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キジトラのこと

出会い

今から20年前の話。
彼女は身動きの取れない状態で保護された。知人宅の農機具倉庫に仕掛けられたネズミ捕りの鳥もちに掛かっていたという。罠に掛かり相当暴れたのだろう。頭頂部と背中の一部を除いて全身の毛という毛にそれが絡み付いていて、身動ぎも出来ない状態だった。かろうじて腹部が規則的に動いていて、呼吸のみが確認出来た。
『とにかく(鳥もちの台座から)引き剥がさなければ』そう思ったが、僕はその術を知らなかった。とりあえずお世話になっている獣医師に電話で相談。すると小麦粉と植物油で取れることを教えてくれた。急ぎ小麦粉とサラダオイル、歯ブラシ、たくさんのタオル、それに猫用シャンプーを用意した。
鳥もちに粉をまぶし、粘着きを減らしつつ、指で丁寧に剥いでいく。一刻も早く彼女の身体を解放すべく、台座に貼り付いたお腹側を中心に攻めた。およそ30分後、なんとか台座を取り除き、彼女の身体を持ち上げて驚いた。その身はあまりにも軽く、身体中の骨の感触が手に伝わってきた。体温も低かったかもしれない。どれほどの間、この状態で頑張っていたのだろう。引き剥がしても暴れることも出来ず、うなだれている姿がとても痛々しかった。
粗方塊を取ったところで更に粉をまぶし、そこに油をなじませつつ溶かし取っていく。体毛に絡み付いた鳥もちも、歯ブラシを使いながら少しづつ、しかし確実に取っていく。そこから更に1時間を掛けて、鳥もちが手に貼り付かない程度まで落とした。
『衰弱した状態でシャンプーしても大丈夫だろうか...。』そうも思ったが、とにかくこの酷い有様から解放にしてあげたかった。洗面器に湯を張り、シャンプーを入れて泡立てた。その中に彼女の身体を横たえ、丁寧に揉み解しながら洗った。洗っては流し、湯を張り替えてシャンプーし、再び流し...何度繰り返したか覚えていないほど時間を掛け、鳥もちと油分を取った。完全に綺麗にしてあげることは出来なかったが、それでも自由を取り戻した彼女は、僕の手から逃れようと小さな抵抗をした。湯で体を温めたことが功を奏したのかもしれない。『この子には生きる意志がある』僕にはそう感じられた。
口の中を確認してみると、前臼歯がまだ生え揃っていなかった。恐らく生後1~1.5カ月程度。離乳時期ではあるらしかったので、ウエットフードを与えてみたが全く興味を示さず。水は舐める程度だが少し口にした。

病院へ

先程電話した獣医師に、すぐに連れてくるよう言われていたので、急ぎ病院へ向かった。やせ細り衰弱したその様子から、栄養失調状態であることは素人の僕でも想像に難くなかった。簡単な診察をするなり即刻入院となり、点滴と全身の検査を受けることになった。
「かなり深刻な状態だと思います。ここ数日が山場でしょう。」医師は僕にそう告げた。どうにもしてやれないもどかしさに後ろ髪をひかれつつ、僕は彼女を医師に託して帰路につき、とりあえず報告の電話を待つことにした。
翌日のお昼頃、医師から第一報が入った。検査結果はやはり深刻な脱水と栄養失調。外傷や内臓損傷はないが、耳疥癬と条虫が見つかり、いわゆる猫風邪にも罹っていた。点滴の効果のほどはまだ認められず、食事を摂れていない状態とのことだった。
「とにかく体力の回復を優先し、本格的な治療は後回しにします」僕はそれを了承し、ただただ彼女の回復を願った。
2日目、3日目の連絡では小康状態が続いていたが、4日目に明るいニュースが飛び込んで来た。
「脱水が改善し、状態は少し上向いています。当面の命の危機は脱したでしょう。今日はミルクと離乳食を口にしました。」
前日までの様子を聞き、どこかで覚悟し始めていた僕の心に、一筋の光が差した。

良い子

それから3日後、一週間の入院を経て彼女の状態は安定し、晴れて我が家へやって来た。書き忘れましたが、僕はこの時すでに迎える気満々です(笑)
用意したケージに彼女を移すと、早速中を歩き回り嗅ぎまわり、入念に環境チェック。多少戸惑いつつも、お菓子の小箱に敷いたタオルの上で横になった。僕の作った寝床は、とりあえず合格のようだ。暫くウトウトした後、再びそわそわ動き始めたので、トイレに導いてみると...ここがトイレであると一度で認識したらしかった。
食事はミルクと離乳食を与えたが、彼女はミルクの方が好みだった。だから先住の黒猫の時と同じように、仕事の合間に帰ってはミルクを与えた。体調が回復してくると食欲は旺盛で、見る見る成長していった。縦に伸びるより横に(笑)
性格は穏やかなようで、ケージの中で出せ出せと暴れることも、ミャーミャーと鳴き続けることもなかった。黒猫が取り分けヤンチャだっただけに、とても良い子に思えた。病気の治療とワクチン接種を経て、我が家に来てからおよそ1カ月後、彼女をケージから解放した。

