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大学を卒業した。
覚え書き



大学最初の友達と 終始 会ったり離れたりした。
そいつはとにかく気が良いやつで
学科、サークル、バイトとずっと同じ場所におり
最後まで仲良くしてくれた。
卒業式が終わったあと、そいつが
自分の住む県に帰る直前まで一緒にいた。

入学式直前に知り合った、
正真正銘大学最初の友達で、
私はそいつが大好きであった。

また会いたい。


皆が可愛かった。
私も当然!!!!可愛かったし、
私の大好きな人はみんな可愛かった。
ひいき目を抜きにしても可愛かった。
可愛い……。


先生達に会った。
先生達は「美しいわね……」「綺麗ね〜!」
と褒めてくれたし、

「仕事は無理になったらすぐ!辞めてください」
「精神を壊してまで働こうとしないで」
と体を第一に考えてくれた。

ある方は
「これからはあなた達の時代ですからね
 共に社会を良くしていきましょう」
と仰っていて、
(ああ、社会の先生だ……。)
と思った。

私の学んだ分野では人生を考えることが多く、
そういう点でいえば、
先生方は人生の先生であった。

大学では学びのために「上手くいかない人生」を
沢山目にし、「上手くいかせる方法」や
「軌道から外れても幸せでいる方法」みたいな
ものを考えてきた。

人を救うことを考える分野であったけど、
私や同期は自分の人生と重ねながら
色々な人の人生をみた。

そういう分野であったから
「上手くいかない人生」を体感してきた
学科の同期も沢山いたし、
人生の軌道から外れた人間の救われなさを目の当たりにして社会を嫌いになりかけたこともあった。
これは多分、社会科学を学ぶ人間の多くに
起きることなのだろう。

話がズレるが、大学に入ってから
どうしようもなく嫌なことを思い出した。

端的に言うと社会の不平等さだ。

私の人生は「楽」だった。
いじめを受けたり死のうぜ!って思ったり
したことはあったけど、
生きることは比較的できた。

(嫌なことは死ぬほどあったし!
私は全力で自分を守って生きてるし!
それはそれとしてだけど!)

私は運が良かった。

涙が出れば家族が助けてくれた。
食べ物が無くて泣いたことは無かった。
私は愛されたことがあった。



大学に入って、
ただ単に幼稚な話の通じない奴にも出会ったし、
「運の悪い人」にも出会った。

それは家庭環境であり、経済力であり、
経由した学校の環境であり、
身体の能力であった。

彼らは到底、生存に適しているとは考えられない
環境を生き抜き、私と同じ場所に立っていた。

どうしようもなく力の無い人に出会った。

力強く生きる不運な人にも出会った。

私だけがお気楽に
人に助けられながら生きていることが
嫌だった。



不運な人達は、沢山の人に傷つけられてきたのに
何故か人に優しくて、努力ができた。
幸運な私は傲慢で人が嫌いだった。

それでも私はこの運を手放せないと思う、
保身的な考えも嫌になった。

その人自身のせいじゃない理由で
これからも苦労する人がいる。
それが大変大変嫌である。

なんで平等って無いんだろうね

「共に社会を良くしていきましょう」
と言える人になりたい。
俺は未だ人のために生きたことがない。


とにかく沢山の人と写真を撮りに
歩き回っていて、
こんなに色んな人と仲良くしていたのかと思う。

家族、研究室、サークル達、バイト仲間、
高校の同期、学科にだって友達は沢山いた。

私はそのどれもが好きで、
天才の大学生活???と思っていたし、

サークルの先輩から急に
「まだ学校いる??顔出していいかな」
とLINEが来て逢いに来てくれた時は
普通に泣きかけた。
嬉しい…………。


サークルの同期が可愛うて可愛うて可愛うて。
集まりの悪すぎるサークルの同期が、
仲良し組全員揃った時は感動した。
お前来るんかい!!って背中叩いた。

写真撮影から逃げる先輩を無理やり捕まえた。
写真撮影とか興味無い人達だからこそ、
会えたことが嬉しかった。


先輩たちとは結構会った。
卒業するその日まで先輩にべったりしていた。
人に甘えることが得意になるために大学生活を
過ごしたと言っても過言ではないくらい
人に甘えている。


全てが終わり、袴から着替えて駅に移動した後
死ぬほど水を飲み1人でラーメンと餃子を食べて
帰って寝た。
朝6時に起きてから飲まず食わずで
1日を暮らした。嘘 ファミチキ食った
帰りついたタイミングでサークルの飲みの招集が
かかったが、もはや体が動かなかった。
大学の人間関係の集大成を見た。楽しかった。


大学。楽しかった、辛かった、楽しかった……。
ありがとうございました。


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