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1/30(日) | 「僕たちはどう生きるか」 対話編 (ゲスト:小川公代)「複数の声」とともに生きる

《オンライントークイベント》

「僕たちはどう生きるか」 対話編
「複数の声」とともに生きる

【出演】森田真生 × 小川公代

【日時】
1月30日(日)
15:00-17:00(開場14:45予定)

*途中10分程度の休憩を挟みます。
17:00からは質問を受け付け、可能な限りお二人にお答えいただきます。

【参加費】4000円(税込)
(申し込み方法はページ下部に記載)

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 二酸化炭素やプラスチック、放射性廃棄物やウイルス……現代の僕たちの思考や会話には、かつて人間の思考にのぼることすらなかったものたちが日常的に侵入し、日ごとにその存在感を増しています。近代の「社会」が、人間(しかも多くの場合「一部の人間」)だけによって構成されるとみなされてきたとすれば、いまや人間だけで政治や経済、社会を動かせると考えることはほとんど不可能です。

 何しろ、人間同士がどれほど話し合い、どんな合意が成立したところで、気候やウイルスは人為的に設定された規則に服従することなく淡々と動き続けます。人間の声にしか耳を傾けない社会では、人間にとっての平和をもたらすことすらできない。このことを、僕たちは気候変動やパンデミックに直面しながら、あらためて学び直しているのではないでしょうか。

 人間の社会はしばしば、同じ人間に対してさえ、一部のものの声を黙殺し、これを都合のいいように制御しようとしてきました。インド人作家のアミタヴ・ゴーシュは、著書『ナツメグの呪い(The Nutmeg's Curse)』(2021、未邦訳)のなかで、ヨーロッパ諸国による植民地支配の時代に遡りながら、一部の人間を「けだもの(brute)」や「未開(savage)」とみなす差別的な思想が、動物や植物、火山や海など、人間でないものの声を軽視し、無力なものとして排除していく態度へ帰結していった歴史を描き出しています。虫や鳥、木々の声を無視し、これを一方的に支配、管理しようとしてきた思想の背後には、意味を生み出すものとそうでないものをあらかじめ区別し、一部の人間を意味を生み出すことのできない無力な存在と決めつけ、これを支配しようとしてきた征服者の思想があるというのです。

 他者を生産のための資源とだけみなす思想の行き着く先は、意味と活力を失った世界です。「他者を阻害し、犠牲にしてまで」(『ケアの倫理とエンパワメント』p.27)強くあろうとする姿勢は、小さく多様な声を抑圧し、沈黙させることで、この地上に生きる意味と可能性まで削っていきます。暴力の連鎖を断ち切るためには、地上に同居するすべての他者を、生産のための手段としてではなく、ともに意味を生み出す共同制作者として、その声に耳を傾けていく必要があります。

 強くあることよりも「依存する」あるいは「関係性を結ぶ」ということ。「ケアの価値観」の根底にあるものを、小川公代さんは著書『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)のなかでこのような言葉にしています。この本の刊行後のインタビューのなかで小川さんは、ケアとは想像力である、とも語っています。

「ケア(care)」という語は古英語の「caru」に由来し、本来は、「関心、不安、悲しみ、嘆き、そして困惑」(concern, anxiety, sorrow, grief, trouble)といった多様な意味を内包する語だといいます(『ケアの倫理とエンパワメント』p.77)。現在の地球環境の危機の根源へと遡っていくとき、そこに見出されるのは、人間の知性や技術の欠如ではなく、むしろ、他者への無関心や、悲しみの抑圧、困惑に対峙することなく闇雲に行動しようとする性急さなど、まさに言葉の本来の意味での「ケア」の欠如であったと気づかされます。

 不安や悲しみ、嘆きや困惑など、生産にじかに結びつくことのない「非生産的」な心の動きを軽視する姿勢の背後には、何が有用で何が無用かをあらかじめ切り分けられるという思想が潜伏しています。しかし、明らかに有用と思える肥料だけを外部から供給され続けた土壌は、植物と菌根菌の共生関係や、多様な微生物の活動を阻害されることによって、結果としてむしろ劣化していくことがあります。生産性の尺度で極端に切り詰められた他者への想像力のもとでは、短期的な生産性と引き換えに劣化していく土壌のように、長期的な生産の可能性そのものがあしもとから蝕まれていく――現代の地球環境の危機は、このことを如実に物語っているのではないでしょうか。

『ケアの倫理とエンパワメント』の第1章で小川さんは、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』について論じる節で、この作品に読者がもっとも心動かされるのは、「生産性のない、あるいは行動が制限されている弱者の内面世界でどれほど多様で豊かな想像力が繰り広げられているかが示されるとき」(p.54)ではないかと指摘しています。

 声の小さなもの、声を抑圧されているものたちが、静かに編み続けている意味の世界の多様さを浮き彫りにする力が文学にあるのだとすれば、いまほど文学の力が求められている時代はありません。樹木や火山、トカゲやキノコ、ウイルスや放射性廃棄物……僕たちは、僕たちとともに生きる無数の他者の声を聞き、これが編み出し続ける意味の世界を、想像し続ける必要があります。僕たちは女性であり男性であり、子どもであり大人であり、トカゲであり人間であり、海洋であり惑星である――一つの声ではなく、複数の声が賑わうなかでこそ、生きる意味と活力を支える物語は、生成していくのではないでしょうか。

 今回の「僕たちはどう生きるか 対話編」では、「これまで語られてきた弱者の物語を共有する」(p.189)営みを通して、「ケアの倫理」に新たな魂を吹き込み続ける小川公代さんをゲストに招き、「複数の声とともに生きる」道を、みなさんとともに模索していきたいと思います。

『ケアの倫理とエンパワメント』は、少し読み進めるたびに新たな思考と読書に誘われ、豊かな道草へ導いてくれる本です。前に進むだけが読書ではなく、立ち止まり、行きつ戻りつしながら、思わぬ寄り道を楽しむこともまた読書だったと、あらためて気づかせてくれます。本書に言及されているすべての作品を読破する日は僕も遠いかもしれませんが、本書から始まるそれぞれの道草の経験を持ち寄り、ともに集えることを楽しみにしています。

 オンラインでのライブ配信となりますが、ご縁がありましたらぜひご参加ください。

2022年1月18日 森田真生 (1月23日、29日に一部更新)
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【お申し込み方法】

当イベントは「Zoom」ウェビナーによるオンライン配信イベントです。
ご参加ご希望の方は下記URLよりオンラインチケットのご購入をお願いいたします。ご購入をもってご予約は完了いたします。

オンラインチケットご購入ページ↓

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イベントの開催についてご不明な点がございましたら、
こちら[lab@choreographlife.jp]まで。担当:鎌田

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