人生で唯一必要なくて良かった時
私は人にとって必要な人間ではない。
というものが基本理念としてある私、
誰にも必要とされずとも私が私を必要としているさ、と慎ましやかに(大嘘)暮らしている訳だが、
1人だけ「この人には私という存在が居た方がいい(って言ってもいいかも)」という友達がいた。
いる?いる。
言い換えると1人だけ私のことを好いてくれると確信できる人間がいるということなのだが、この度それが私の中で不安定な考えとなった。
んだけど不思議なことにあんまり困っていないというお話をします。
私の脳内整理用記事
基本理念
私は人にとって必要ではないし、
必要だとされた場合多くは誤解である。
というものが私の基本的な考え方なんだけど、
普段からこんな冷酷な感じで生きてる訳では無い
色んな人が関わりを持ってくれているし、私の一部分を認めてくれたり面白いと言ってくれたり、中には「友人」「仲のいい人」と思ってくれる人だっている。私も彼ら彼女らのことは大好きだ。
ただそれが「私を必要とされているか」
という話になると、答えは明確にNoと出る。
理由はひとつ、私が死んでも彼らは死なない。
これは少し極端な表現だが、私が死んだことで一生引ずる後悔や寂しさを持つ人は居ないだろうということだ。
これは私の中の考えであり、私のことを好いてくれていて「死んじゃやだ!!!」って思ってくれている人がいたらすごく失礼な話ではある。んだけどどうしてもそう帰結するんだよね。
仲良い人が死んだら死んだで、その世界で生きていくよ人は。
ついでに言うと私を「1番の友人」もしくは「1番大切なコミュニティの1人」と考えている人がこの世にいるとも思えない。
私には良くて副次品程度のクオリティしかないので
人はうまいこと生きていく。
私の上位互換で代用はたくさんできるし、
それなりにウマが合えば私と過ごした時間以上に他の誰かと絆を結ぶことができる。
必要とされた場合が誤解、というものは
私が恋心を信用していない点にある。
恋人は代用不可、ってのは私の中では成立せず、
次次!もっといい人探しな☆と思うんだな。
私は好きな人への恋心を失った瞬間冷めるどころか凍る人間なので恋人は唯一絶対必要!みたいなのに全然共感出来ないんだよね。だって冷めたら冷めるじゃん。みたいな。つたわれ
そんな訳で私を必要とする人間はこの世に居ない
これはそんな悲観的な話ではなく、
私を必要とする人間はいないけど
それなりに人と仲良くして生きている。
友人たちを信じていないという話ではない、
ということを了承して欲しい(?)。
そもそも私の友人にこの話をした場合
「居なくても死にはしないけど居た方がいいとは思ってるよ」
という信頼に値する優しい返答である場合が多いく、もうほんとすんごいありがたいすんごいありがとう。
必要じゃない私を近くに置いてくれる人、
本当にありがたいと思って生きている。
ありがとう。
例外
私基準で考える、私のことを必要としている人。
いないと言ったが例外もいる。
それは「親」そして「兄弟」だ。
親にとって数十年をかけて育てた血の繋がった子供は私とその兄弟しかいない。
私を兄弟で代用することも、あまりにもそれぞれと築いた違う繋がりが深いために不可能だろう。
何より両親は「私が死んだら一生悲しむ」と確信できる。
兄弟にとっても同様。自分にとって兄弟の替えがきかないように兄弟にとってもきかないものだと思っている。
これは少し親よりは弱まるが、最近兄弟と話す機会も多少あって「私はこの人にとって存在した方がいい人間なんだな」と思えている。
何なら私は兄弟にとっての存在価値すら疑って生きている。替えのきかない関係性の対象が私なんかでよかったんだろうか?
ここまで読んでわかったかもしれないが
「必要とする」のハードル高すぎ!!!!
むしろ乗り越えてきたヤツ怖すぎ!!!!
必要でもないのに遊んでくれる人達優しすぎ!!
人類愛!!!!!!!
インシデント発生
そんな私にも「必要とする」まではいかずとも、
私という存在が「いて欲しい」くらい思ってくれているだろうと思っている(重複表現)友達がいる。いた?いる。
要するに私を大事系の友達と思ってくれている。
と思う人。
本当のところはこの人もこの人以外も分からんけどね
が、そうでも無いかも!と突然思った。
なんで思ったかは分からない。
なんかの対応が冷たいと感じたのかな?
普段連絡取らないから分からないんだが
突如私は何となく不安になった。
彼女にとって私、もう要らないんじゃないか?
証拠も論拠も無い思いつきは反証もなく、頭を占める。そして色々と考えた。むしろなんで私は彼女にとって不変の友達存在だと思っていたんだろうか?
これについては、
そうか、彼女にとっては昔の友人のひとりであり
もう心の深いところには居ないのかもしれないな……
という、仮定に仮定を重ねた結論が出た。
しばらくは一丁前に落ち込んでみたり
孤独感とダンスしてみたりしたが、
ある日突然また思いつく。
それってすごく幸せな事じゃないか?
しばらく前まで(私の脳内では)確かに私を必要としてくれていた彼女が、私が居なくても幸せに生きていけている。私の上位互換とさらなる絆を結んだか、自分の力で立てる力が強まっている(そもそも深い悩みを相談しあう様な仲ではなかったが)。
私のいない幸せを彼女が手に入れていることに嫉妬は驚く程に無い。寂しさは少しあれど。
彼女が、私などという欠陥品を頼らずとも幸せを掴めているのであれば私が悲しむ理由がどこにある?否、どこにもない!、!!!!
という結論に、本心から至った訳である。
ほんまにこいつは
はい。冷静では無いですね
頭がおかしいと思います、大事な友達からの評価順位が下がったんだからもうちょい悲しめや
しかも評価順位が下がったかどうかも不確かだし
ただ、この結論に至った時天啓を得ましたね
「これが友愛」と。
何を言ってるダァーーーーッ!
なんというか、全てに対するハードルが高い。
もはや彼女に対する考えは客観的に見ると親からのものに近いと感じます。
私が居なくてももう生きていけるのね、と。
そこにしがみつこうという思いよりずっと彼女の幸せを喜ぶ思いが強い。みたいな。
そんな考えをさあ……人が皆友人に持ってるわけないじゃん……。持ってたらこわいよ……。
でも私はこの考えに対し、確かに「友愛感情」と感じた。
だから私の「友達」ハードルはえらく高いし
人はすぐ私を忘れると思っているわけですね。
私は友人みんな、彼女と同じくらい大切です。
相手はそうじゃないけど。
彼女は一度そうであったと勝手に思い込んでいるわけですが、それがあったからといって何をどうして「私がいらないことが嬉しい」になったのかは分かりません。
屈折しすぎて何処までにも光が通らない。
私の言ってること、伝わっていますか?
哲学者の発言みたいになってる???
一つだけ分かって欲しい……。
知り合いの読者の皆様はすんごく大切な友人です。私にとってはね。
今度はこの記事を踏まえた上で「命の死」と「関係性の死」について書きましょうかね〜
美奈脳内屈折友人関係概論1のレジュメは以上です。お疲れ様でした。
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