キジトラの日常

これまでの様子からは想像もつかなかったが、彼女は大層甘えん坊だった。座れば膝の間に、寝転べば胸の上に、歩けば足下を常について回った。お風呂に入れば脱衣場の中で待っていたし、トイレの中にまでついて来た。
極めつけは電話をしている時だ。他の誰かと話しているのが気に入らないのか?僕が電話を切るまで鳴き続けた。長電話が過ぎると、口元と受話器の間に鼻先を滑り込ませてきて、そこで大声で鳴き叫ぶ。それはまるで“早く電話を切れ”と言わんばかりだった。
そんなべったりな性格の彼女だったが、抱っこは苦手だった。抱き寄せると十秒もしないうちに身をよじらせ、頬を寄せようと近づく僕の顔を両手で突き放した。そんな仕草も可愛くて、嫌がる彼女を他所に何度もやってしまうのだけれど(笑)彼女のそれは、罠に掛かって身体の自由を奪われたあの忌々しい経験からくるものではないかと、僕は思っている。
そんな彼女も、成長期の猫の通過儀礼は一通りこなした。足下からのよじ登りにカーテン・クライミング。棚の上のものを落として歩きもしたし、背中を丸めて横っ飛びする可愛らしい威嚇行動もした。猫じゃらしとレーザーポインターが大好き。コロコロの身体に似合わず俊敏で、猫本来の身体能力の高さも垣間見せた。ただ基本的には大人しく穏やかな子で、いつも僕の傍らにいた。

黒猫の憂鬱

彼女は先住の黒猫も気になっていたようで、頻りにちょっかいを出す。尻尾にじゃれついてみたり、目の前まで走って行ってはイカ耳をキメて横っ飛びしたり。神経質で気難し屋、おまけに臆病な彼は、その度にビビッて飛び退く。後ろから迫っていることに全く気づかず、不意を突かれて1m以上飛び上がることも(笑)憂鬱で仕方ないさまが、彼のジト目や怪訝そうな態度に表れていた。彼も猫パンチで軽く応酬することもあったが、そこはまだ仔猫のこと、全く動じず何度も何度も繰り返す。食べる寝る遊ぶが仔猫の仕事とはいえ、よくもまぁ飽きずに続けられるものだ。そんな落ち着かない環境に堪りかねた彼は、遂に自分だけの安全地帯を見つける。冷蔵庫の上だ。遊び相手、と言うか払い除けるのにいい加減疲れてくるとそこに逃れ、時には彼女が目を覚ましただけで避難を開始した。21歳になった今でも、そこは彼だけの安らぎの場所だ。

病気のこと

保護した時には瀕死の状態で、生きるか死ぬかの境を彷徨った彼女だが、一度膀胱炎に罹った以外は健康そのものだった。定期的に検診も受けていたが、全く問題なし。それでも寄る年波には逆らえず17歳を超えた頃、腎機能、肝機能を量る数値がボーダーに達した。積極的な治療を行うような段階ではなかったが、腎機能のこれ以上の低下を避けるため、自宅での皮下輸液を始めた。それが幸いしてか、その後この値が特段に悪化することはなかった。
19歳を過ぎた昨年9月初め、彼女の様子に特に変わったところはなく、いつも通りの生活を送ってはいたが、吐き戻しの回数が以前より増え、それにつれて痩せたことに気づく。『年齢によるものだろうか?』とも思ったが、割と短期間に痩せたと分かるほどだったので、大事をとって受診した。
エコーの結果、胃の幽門部位に肥厚が認められ、その後の細胞診でリンパ腫であることが判明した。

治療

外科的治療も考えたが、相当な高齢であるため、そこは躊躇った。腎・肝機能も常にボーダーを行ったり来たりで、麻酔のリスクも怖かった。最終的に化学療法を選択したが、1クール目で酷い副作用が出たため、僕はこれ以上治療しないことを選択した。
それは彼女があと僅かしか生きられないことを意味する、重くて辛い苦渋の決断だった。こんな言葉を使う時が来ようとは...それはまさに断腸の思いだった。
副作用から回復し、彼女の生活はいつも通りだったし、痛がることも苦しむこともなかったので、このまま全うするのでは?と思うこともあったが、少しづつ、しかし確実に痩せて行った。確かにそれを見ているのは辛かったが、副作用の時のあの酷い状態を思えば、それは穏やかな日々だった。
「無治療の場合、せいぜい2ヶ月程度。」医師からはそう聞かされていたが、彼女は年を越した。寒い冬を越え、桜の花と新緑の時期を過ごし、やがて夏を迎えた。それまでに彼女の食欲はやはり少しづつ落ち、食べられる量は半分近くにまで減っていたが、8月に入ってからは元の量まで戻していて、体重も増加するほどだった。彼女を保護した時に感じた、『生きる意志の強さ』を、僕は日々感じていた。

