畏れ多き栄光:補足

もしかしたらよ?


ジェネリック分かり人

もしかしたらほんとに「分かってる」かも。
それでも私がその「分かり」を自分の力として
捉えないのは「分かり」だけでは足りないから。

人の「好き」とかはさ
情熱じゃん

例外は知らん

音楽への情熱
キャラへの情熱
珈琲への情熱
服への情熱
絵やゲームや物語や料理や文化への情熱

全てを「良いよね」って言う時に
私には圧倒的に情熱が足りない。

身の回りにいる「分かりびと」達は
沢山良さを分かるものが好きで、
なんというか「好きこそ物の上手なれ」的な
順序で良さを分かっていってる。気がする。

だけど私は
「好きな人が好きな物の良さを分かりたい」
と思って良さを考え始めることが多いから
情熱は良さを教えてくれる本人より少ないし、
良いとも好きとも思うけど
鬼ハマることはあんまない。
分かってるだけ。


だからさ〜〜特にゲームとか、

私は言われてやってみて
あぁ、ここがこういいですねぇ
(そうなんだよね!)
合ってた よかった 実際良いしな……。
楽しいもの知れたしよかったな

ってなるところを

ほんとーーに紹介されたものを
全力で楽しむ人がいるとマジでビビるし


その瞬間良さを布教した元の人にとって
私って必要なくなるんですよね


「良さを分かってる人」と
「良さを分かってる良さが好きな人」
だったら私だって後者と喋りたい


私はジェネリック良さ分かり人にすぎない

そしていつも、
本物の良さ分かり好き人は私のそばにいる。

その瞬間いーつも「あっ!」てなって
全部が嫌になるよね
嘘 ちょっと盛った
普通にまあ人と比べて価値が下がりきるので
やだよね


何かにつけて「冷めてる」ってのは
別の課題でもある。
人の幸運に心からおめでとうを言えなかったり
人の不幸に心から泣けなかったり

いやこれは人が誰かによるか
俺らが本屋大賞とったら
1億回拍手するし全力を尽くして奢るわ


だからまぁ、
「こいつほんとは分かってないな」と
「こいつは分かってるだけだな」の
両方が怖いです。

私自身の価値、
いつ考えても「ZERO」に帰着はするんだけどね


自信、あります!

センスないって言ったけど
私は自分が好きなもの全部✨神✨だと思ってる
ので私のセンスはべらぼうに良いです。

でもそれは良いものを生み出した
アーティストやストーリーテラーの弛まぬ努力と
巡り合わせの幸運によるものであり
私自身の力ではない。

けど「センスない」って言ったら
私が好きな物たちが
「センスない人に選ばれたもの」
になっちゃうから
私にはセンスがある。すげえある。1tある。


俺の話

じゃあお前自身が好きなものについて
言葉を尽くして語れば「情熱」あるじゃん

って思うじゃん

やだよ

分かってくれなかったらどうすんの

勝手に語りはしますけど、
私の好きな物について人と分かり合おう
ってほとんどしないと思う。

基本的に人というものを信頼してないのと
「私とあなたのセンスは違う」
と思ってるから

だって私の友達って全員センスいいびとだよ??
彼ら彼女らに認められなかったら
私どうしたらいいわけ???

分かり合えるとも思ってないのに
分かり合えなかったら死んじゃうんだよ??
分かり合おうとするわけないじゃん

勝手に好きなところは語るけどさあ

いやみんな別に分かり合おうと思ってないのに
私が勝手に良さの本質を掴もうとして
分かり人になろうとしてるだけ?
それで「分からん」とかいってるだけ??

そっか…………。


たのしい

再三言いますが、
人と「良さ」を語るのほんと楽しいんですよ
だから良さを掴もうとするし
そういう話いーっぱいする!

だけど同時に恐怖も感じてるよ
ってだけ。

みんな、これからも私に「良さ」を
たくさん教えてくれ

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