかった。


しばらくして、体を離すと、絵梨花が少し遠くを見ていることに気がつく。


「…絵梨花、どした…?」


『…いや、あの子ね…さっき友達が帰っちゃって、ずっとひとりでボール持ったまま座ってるんだ。』


絵梨花の視線をたどった先には、砂場でつまらなそうに山を作りながら、ボールを横に置いている小学生が居た。


「…行こうか。…遊んであげよう。…俺も昔親の帰りが遅い時は1人で遊んでたなぁ。」


『さすが私の彼氏は、優しいね。』


「だろ。」


手を握って、絵梨花と共に少年の元に行く。


「サッカー、好き?」


少年の隣にしゃがんで。ボールを指さしながら、できる限り優しい声で話しかけると、少年は警戒したように、それでもゆっくりと頷いた。


『…ねぇ、お姉さん達もサッカーしたいな。…3人でボール蹴って遊ばない…?』


「…えっ…でも……」


「お願い!俺らもサッカー好きなんだけど、やってくれる仲間が居なくてさ。…メッシくらい上手いよ、俺。」


「メッシ!?絶対うそだよ〜」


「本当、本当。やってみるか?名前は?」


「しょう!」


「よし、じゃあ俺と翔、どっちがメッシに近いか勝負しよう。」


2人で頭を撫でながら、話していると、次第に少年がドキドキした様子ながらも柔らかい表情になって、立ち上がる。


そこからは絵梨花と3人でパスをしたり、俺1人と絵梨花と翔のチームで、鉄棒をゴールに見立てて見たりしてサッカーをした。


『逃げろー、翔鬼が来たぞー!!』


「まて、翔!!捕まえるからな!!」


「わぁ〜!!」


気がつけば、すっかり日が暮れるまで3人で遊び、ボールなんて関係なく鬼ごっこになっていた。



「捕まえた!」


最後は翔捕まえると、思いっきり抱えあげて、肩車をする。


「うわぁ!たけぇ!」


「だろ?絵梨花よりおっきいぞ。」


「ほんとだ、絵梨花お姉さんちっさい!」


『もぉ!!翔!!怒るよー!!』


そう言いながら、絵梨花と手を繋いで、翔を肩車していると、遠くから母親の声がする。


「こら、翔!!帰るわよ!!」


「やべっ、お母さん来た!!俺帰らなきゃ…!」


肩車から下ろすと、翔ほ母親の元に走っていく。


「あ、翔!ほらっ!」


サッカーボールを蹴って、翔にパスすると、大きい声で翔は笑う。



「ありがとう!!お兄ちゃん、お姉ちゃん。またね!!」


「またな!!」


『バイバイ!』


翔が母親の元に着くと、母親が深々と俺らに頭を下げたので、会釈で返した。


『…翔、可愛かったね。』


「うん。…子どもって、いいな。」


『…私想像しちゃったな。…○○がパパだった姿。』


「…どうだった?」



『…かっこよかった。…この人だなって、思っちゃった。』

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『…俺も、絵梨花の母親姿、いいなって思ったよ。』


そう言うと、彼女の握っていた手の力が強くなる。



まるで、未来まで一緒にいる姿を、俺たちは共有出来ているようで、もうそれ以外の未来の選択肢なんて、絶対に無いと、信じて疑わなかった。



『…○○、お願いがあるんだけど。』


「…何…?」


『…もう1回、お父様と、あってくれないかな。…夏の間に、1度、会いたいってずっと言われてたんだ。』



そういって、俺を見つめる絵梨花に、俺は躊躇うことなく、キスをした。


迷う必要なんて無いし、答えは決まっていた。



俺は絵梨花と一緒にいたい、その為なら、必要な困難は、乗り越えていくんだって。



「…分かったよ。…俺、会うよ。…絵梨花に相応しい人だと思って貰えるように、頑張る。」



その言葉を聞くと、街灯に照らされた俺たちの影はもう一度、今度は小さい影の方から動いて重なった。



to be continued...












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