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自分の性格の話

私は他人から、良く言えば「優しい」「気が利く」など、少し悪いニュアンスで言われたとしても「お人好し」「お節介やき」などという評価になる。よく言われるから、そういう特徴はあるのだろう。ただ私としてはどうもしっくりこない。

こう言うと、「じゃあ悪く言われて友達を減らしたいのか?」という主張なりそうだが、それは違う。笑
寂しがりなのでそれは避けたいとは思う。笑

ここで述べたいのは「なぜ、良い風に取ってくれるのか」ということである。
自分としては、自身の一連の言動を「優しい」とは考えておらず、「エゴ」だと考えているからである。

困っている人、悩んでいる人がいたら、「なんとかしてあげたい」「苦痛を取り除いてあげたい」と思う。その点では優しい人達と変わりないかと思う。
ただ、そこからのアプローチが「根っからの優しい人」と私とで、大きく違っている。

「根っからの優しい人」は、対象の人の悩みを丁寧に聞く「傾聴」を行い、その痛みに「共感」してあげられる。
悩んでいる事柄にもよると思うが、善悪の判断などせず、ただ負った痛みに共感してあげられるのだ。
非常に「慈悲深い〜」と思う。

一方の私は、対象の人の悩みを「傾聴」する。ここまで同じだと考えている。ここからが違う。その痛みに共感することも多いが、そこから「じゃあどうすればこの痛みが無くなるか」を考えてしまうのだ。「早くこの痛みを取り除けるならその方がいい」との考えからこの行動をとってしまう。

この行動は自身の経験からくるものだと考えているので、以下で少しだけ整理したい。
私は小学生くらいまでは「優しい」などと評価されることはなかったと記憶している。自分の見えているものが全てであり、他人から見る自己について意識することはなかった。それが変わったのが恐らく中学生になってからだ。

私は小学校5年生のころからバスケットボールを始めた。プクプク太っていく私を見かねてクラブチームに突っ込んだと言うのが事実だ。笑
とはいえ、運動神経が悪かったことに加え、周りの小学生に比べて身長が大きかったことから、すぐに試合に出てレギュラーで出場することになった。それなりに自信もついており、そのまま中学生になった頃から、上手く活躍出来なくなっていた。最初は他人を責めたりもしたが、よくよく分析したら「自分の責任では?」と考えるようになった。
今思えば、チームメイトにも悪いところはあったのだが、当時の自分は責任を全て自分に押しつけるようになった。そこからは地獄だった。
当然、試合には出たくない。自分が出れば負けるのだから。監督に直談判もした。「出さないで下さい」と。でも聞き入れられなかった。「お前が必要だ」と言われたからである。自分には意味が分からなかった。
当然チームは中途半端な成績で引退することになった。
そこから卒業までの記憶があまりない。完全に「鬱」だった。

そんな感じのまま中学生は終わりを迎え、高校に進学した。幸か不幸か、バスケのチームメイトは1人を除いて全て別の高校だった。その1人から当然バスケ部に誘われたが、入らなかった。いや、「入れなかった」。
帰宅部となった私は、学校から帰ると「迷惑をかけない ◯に方」という検索をよくしていた。生きていたくなかった。夜はそんな調べものをして寝られない日が続いた。それでも◯ななかったのは、「生きたい人が世界にたくさんいるのに◯んでいいのか?」という考えだった。

そこからだった。
「あの時はどうすれば良かった?」「これからどうすれば良い?」と考えるようになった。
時間はかかったが、自分の反省もしつつ、適度に他人に責任を押しつけられるようにもなった。「今後はこうする様にしよう」などと考えられるようになると、心が軽くなっていった。

次第にうつ状態は改善していき、クラスの人たちとも普通に話せるようになった。その頃からだと思う。
「人が困っていたら助けたい、悩みを聞いてあげたい」
と思うようになったのは。自分が辛かった分、他人にはそんな思いをして欲しくないと思うようになった。

そんな頃、ある人が現れた。幼馴染の彼女がその人だ。(現在は元彼女)彼女は私の幼馴染と別れたあともインスタを通じて近況は知っていた。ストーリーから流れてくる彼女の状態は、昔の私とすごく似ていた。放っておけないと思った。
ことあるごとに「大丈夫?」と聞き、相談にのる旨を伝えた。会って話を聞く機会もあったが、その時は気丈に振る舞い、本当の悩みは聞き出せてないように感じた。
その彼女とは現在も付き合いがあり、より深く話ができる仲になったと感じてはいるが、彼女の悩みは解消していないとも感じる。

非常に歯がゆいと共に、不甲斐ない自分を責めた。上述のとおり、「どうすれば悩みや痛みを取り除ける?」と考えると同時に、「解決を過剰に強いることで、自分の現状を再認識するので、より辛くならないか?」とも考えた。つい最近のことである。
「解決したくても出来ない悩みはいくらでもある」「ある程度付き合っていかないものもある」のかもしれないと思った時、彼女に対する接し方を改めようと思い、以下の点に気をつけることにした。

・相手の心情を勝手に判断しない
・何かあればいつでも助けになる
・相手の求めたことのみ対応する


きっかけは与えることはできても、解決できるのは当人以外に出来ない。そう思うようになった時、自分は構えて待ってれば良いと思った。
これで私は真に他人に役に立つ人間になれるだろうか。これが正解というわけでもないはず。これからも改善を続けていこうと思う。

まこを

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