最期の三日間

9月11日の夜、仕事から帰ると彼女がいるはずの部屋にその姿がなかった。僕は酷く動揺した。『どこかで倒れた?』嫌な予感を抱えつつ、慌てて部屋中を探す。それでも見える範囲にいない。残るはトイレの中だけだ。恐る恐るカバーを開けると、そこに彼女は横たわっていた。背中越しに頭をもたげ、僕の姿を確認するなり仔猫のような声でミャ―とひと鳴き。生きていることにひとまず胸を撫で下ろした。彼女を抱き起して床に下ろしてみたが、後ろ脚がふらつき踏ん張りが利かない様子だった。前日にお漏らしをしたため、オムツをしていたが、排便はどうしてもトイレでしたかったようだ。猫の矜持だろうか。きっとふらふらしながらも、今持てる力を振り絞ってトイレに入ったのだろう。しかしそこから戻る力は残っておらず、その場で身を横たえたに違いない。それを思うと胸が痛み、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

9月12日の朝、キッチンに立つ僕の足下には彼女の姿があった。時折後ろ脚をもつれさせながらも、上を向いて鳴きながら“お腹が空いた”と訴えてくる。パウチを半分とエナジーちゅーるを1本。いつもの量をいつものようにたいらげた。一度に食べられる量が減っていたので、これを1日4回。昼、そして夜2回も、朝と同量を食べた。パウチ2袋とエナジーちゅーる2~4本が、彼女の一日の食事量だ。ほぼ一日中横たわってはいたが、僕が立ち上がるといつものように目で追い、視線が合うと弱々しい足取りながらもついて来た。

9月13日、起床すると既に彼女は起きていた。顔を近づける僕を目だけで追う。顔の下に手を滑り込ませ、骨ばった身体をそっと撫でると、それに呼応するようにゴロゴロと喉を鳴らした。しかし顔を支える僕の手に力が伝わってこない。微妙に動かしはするが、首をもたげる力はもうないようだった。四肢を前後に動かしはするが、立ち上がる力はもう残っていなかった。オムツの中に排便してあった。この日、彼女は寝たきりとなった。それでも支えながらではあるが、いつものようにゴハンは食べた。器には1/3が残っていた。

9月14日の朝、僕は気配で一時間以上前に目覚めた。その気配の方に、枕元に寝ている彼女に目を遣ると、痙攣が始まっていた。断続的に、時に大きく四肢をばたつかせる。呼吸も浅く速い。見開いた目をみると既に瞳孔が散大し始めていた。
『止まれ!止まってくれ!』そう心で叫びながら身体をさすり続けた。痙攣が収まった時が彼女の最期。わかってはいたが止まることを切に願った。一時間ほど撫で続けただろうか。突如として痙攣が収まった。慌てて彼女の呼吸を確認する。弱くはあるが、先程とは違う穏やかな息づかいをしていた。数分に一度、大きく息を吸い深く溜息をつく。最期の時が近づいているのは明らかだった。

ずいぶん前から、もう意識がないのは判っていたが、僕は彼女の耳元に口を寄せ、こう伝えた。

もう頑張らなくていい。
君はよく生きた。
いつでも逝っていいんだよ。
君と出会えてよかった。
今まで本当にありがとう。
君を決して忘れないよ。
またね。

溜息をつく間隔が狭くなって行く。
上下する胸の動きが小さくなり、呼吸する回数が少しづつ減っていく。
やがて彼女は静かに息を引き取った。

君へ

君が人間だったら、もしも言葉が喋れたなら、あの時治療を諦めた僕に何と言っただろうか。治療を受けたい。まだ生きたい。そう言ったかも知れない。それでも僕は治療を止めることを選んだ。副作用に苦しみ、疲弊してゆく君を見ていられなくて。その選択が正しかったのかどうか、未だにわからない自分がいる。本当にごめんよ。こんな僕をどうか許して欲しい。
君はその小さな身体をいっぱいに使って、僕を愛してくれたね。僕も君が大好きだったよ。君との20年は特別で、とても幸せなものだった。

僕の元に来てくれてありがとう。
長い間、寄り添ってくれてありがとう。
そしてさようなら。
いずれまた、必ず会おう。
約束だ。


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