立川談志と若林になることはやめた

先週一週間は仕事が楽しくなかった。立川談志やオードリーの若林の思想に影響を受けたのが理由だと思う。「勝手に生きろ」という名言からも推測されるように、立川談志は自分勝手に生きることを美学とした。また、若林は岡本太郎を敬愛しており、その影響もあり、とにかく自分をもって生きることを大事にしている。私は彼らのことが好きだし、思想も凄く共感できる。だが、一人のサラリーマンとして、彼らのように振る舞うことができるだろうか。自分勝手に仕事をしたり、安定よりも自分の気持ちを大事にして仕事を突然やめたりできるだろうか。私にはできない。怒られるのも怖いし、クビになるのも怖い。だからやりたくない仕事を他人に気を使って実施することしかできない。自分の好きな思想と日々の行動にギャップが生じてしまったため、そこに苦しんだ1週間だった。

だが、来週からの仕事を控えた今、自分は何もしんどくはない。自分にとって都合のよい思想や行動をパーツとして選び取り、組み合わせればいいと考えたからだ。先程の仕事の例でいうと、立川談志の「勝手に生きる」というのは「生き方の思想」という分類の「パーツ」として選択し、「日々の仕事」は違う人を参考にしたパーツを選択すればいいということだ。今仕事に対する価値観は「島田紳助」の思想を参考にしている。紳助は仕事は自己表現よりも、攻略するものとしてみなしているきらいがある。漫才やトークを徹底的に分析し、攻略する。これが彼の仕事のスタイルだ。

では「思想」と「日々の仕事」をパーツとして組み合わせるとすると矛盾が発生し、結局どっちつかずになるのではという指摘もあるかもしれない。確かに矛盾する場面は0ではないだろう。でも「思想」を実現するために、「日々の仕事」のパーツを利用するという考え方だとそこまで矛盾しないのではないか。自分が「勝手に生きる」ために仕事を「攻略」する。これは別に一つのやり方としてあると思う。「仕事すらしないのだ。それこそが勝手に生きることだ」という批判もあるかもしれない。私のパーツの考え方から言わせれば、仕事というパーツも「立川談志」というパーツを使用しただけである。なので、「パーツを選び取り、組み合わせる。」という考え方を完全に否定できているわけではない。

真面目な人ほど、「理想の考え」と「自分の行動」のギャップに苦しむかもしれない。でも、人間は多面的な生き物なので、思想と行動にギャップがそもそも生じやすいというバグがある。そんな時は「考えはこの人を参考にしているけど、行動はこの人を参考にしている」とパーツで分けると楽にはなるのではないか。自分の大切にしているものをパーツ単位では守れているので、自分との乖離で悩む度合いも減るだろうし、何よりパーツ化すると色々個別単位で色々アップデートできて面白いと思う。

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