「ギターの音量と響きの力学」プランティングをした場合の弦の初速度の試算

<ハイライト>ギターの弦の振動は減衰振動です。どのような音量になるのか、どんな音色がするのかという弦の振動現象は、振動発生時のその最初の時点で確定します。つまり、弦の初速度により、その後の音量、音色等の殆どの振動現象が決まります。

ギターの5弦を指先で1cmほど押し下げる動作(プランティング)を行った場合に、弦に発生する初速度の大きさを計算しました。プランティングを実施した場合の弦の(振動に関する)初速度はv=6.053(m/s)でした。一方、単なる爪弾きの場合、弦に発生する初速度は、指の関節まわりの筋肉の伸縮運動により発生する指先部分の回転運動の速度です。どんなに速い動きでもv=0.1m/sのほんの数倍レベルです。

つまり、プランティングを「する」「しない」によって、弦が振動を開始する際の、初速度の大きさが数十倍違います。これは音量や響き(倍音の発生量)、および、音色のコントロールのし易さに大きく影響します。

------------------------------------------------------------------------
【以下は計算過程を含めた解説です。もしご興味がございましたら、是非ご拝読頂けますと幸いです。なお、長文です】
(仕事が一段落しましたので、久々の理論解析です。式の展開等の面倒くさいことは極力省きました。ここでは「プランティングをする意味」について、力学面から理論的に解説しています。数値等は飛ばして結構ですので、もしよろしければざっと見て頂けますと幸いです。)



昨年末から「指の腹弾き(指頭奏法)」で練習しています。当初は爪が根っこから割れたので、仕方なく「指の腹弾き」を始めました。爪弾きの場合は弦に爪を当てて音をだすので、少々弾き方が拙くてもちゃんと音が出ます。指の腹弾きの場合は、指先で弦を捉えて、通常通り弾いてもほとんど音が出ません。指先の指紋が弦を「かする」際に「カサッ」という小さな音が出るだけです。


「指の腹弾き」の場合は、指先で弦を捉えて、その後弦をサウンドホール側に深く押し込む、いわゆる「プランティング」の動作をいちいち丁寧に行う必要があります。つまり「指の腹弾き」の練習をしますと、(普段はおそらく気付かないままでしょうが)自分の弾き方の「悪い癖を矯正」することができます。


ところで、弦を弾いて音を出しますが、指先が動いて、弦が動きはじめます。では「弦がどの程度のスピードで動き始めるのでしょうか?」ギターの弦の振動は減衰振動ですので、つまり、弦の初速度の大きさは、とりもなおさず(その後で発生する)楽器から聞こえる音量やその響き等「弦の振動現象のすべて」を規定します。プランティングをしないで、指先の動きだけで弦を弾きますと、弦に与えられる初速度は0.1 m/sの数倍程度です。どんなに高速なトレモロであっても 0.5 m/sに達することはないでしょう。


では「プランティングをちゃんとした場合、弦の初速度はどのくらいになるのでしょうか?」
かようなプリミティブなことは、弦の振動の話を議論する場合の、つまり、楽器から聞こえる音の音量、音色、響きを斟酌する場合の基本事項のはずです。ところが、これまではどうも一切計算されたことがないようです。あくまで参考ですが、力学の計算式と弦に関する数値を使いまして、プランティングをちゃんとした場合について、弦を弾いた際の弦の初速度がどのくらいになるのかを『ちゃんと』試算してみます。


プランティング動作で、弦を1cmほど押し込んだ場合について計算します。張力についてのスペックの記載があるプロアルテのノーマルテンションについて考えます。この場合、弦が引っ張られて、弦の全長にわたり均等にひずみエネルギーが蓄えられます。ひずみエネルギー量の計算は、簡単なばねの式で計算できます。


サウンドホール位置で、5弦をプランティングして1cm押し込めますと、三角関数を用いて求めますと、弦の伸びdL=0.43295mmです。5弦の張力は7.21kgfであり、これをSI単位に換算しますとF=70.7301N(ニュートン)です。弦に蓄えられるひずみエネルギーは、張力Fと弦の伸びdLの積ですので、その大きさはW=0.03062J(ジュール)となります。この弦に蓄えられるひずみエネルギーWが、運動エネルギーUに変換されることにより弦に振動が発生し、音が聞こえます。つまり、この弦に蓄えられるひずみエネルギー量の大きさは、その後、ギターから発生する音量を規定する最重要ファクターです。


