11月16日CA積極的安楽死(MAiD)を日本で合法化すべきか

記事:朝日新聞(2023年9月3日)『グローブ286号<最期を選ぶということ>』2016年から、カナダでは、医療による死亡幇助、MaiD(Medical Assistance in Dying)が行われている。いわゆる安楽死の中でも積極的安楽死に当たるものである。(消極的安楽死:尊厳死については後述)
カナダで積極的安楽死が認められた背景には、難病患者による切実な訴えがあった。1993年には積極的安楽死をめぐる訴訟が起こされ、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患った患者が死ぬ権利を求めたものの、退けられた。訴えを退けられたALS患者は「自分の死を承諾できないのであれば、誰がこの体を支配しているのか」とコメントを残した。約20年の時を経て、2015年に再び「死ぬ権利」をめぐって訴えが起こされ、医師が死亡を手助けすることを禁止する法律(積極的安楽死を認めない法律)を違憲とした。
ただし、この制度はあくまで患者第一主義を掲げており、積極的安楽死を認める対象にも制限がある。具体的な要件としては、1.カナダの公的医療サービスを受ける資格がある2.18歳以上で意思能力がある3.治療の難しい重篤な病気を患い、自然死が合理的に予見できる4.医師の説明があり、患者が自発的に安楽死を希望している といった要件がある。これらに加えて、「自然死が予期できる」といった要件が撤廃されようとしていたり、精神疾患を抱える患者に対象を広げようとしたりする動きがある。
カナダ以外にも積極的安楽死を認める国は10カ国以上あるが、日本では認められていない。日本では、積極的安楽死は「自殺幇助」と看做されるためである。そのため、中には外国へ渡航し、安楽死を選択する日本人がいるのも現状だ。2019年6月にNHKで放送された番組「彼女は安楽死を選んだ」では神経難病を抱える52歳の女性がスイスで積極的安楽死を遂げる様子が取り上げられた。彼女は積極的安楽死を認めるにはあまりに症状が軽かったが、自然死が予期されることや、日本で安楽死を受けられないために、スケジュール的な観点からスイスでの自然死を選んだという。
今回は、「積極的安楽死(MAiD)を日本で合法化すべきか」というテーマで議論をする。立論者は安楽死(MAiD)を認めるべきという立場で、倫理的な議論はもちろん、日本の社会構造とも絡めて議論した。

議論の前提
なお、今回は議論の前提をいくつか設ける。
安楽死の対象はあくまで患者とし、1.日本の公的医療サービスを受ける資格がある2.18歳以上で意思能力がある3.治療の難しい重篤な病気を患い、自然死が合理的に予見できる4.医師の説明があり、患者が自発的に安楽死を希望している の4つの要件を想定する。精神疾患のみの患者は含めない。
今回は「消極的安楽死:尊厳死」は含めない。尊厳死とは、治療による状況の改善の見込みがなく、死期が差し迫った状況で治療を中止し、自然な形での死を認めることである。日本で合法化はされていないものの、患者本人や家族が延命措置の中止を明確に求めることで、事実上は可能である。
Qヒアリング
A自発性ではないかと思う。他殺になってはいけないという考え方が海外にも多い。
意見・論点
1幸福追求権の尊重
日本国憲法第13条には幸福追求権が定められており、その通説理解によれば人間には自己決定権がある。その発露として、人間は生き様を決定し、全うする結果、最後の生き方つまり、死の迎え方を自分で決定することができると考えるべきである。また、最期の生き方を自己で選択することによって、家族とのお別れや終活を計画的に行うこともできる。
Q日本では高い人権意識など、社会の基盤整備、個人の権利から同調圧力へ
Aリスクはあるが、理想的な制度としてはより対策が必要

2日本の現状との親和性の高さ (医療費)
日本の医療費は増加している。H15年では約31兆円だった医療費は、現在は約43兆円まで増額している。安楽死を認めることで、本人が望まllない延命治療をやめることもでき、医療費も削減することができる。
Qどれぐらい削減できる?具体的なデータ
A200億円ほど(東京都立大学の資料)

Q麻薬の使用量上がったら費用も上がるんじゃない?
A経済的事情よりは患者のことだ重要、それは解決できる。

Q安楽死と医療費は関係ある?逆に減るのでは?
A命の選択としてはその通り

3日本の現状との親和性の高さ(患者家族の負担軽減)
今日の現代社会では介護殺人が一種の社会問題化している。患者家族は肉体的・精神的・経済的に負担を強いられるため、このような悲惨な結末を迎えがちである。能動的に死を選択することは、これらの「バッドエンド」を避けられるのではないか。さらに、患者本人の「家族に迷惑をかけたくない」という意思も尊重することができる。現に、韓国での積極的安楽死の理由として、「家族への負担軽減」が非常に多い。
Q自殺幇助認められる条件→第三者に影響あるから、安楽死認めるべきではないか?
A必ずしも第三者の影響ではない

Q難病患者のケースも多い?
A末期癌患者のほうが多い

4日本の現状との親和性の高さ(少子高齢化)
日本は現在、超高齢化社会に突入している。今後も安楽死のニーズは増え続けると考えられるため、世界一の高齢化率を誇る日本が積極的安楽死を認める合理性はあると言える。
Q高齢化率で安楽死許可すると、本人の意思ではなく国の意思になる可能性は?
A国から圧力だと思っている人も出る可能性はある

5肉体的・精神的苦痛からの解放
ALSを例に考える。例えば、ALSは体が動かせなくなり耐え難い激痛に耐え続けなければならないものの、意識のみは正常であるといった残酷な症状を伴うものである。これらから患者を解放することは合理性があり、13条幸福追求権から大きく逸脱するものではない。

