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2020年をふりかえる

今年はコロナのこともあってあまり出かけることもなく、おせちも作っておらず、実家に帰ることもなく、近くの小さな神社に初詣する予定があるぐらいで、歳末感もなく何となくの長期休暇を楽しんでいる風な過ごし方をしてしまっている始末。というわけで今年なにしてたのかなあと無理やりにでも思い出してみようということで、ちまちまとこの記事を書き始めた次第です。

今年は紙文さんが主宰されている「六枚道場」で作品を出したのが最初でした。ご案内のとおり六枚道場は参加者や読者間の感想や意見交換が活発で、この一年いただいた感想に色々おしえていただいたなあと感謝感謝です…。
あとゴッホ展にも行けたのもよかった。まだまだ開催期間あるやんとたかをくくっていたら行けなくなってしまうところだった。これもつよい創作の刺激になったなあ。

で、3月までは毎回作品提出してたんですよね。この時まではまあ順調だったな。ちょうどこのころに乗代雄介さんの「生き方の問題」「最高の任務」をよんで、むちゃくちゃ良くて何回も読んで、なんだかちょっと凹んでしまったという謎の現象が発生。なんだろう、このまま好きに書いていても無駄な努力をしてるんじゃないかとか、何か決定的に欠けてるものがあるなあと、そんな気持ちになってた気がする。

このころに大滝さんのRTした人の小説読みに行く企画に参加させてもらった。以前から興味があって読ませてもらってたけど、自作を精度高く評してもらえるのは(なぜかはよくわからないけど)怖くもあって手を上げられなく、でもこのままじゃなあ…という思いもあって思い切って手を挙げてみた。
このときいただいた感想はいまもずっといきていて、それまでは「書きたいモンを書きたいように書いたらエエんや!」で感覚に頼ることも多かったけども(当然それは否定しないしむしろいい)、その作品が今書かれなきゃいけない理由はなんだろうか?とか、ある語の接続を可能とする場や、文脈/歴史はどういったものがあるだろう?とか考えて書くようになりました。するといままで真っ暗な中進まざるを得ないと思ってたことがちゃんと理解可能な形になって、ちゃんとどこにいるのかが分かった気がする。ありがたい…。

3月末にぎりぎり文藝賞にも応募できた。100枚オーバーの量を定期的に書くと書く行為を継続するトレーニングになっていいっすよね。

4月になって、出向先の親会社から帰任することになって、職場環境の激変とコロナのどうのこうので忙しく、創作にかける時間も気力もなく、2か月ぐらいなにもかけないし、ほとんど何も読めなかった。当然阿波しらさぎ賞も出せずに終わってしまう。
書こう/読もうとしても続かないんですよね、眠たくなったりして。単純に疲れてたんだと思う。

で、ようやく落ち着いてリハビリ的に書いてみたのをまた六枚道場に出させてもらったのが7月。「散弾」がすごくよかったと、嬉しい感想をたくさんいただいて本当に感謝です。

このころようやく会社の方でリモートワークの環境が整いだして、思い切っていいモニターを買った。49インチのバケモノモニターだけど、普通にデュアルディスプレイにするより全然いい。まんなかに仕切りがないので実質3画面ぐらいの作業スペースがある感じ。グラッフィックボードへの負荷も低減できるし、今年最高の買い物だったと思う。
難点を挙げるとするなら、エクセルで作った表を画像にして張り付けなきゃいけないサラリーマンあるある作業の際、表の形式が解像度によってグチャっとなってしまうことぐらいかな。
あとこれでレーシングゲームするのが最高。

8月には話題になった「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」を読んですごく面白くて会社の人に勧めまくった。いつか誰かが言ってたけど、言ってる内容は「イシューからはじめよ」と同じで無駄なコトやめませんか系。読み進めるたび「ほんまそれ」と何度も頷いた。

で、ある程度仕事も落ち着き(リモートワークもできるようになったし)体力・気力ともに余裕が出てきたのでまた100枚オーダーの作品に取り掛かってみたけどダメだった。そのときのへこみツイートが以下。

このときは100枚程度まではするするとお題も決めずに行けるかなと思ってたけどしっかり失敗した。
で、大滝さんの評とか六枚道場でもらった感想等々を引っ張り出して、セオリーを学んでみようかなと思って読みだしたのが「工学的ストーリー創作入門」。

ここで上記の「ブルシット・ジョブ」とか「イシューからはじめよ」とかで言ってる仕事するうえで気をつけなきゃいけないことと、創作で気をつけなきゃいけないことが同じだと気づきを得る。
つまり、何か手を動かし始める前に手を動かす価値はあるのかアイデアを精査しようというもの。手を動かしてカタチを作り上げていく過程で自分自身も制作されるじゃないですか、そうしてみて初めて作られたものの良さが分かったりするもんじゃないですか、みたいな反論もあるし、それは正しいと思うけど、何も創作におけるプロセスが全て相互制作的で主客不可分なドロドロとした状態になくたっていい。あんまりずっとドロドロしてると肝心な自分自身を失ってしまうし、自分を手放して遊んで楽しめるのは、ちゃんと自分に帰ってこれるからで、自分が書いてる/考えているのか、書かされている/考えさせられているのかよくわからないあいまいさを楽しむのも、あまり自分本位に享楽的すぎるのも良くないね…、と考えた次第です。

9月はことばと新人賞にもしっかり落選したけど、六枚道場に作品も出し、それに対しハギシンさんのお師匠さんからすごい文章の応答をいただいた。あれもすごく嬉しかったです…。

で、BFC2があるということで作品を作り始めた。もろもろ反省を生かして初めて構成を考えた。自分の文体が活かせる状況はどのようなものか、その状況にいたるアプローチはどういったものになりうるのか、事前に諸々考えて、実作はほとんど時間をかけなかった。決勝まで行ったなら逐次作品を作る余裕ないなと思って一気に3部作書き上げた。
そしたら予選通過した。

これはうれしかったなあ~。去年あっさり予選敗退してしまって悔しかったのもあって、とくに嬉しかった。
ただまあ、馳平さんが強すぎて1回戦敗退。意外と去年より悔しい。
笠井さんが開いてくれたリモート打ち上げも面白かった。なんか調子悪くて音と映像を出力できなかったけど、皆さんのお話聞けてたのしかったです。コロナが落ち着いたら直接会ってみたいなあ。あとみんな15分で小説はすごすぎ。

そこからは特に作品を書いてますとかできましたとか言ってないけども、以下のツイートにあるように「呪い×SF」で構想中です。

一年通して、仕事の忙しさが少し煩わしいなと思うときが多かった。むちゃくちゃツマラン仕事ではないし、役に立っている実感もなくはないけども、大量のペーパーワークとか、他人のスケジューリングミスに巻き込まれたりとか、あんまり実のある忙しさじゃなかったきがする。
仕事で忙しいのであれば、やっぱり実のあることをやりたいし、形だけの見てくれを整えるのに残業して創作の気力を落としたくない。何となくだけど、仕事も調子がいいと創作もうまくいってるし、仕事の調子が悪いと創作もうまくいってないようなので、仕事もがんばりたい。

いろいろあったけど何とか1年過ごせてよかった。

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