プランティング後に瞬間的に指を外して、除荷しますと、プランティングにより弦に蓄えらていたひずみエネルギーが瞬間的に解放され、弦に振動(運動)が発生します。実際には、引っ張られた弦に蓄えられたひずみエネルギーが急激に解放される際に「衝撃荷重によるインパルス波形が発生」し、インパルス波形に含まれる広帯域の周波数成分により弦が共振して、弦にいろんな周波数の振動が同時に発生します。

500年ほど昔にガリレオ・ガリレイのお父さんが考えた弦の振動理論を、現在でも高校や大学の物理等で教わります。音大や楽器メーカーもこの古典理論を正しいものとして使っています。この理論は概ね正しいのですが、ただしこれは古い理論なので、残念ながら基本的な問題設定に関して若干誤りがあります。当時は応力波の伝播や衝撃荷重に関する概念がなかったからです。

この理論では「弦に変位等を与えて振動を発生する」との考えに基づいていますが、実際の弦の振動現象では、弦に変位を与えて振動を発生させているわけではありません。実際には「衝撃荷重によるインパルス波形が、瞬間的に全弦長を同位相で同時に叩く」ことで音が発生します。ただし、ここでは単純に、ひずみエネルギーWがすべて運動エネルギーUに変換されるものとして計算します。

ここに、弦の線密度は2.571429g/mでした。弦長は650mmなので、弦の質量はm=1.672(g)です。運動エネルギーの式はe=0.5×mv^2なので、この場合、ロスがない条件で計算しますと、5弦に発生する初速(弦全体での平均速度)はv=6.053m/sとなります。

もし爪弾きの場合ですと、指の関節の動きで出せる速度は(測定値がないのでわかりませんが)おそらくプランティング時の速度の1/20~1/100位と思われます。

この試算結果によりますと、プランティングを丁寧に実施するかどうかで、弦に発生する初速度が20~100倍ほども大きさが違う(可能性がある)ことがわかります。この数値の違いは、とりもなおさずギターから聞こえる音量と響きの違いになります。

それならば、「プランティングをすると、プランティングをしない場合の20~100倍の音量になるのだろうか?」とお考えになる方もいらっしゃると思います。このご質問はとても良い着眼点です。実際には20~100倍もの音量にはなりません。と申しますのは、弦に発生した初速に関する「運動量の大半は、瞬間的に散逸して消えてなくなる」からです。それは、振動開始時の、まさにその瞬間における初速の運動量のなかには、あらゆる周波数の振動成分が含まれています。ところが、弦の基音の整数倍以外の振動は、弦の両端でのわずか数回の反射時に相殺されて急激に減衰し、およそ100マイクロ秒後(1秒の1万分の1)には完全になくなってしまうからです。

しかしながら、個々の基音の倍音成分に関しまして、音の元となるもともとのエネルギー量が大幅に違いますので、プランティングをする場合の方が、音量が大きくなりますし、響きも豊かになる。また、演奏者からしますと、音色や響きに関する操作性も遙かに有利と考えられます。


話を戻しますが、先般ライブハウスのイベントで演奏したところ、手が少し汗ばむとまともに音がだせなくなくなりました。高音弦がナイロンでできているのですが、指先が滑ってうまくプランティングできなかったからです。指の腹弾きでは、指先で精度高くピタリと弦の芯を捉えてタッチしないと、ちゃんと聴ける音になりません。爪弾きの場合よりも。ごまかしが効きません。

先般少し汗ばんだだけで上手く弾けなくなったのは、言い換えますと、現状の弾き方では「弦の芯をしっかり捉えていなかった」ということになります。つまり、丁寧にプランティングするだけでなく、ちゃんとした音をだすには「高精度に弦の芯をとらえて弾けるようになる必要がある」ということです。

そろそろ爪を伸ばして通常の弾き方に戻すつもりでしたが、弾き方を矯正するために、もうしばらく指の腹弾きを続けることにします。