6法整備・医師の保護に関する必要性
日本では積極的安楽死が認められていない。そのため、上で説明したスイスで安楽死した邦人のケースのように、望んでも日本で安楽死を遂げることは不可能である。日本人である以上日本で最期を迎えたい意思が本人にあったとしても、それは認められない。そのため、日本での積極的安楽死を合法化することは患者の意思を尊重することにつながる。また、医師の保護も必要である。2020年にはALSの患者から依頼を受けて安楽死の処置を施した医師2人が嘱託殺人として看做され、逮捕されている。現場で患者と接する機会の多い医師はALSの症状の壮絶さから、依頼を受けて安楽死の処置を施すことがある。このような状況から医師を保護するためにも、明確に合法化する必要がある。
QALS合法化の場合、ALSで安楽死を認めるとALS改善するための技術は発展しないと思う
Aそれに対しての対策は必要だと思っている。

Q生きたい人間が多い。医者の役名は人間を長く過ごせるためにすること。本来人間が持っていることに医者が寄り添えないのでは?
A倫理的な話なので明確には答えがないと思う。社会全体の問題だから
予想される反論・再反論
1本人の意思に反する不当な死を強要しかねない(死ぬ権利ではなく、死ぬ義務の押し付け)
患者に積極的安楽死を強要するケースが増える恐れがある。患者と患者家族の関係性や日本人のパーソナリティ的な要因によって、「本当は死にたくないが、死なないといけない」といったケースが発生する可能性を否定できない。
→積極的安楽死における「患者の意思」に関する要件を工夫することで、ある程度は排除できるのでは。1対1のカウンセリングや、2人以上の医師が関わることで防止することができる。
Q日本の現状のことを考えるとできないのでは?カウンセリング機会の質
A確かに、カウンセリングだけで話すのは無理があると思っている。

Q法律などで安楽死してしまったら、死んだ人は意見言えない
Aその意見に関しては明確に言えない。難しい

Q安楽死後、どうする?
Aカナダの場合、国民によって憲法を変える状況になった。プロセスが重要

2医療機関や医療従事者ごとに、「ばらつき」が生まれる可能性
仮にガイドラインや要件を設けたとしても、例えば、「あの病院は積極的安楽死をしやすい」や、「あの医師はフットワークが重くて結局できない」といったように、医療機関・医療従事者によってばらつきが生じるのではないか。
→ばらつきが生じることはある程度想定される。今回の議論は法整備や制度づくりに依存する議論であるため、理想的な制度設計についても話し合いたい。また、反論とするのであれば、医療機関ごとのばらつきは現在も生じており、取り立てて安楽死のみに限定した議論ではない。
Qどんな状態が末期なのかについての判断は?、判断つきづらいんじゃないかな?
A本人の意思と客観的で判断する。
Q意思確認難しくない?例)外国
A法整備が行てないから

3積極的安楽死は自殺に他ならない
QOLや人権、幸福追求権といった耳あたりのいい言葉で飾り立てても、結局は自殺に他ならない。自殺は倫理的・宗教的な観点からも認められるものではないし、生命は議論の余地なく尊貴なものであるため、積極的安楽死は認められるものではない。

→積極的安楽死を認める要件に、治療の難しさや苦痛の緩和の選択肢が残されていないことが盛り込まれている以上、自殺者における「よりよく生きる余地」が一切残されていないという特段の事情があるため、認められるべきである。また、生命は尊貴であるという事実のみで、未曾有の苦しみを負わせ続けることはかえって生命に対する侮蔑である。
Qよりよく生きる余地はどうやって判断する?誰が?(本人OR家族?)
A本人がする

4延命治療の指標が救命可能性ではなく、QOLへシフトする恐れ、自殺と積極的安楽死の境界線の曖昧化
現在ドミナントとなっている延命治療の指標は、救命可能性、つまり、助かるかどうかである。一方で、QOLの観点から死を選び、生を放棄することは、人生観へ重大な影響を与えかねない。現に、人権意識の高いスイスなどでは自殺幇助が合法化されており、世界各地から自死を求めてスイスを訪れる「自殺ツーリズム」が盛んになっている。自殺幇助団体も存在し、日本人も多くがスイスで自殺をしている。このような価値観の浸透は一種の危険性や社会通念との著しい不和がある。
→人生観・死生観が時代とともに変化することは一概に問題であるとは言えない。AIの台頭・シンギュラリティを目前に、人類には倫理観のモディファイが求められている。
Q将来的に導入する?
A今現在に導入することついての議論

Q安楽死も自殺も合法になるのでは?
A憲法は自殺と安楽死を禁止するということについて確実に述べられていない。

参考文献
Diamond online「ALS嘱託殺人で医師2人逮捕、「安楽死」の議論や法整備はなぜ進まないのか」
URL:https://diamond.jp/articles/-/244172
NHKアーカイブス『彼女は安楽死を選んだ』2019年
厚生労働省『R2年度国民医療費の概況
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/20/dl/data.pdf
東洋経済ONLINE『「安楽死を認めよ」と叫ぶ人に知ってほしい難題』
https://toyokeizai.net/articles/-/367007?display=b
矢島基美(2006)「終末期医療と憲法.」『学術の動向』11(6), 45-49.
松井茂記(2020)「尊厳死及び安楽死を求める権利」『従来の憲法学説の再検討』 (Doctoral dissertation, Doshisha University).
古牧徳生 (2018)「なぜやはり安楽死なのか」『紀要』12, 23-61.

【先生からのコメント】
非常にいいca。人権問題→ある特定社会の価値観や倫理だけで決めてはならない。人権はそのようなものより重要なこと。日本社会では倫理、価値観などを考えて決めると排除される可能性が高い。そのため、前提としてどこの国でもすべての人の人権を尊重する必要がある。


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