面影がそこにある限り。想いを向ける人がいる限り。

アタシは人の死について
あまりネガティヴに捉えないほうで

確かに身近な人がいなくなった瞬間は
慟哭して、その身が焼かれて灰になるまで
後悔やらなんやらで張り裂けそうになるんですが

実際に火葬が終わってしまうと
もうどうしようもないよねって
スイッチが切り替わって
あとは気持ちも上向きになります。


それは薄情なんじゃなくて
いなくなってしまった人に対して
いつまでも嘆き悲しんでたら相手が可哀想だし
泣いてたってあとの色々な片付け作業するのに、冷静な判断つかないでしょ、と。


でもそれは逆にそう自分に言い聞かせて
張り裂けそうになる自分を
どうにか軌道修正させたいという
マインドコントロールなんだと思います。
(実際思い出しては泣いてしまうし)


で、いなくなってしまった人は
本当にいなくなってしまった訳じゃなくて
何処かにはいる、と思ってます。

霊的な何か、と言うか
別にオカルトに心酔してるわけじゃないけど
ふんわりと、いればいいなぁ、みたいな。



なんて言うのかな


こーゆー時に あの人だったらどー言っただろうか?
とふと思って、しばし思いを巡らせると
その人の声で「こーすればいいよー」みたいなのが降ってくる
…みたいな。



あとは、お墓掃除をしてると
カエルが墓石に乗ってきた、蝶々が飛んできた
みたいな時に
あ、来たん?会いに来たで?と話しかける
…とか。



その人が好きだった場所に立ち寄ったり
大切にしてたものを手にした時に
思い出に耽って
会いにきたよ、話にきたよ、こっちは元気だよ
とポツリと現状報告する、みたいな。



いるのかいないのかは別として
その場所や物に
その人の面影を投影して
それと対面する、みたいな感覚です。


実際にその人の魂がそこにいるかどうかは
アタシも分からへんけど
いてほしいなぁと思うことで
本当にその人は いてくれる、とは思います。
こっちが忘れない限りは。



要するに、自分の心の中に その人は生きているということですよね。


でも本当に気配を感じるくらい
その人が いそうな時もあるんですよね。
きっといるんでしょうね、そこに。


それはオカルトみたいに
ちょっと眉唾な
下世話なものではなくて
(オカルトも好きだけど)


ふわっとした、優しい気持ちというか。


そこにいてくれるなら
いつでも会いに行けるし
ずっと哀しまなくてもいいよね

みたいな明るい気持ち。



愛犬を亡くした高校生の頃
可哀想な亡くしかたをさせてしまったので
ずっとずっと泣き暮らしてました。


でもある時、なんでもない時に
そこにいるかのように 心の中で話しかけた時に
なんかアクションを返された気がしたんですよね

それをきっかけに
アタシは泣くのをやめました。
そこにいてくれるなら、大丈夫だわ、と。



不思議な感覚ですが
でも、あるあるかなと思うんですよね。


神社やお寺に行って
お参りするのと同じ感じ



神様や仏さんは
実際にそこにいるのかもしれないけど

禰宜さんやお坊さんが毎日綺麗にしたり
参拝する人が熱心に 心を向けたり
いろんな人の思いがそこにあって
それが何年、何百年、何千年とそうされてきているから
だからこそ「いる」んだと思ってます。


それが 人一人であっても
同じことだと。

思いを向ける人がいれば「いる」


そんな風に思うのです。




ではでは。



Rockin’ Butterflyでした🦋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?