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ノンケに囲まれた時の辛さw

前回に続いてセクマイ関連の投稿になります。

「セクマイ当事者において、カミングアウトは必ず必要な事か?」これは10代の頃、自分がレズビアンである事を気づいた時から今までずっと考えて来たこと。

セクマイの中でも色々な生き方があって、周りにカミングアウトをしてない人もいれば、全ての人にカミングアウトした人もいる。

ちなみに自分の場合は、親、会社以外にはカミングアウト済みの状態。
カミングアウトした人とそうでない人との会話の内容は違う。カミングアウトした人の方がより自分を出せられるので、本音を言い合えて、気のおけない関係に発展したりする。

もちろん、カミングアウトしただけでそんな仲になるのではなく、セクマイの存在を特別ではなく、普通であり、セクマイの話題で会話ができる関係であることが前提。

10代までは、カミングアウトしても友達でいてくれる人がいるだけで、「恵まれた」と思っていたし、親にカミングアウトなんて、その後に付いてくる暴力が怖くて無理と思った。

でも、心のどこかには、セクマイの話をするとシーンとなる、自分以外全員ノンケの友達の雰囲気が「あれ」って思えて来て、親に自分を押し殺し続けた20年間以上の人生がもううんざり!になってしまった。

今日は次女の彼氏が家に遊びに来た。しかも本人のご希望で。家族に1万円以上の食事をおごることがめったにない父が、彼に2万円以上のご馳走させてあげなくちゃと言ったので「次女の彼氏が羨ましいですね!自分も欲しいです2万円」って話たら、「じんも付き合っている人(性別:男性)紹介すれば10万あげるよ」と言われた。ああ、不愉快だ。

2年以上付き合っている彼女がいる。彼女とは同じ未来を描いていて、セクマイにとって結婚と呼ばれている「同棲」も計画していたもので(法律的にパートナーになれない現実がまた悲しいけど、それはおいといて。)付き合っている相手を男性とする行為に絶望感と違和感を感じた。

レズビアンであることをカミングアウトして彼女を紹介すると今日みたいに若干お祭りのような楽しい雰囲気どころか、暴力行為が伴った「家庭崩壊」が想像されてしまうだろう。そのような状況を耐えられるか、なんでセクマイだからノンケはしなくて良いこんな悩みまでしなくちゃ行けないのか。違和感と絶望感は膨らみ続ける。

「やっぱりこの家に自分の居場所はない」という事に気づかれてしまう。

ノンケたちのイベント「親戚の集まり」、「結婚式」、「自分以外全部ノンケな集まり」でこの居場所のない気分を毎回毎回感じる。その違和感や孤独感、言えずにいるもやもやがますます酷くなっている。それと同時に親にどんどんカミングアウトしたくなる。

好きでやまない、一緒に未来を描いている大切な人がいることすら言えずにもやもやする気分なんか感じたくないから。

このもやもや感のせいで健康的に死亡に至るようなことは流石にないけど、心がどんどん鬱に蝕まれる気がする。カミングアウトしていない相手には、知らないのが当然の事だけど、何も言えずにいる状態から疲労感が感じられてしまう。

やっぱりこれ以上、自分一人だけ耐えるのは無理がある。今が一人暮らしし始める一番良い時期だと思えて来た。カミングアウトして家族と距離を置くことで、少しは自分で自分の事を守れるだろう。自分の人生を生きなければ。親の人生2幕を生きるために生きている訳じゃないから。

このような事を思って、セクマイとしての人生を生きるためには、親にカミングアウトは必要であると思う。(だが、自分の安全を確保してからした方が良いと思う。安全ではない場合があり得る可能性も考えなくちゃいけないところがもういやになって来るけど)

第一、自分の人生だから。

「親の衝撃」、「家庭崩壊」、「親の喪失感」は親が受け入れる感情の部分であり、それを感じる原因でするその人達の考え方によるものであるから。


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