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Look in my eyes

第二回かぐやSFコンテスト
落選作

父さん。青年の覗きこむモニターには、少し驚いたような表情をした男性と、空中で静止している建物の破片と思しきかけらの数々が映る。父さん今日はね、朝から会議が多すぎてさ、まだ三時なのにヘトヘトなんだ。それなのにこれからコードの品質保証計画の打合せまであるらしい。これじゃ技術的な仕事なんてほとんど出来やしない。モニターの男性は表情一つ動かさない。舞い上がる書類やガラス片、背後から差し込む光まで静止している。まあ、ある程度認められたのかなって思うようにしてるんだ、最近は。でもやっぱり理論を詰めてシミュレーションして、実験して世に発表して、っていうのが科学者の仕事じゃない?青年の屈託のない笑顔がやや光沢のあるモニターに反射するものの、観察室として区分された区画内には空調と計算機と計測機器の作動音以外何もなく、整理整頓された合目的的な設備配置とこの会話らしきものの輪郭が強調される。沈黙が少し。
 扉をノックする音が聞こえる。どう?ループ素子の構造解析終わった?昔流行ったバンドのTシャツを着た男が声をかけた。いやまだ、もう少ししたら終わるはずだけど、でもその後のポスト処理も時間かかるから、結果がわかるのは2、3日後じゃない?青年はモニターの電源を切り、自分のノートPCを開いて解析作業の工程表を探し出した。別に工程のフォローしに来たんじゃないよ、と言って男は開いたばかりのPCを無理やり閉じ、椅子を別の机から引っ張り出しどかっと座った。
 期待のプロジェクトだもんな、慎重に行くべきだよな。勝手に期待しちゃって、まだ何とも言えないよ。飯行こうぜ。最近近くに定食屋で来たんだけど、もう行った?
 彼らは観察室をでた。廊下を歩きながら灰色のグラデーションで表現された行先表示に従い、施設内を移動する。あちこちで人が議論をしている。その素振りでわかる。
セキュリティーゲートを越え、広間に出た。研究所の広報担当が団体の見学ツアー客の受付をしている。先頭の方から順に入館証をお渡しします。WエリアからGエリアに進入する際は放射線管理区域への立ち入りになりますので、必ず……。バリケードの向こうでは施設稼働反対の座り込みデモをしている人たちが、警備ともめていた。……おい、押すなよ!下がりなさい、ちょっと……。何に目線を奪われるでもなく、青年は何度も聞いた館内放送が徐々に小さくなるのを耳の奥に残した。
 ——ようこそ、〇〇研究所へ。当研究所では、CCCU、包括的色彩コントロールユニットの解除を目的としたざまざまな研究を行なっております。過去頻発したヒトの色覚認知に伴う空間消失とそれに伴う大爆発を防ぐため我々に施されたCCCUですが、今まで見ていた景色を取り戻すため、安全で豊かな色彩に彩られた生活を目指して、日々研究活動に励んでいます……。

 父さん。青年はいつものようにモニターを除き、そこに映る男性を父として呼びかける。男性もその周囲も静止したままだが、青年の方は少しやせ、目元から疲れがにじみ出ている。今日は紀伊半島クレーターの形成シミュレーションの結果を学会に発表したんだ。まあ、詰めの甘さはあったけど、上々だったよ。そのあとに企業のひとたちから個別に話がしたいって言われてさ、誰かの役に立ってるんだなって少しは実感できたよ。青年は笑った。コーヒーをすする音が仰々しく聞こえる。学会後の懇親会である老教授から言われた一言が思い出される。……父親の後継にふさわしい才能だよ。君の検討は必ずより大きな成果となるよ、きっと。味のしない派手な料理、酔いだけやってくる酒。
 計算した結果だけど、普通の人の数十倍の色彩知覚反応があったことが分かったよ。気怠そうに椅子の背もたれにもたれ、何もない天井を眺めながら、青年はそう言ってから少しの間沈黙した。嚥下されるコーヒーの苦さは、期待されるはずの反応を見せることなく、頭の中を流れる血流が一段と強く、彼を揺さぶる。
 どういう思いで父さんはそんなことをしようと思ったんだろうって、時々思うんだ。こうなることはわかってたはずだよね。母さんのことも。目線は天井を向けたまま、こぼれるような一言が観察室を満たした。排風機の音が鳴る。計測機器のLEDライトが不規則に点滅する。父さんのやったことは許せないよ、やっぱり。青年はモニターをもう一度見つめた。ほぼ睨むような視線は青年自身に跳ね返ってきている。モニターの向こうの男性は全く反応がない。
 父さんはそこで固まったままでからわからないだろうけど、父さんの作り出した特異点の爆発で紀伊半島は8割消失したんだ。母さんは爆発に巻き込まれて死んだかどうかさえわからない。そんな人が何人いると思う?声が少し上擦る。相変わらずずっとお同じ表情のまま見つめる。互いに直視しているのに視線が交わることはない。青年の視界の端に淡いホップアップウィンドウが表示される。同僚からのメッセージだった。打ち上げもう始まるぞ、どこにいるんだ?
 もう行くよ。青年は観察室を出た。

