【過去記事】縦横無尽な旅をしたい。


9月が終わり、我が家へ帰る道中に撮った一枚。

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。

私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

                         ーカズオ・イシグロ

東洋経済Online「カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ」
URL: https://toyokeizai.net/articles/-/414929?page=2

 アロは、9月に東京、鹿児島、福岡と旅をした。横の旅である。しかし、同時にそれぞれの場所で縦の旅もしてきた。

東京。パートナーとその演劇仲間に会い、演劇の味を知った。その空間にプロジェクターがなくても、特殊なデバイスがなくても、人間が動くだけで、見えないものが見えるようになる。シーンが生まれる。パートナーのシェアハウスにお邪魔し、自分が住むきらく荘を別の視点から捉えられるようになった。自分から行動しなければ、その場は変化しない。他人任せではいけない。自分が動けば、環境を変えられる。

鹿児島。兄の結婚式が挙行された。結婚するということ、成熟した愛について考えた。兄の友人たちと言葉を交わす中で、「自分を測れる基準を自分の中に持つことの重要性」「人との巡り合い、そしてその人たちと語り合えるありがたさ」を知った。

 福岡。姉の家に滞在し、「まち」について考えた。函館と東京と鹿児島と博多と。どれも変わらない人の集合体。東京は人が多いからできることが多い。仕事の数も多く、インフラも整っている。しかし、東京も一つの街だ。自分たちは、社会というシステムの中で生きているのではなく、自分たちが社会をつくっているのだ。博多では、多くのすてきなお店とも出会った。

「横に広がる世界へ行ける自由」と、「どの場所でもそのとき出会った人々と深く語りあえる力」がほしい。この世界の中で、人とのコミュニケーションの中で偶然の学び、邂逅やセレンディピティをたくさん得ていきたい。そんなことを思いながら見た、帰路の景色である。

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