 どうしたんだよ急に。いや、この解析結果を見てほしくて、どう思う?青年は彼の同僚に様々なグラフを見せた。同僚はそれぞれを注意深く確認しながら、少し考えこんだ。
 ……親父さんのことを引きずりすぎだ、ちょっとは休め。青年は語気を強めて反論した。それとこれとは無関係だ!特異点は複数あって一つだけが爆発したのが通説だけど、クレーターの形成から逆算した解析結果だと生成された特異点半径と釣り合わない。少なくとも3つは存在していたはずなんだ……。同僚はモニターに映されたグラフを見ながら、決して青年の方に顔を向けないようにしている。青年の握りしめる論文には以下のような内容が導入として書かれている。……最後の大規模爆発として記録されている紀伊半島消失事故は、特異点の相乗効果によりCCCUの制御なしに環境を視認することを目的とした実験中に起こった事故であり、爆発を起こした特異点は一つ、そのほかのものは蒸散し、そして一つだけが爆心地に残ったとされている。蒸散しなかった特異点は1.49ピコメートルのシュワルツシルト半径であること、その表面は爆発の直前、実験に参加した科学者たちの様が空間ごと凍結していることが判明しており、その様子を観察することで事故当時の状況をより詳細に知ることができると同時に、同様の事故が今後再発しないよう防止策を講じるうえで非常に有益である……。
 新たに青年の父のものと思われるメモが見つかった。それには、負ノルム状態を仮定した量子重力遷移を数値解析的に解くと、5つの特異点の配置が決まり、その状況下においては、特異点の反発による延伸運動によりCCCUの制御を、空間消失の発生を防ぎながら解除でき、かつその挙動は制御可能とあった。そしてそれは青年の解析結果から導き出される考察の内容と非常によく似ており、しかし事故があったという前例から特異点生成によるCCCU離脱に向けた取り組みは全て凍結された。
 ……飯でも行こうか。青年の耳には届いていないようだった。部屋を出て行く同僚には一切の目線を配ることなくモニターを見つめている。
 青年は観察室に入り、いつも通りモニターの電源を入れ、動かない父親の姿を見た。

 父さん。アラートが鳴る。退避命令が出されている。青年はコンソールがいくつか並んだディスプレイを確認し、コマンドの最後の行は実行するか否かが提示されている。青年の手には自らのCCCU解除スイッチが握られている。施設内には誰もいない。爆発が発生したとして、今回生成した特異点の規模から推定するに紀伊半島消失程度では済まない。事態を制圧する警察か何かの部隊も投入されたとのうわさもあったが、いまのところそういった気配はない。青年は、ディスプレイの表示を特異点表面に凍結された事故当時の父親に切り替えた。
 父さん。青年は父親に対し呼びかけ続けた。光円錐の共有していない時空間でどのような呼びかけも届くはずもない。物理的に断絶された親子の間に共有された歴史の上に、青年はまた一つ大きな点を打とうとしていた。エンターキーを押し椅子にもたれかけた。その瞬間武装し銃を構えた人間が、何人も青年のいる観察室へ流れ込んできた。動くな!手を挙げろ!青年はおとなしく指示に従い手を挙げた。プログレスバーは施設作動状況の進捗を示している。96%に差しかかったとき、大きな破裂音と光が青年とその周囲を包んだ。モノクロな世界から白一色となり、すべてが背景に溶け込んでゆく感覚におぼれそうになった。
 「父さん。」
 青年は赤色のボタンを強く押し、CCCUの制御を解除した。

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