国際交流イベント「カレービュッフェ」の文化軽視について未だにきちんと記憶に刻まれていることに驚いた

こ糸島に住んでいたとき地元の国際交流協会主催の「カレービュッフェ」というイベントを覗きに行ったことがあるのですが、そこには他文化に対する尊重が欠けているような部分がいくつもありました。

会場は市の文化施設で、アイランドキッチンが5つほどあって料理教室を念頭に作られた部屋と、健康ランドによくあるような、低いステージがついている畳敷きの大広間が割り当てられていました。

それぞれのアイランドキッチンには糸島市在住と思われる外国人が国別に配置され、それぞれ完成したものや下ごしらえをしたものを持ち込んだものを持ち込み、完成させたものを並べていました。

国の種類は確か日本をはじめ、ミャンマー、フィリピン、スリランカ、インドネシア、タイだったと思う。糸島市ないで飲食店を出している人も含まれていた。

何から突っ込もうか。

まずはカレーという概念から。カレーって「インド」という名称と同じで、外から名付けた名前なんだよね。日本が「ジャパン」と呼ばれるのと同様で。この辺はNetflixのアグリーデリシャスでも解説されているので観てもらったらいいと思うのだけど、インドの人たちが食べるものについて勘違いした英国系の人たちが「カレー」という名称を採用してしまったらしいんだ。(インドの国名は英語でIndiaだが、正式名称はभारत(バーラト))

カレーはイギリスで重宝されアレンジされてそのうち日本の海軍が採用。船の中で揺れてもこぼれないようにっていうことで小麦粉でとろみがつけられたものが日本のカレーの最初っていう説があるね。

インドに行ってカレーというメニューをみかけたらそれは逆輸入されたもので、外国人向けメニューに登場したのが最初ではないかと思う。インド人向けに「カレー」というメニューがあるのかどうかは定かではないけれど。

で、香辛料が入ったスープ的なものやペースト的なものをカレーと呼ぶという拡大解釈があまり香辛料を使わない地域で行われて、経済力および発信力のあった彼らがインド文化と割と距離のある地域の香辛料料理に対しても「カレー」と名付けていったと僕は理解しているんだ。

インド共に英国領だったスリランカのカレーについてはあまり抵抗感を感じることはないけれど、同じ旧英国領でも一時期ミャンマーに仕事で通っていた僕の感覚ではミャンマーカレーというのはちょっと抵抗感がある。もちろん香辛料は入っているけどむしろメインは大量の油だと思った。ヤンゴンではミャンマーカレーというものに出会ったことがあるのだけど、まああれも逆輸入でいわば「ビジネスカレー」なんだと思う。

ビジネスカレーといえばネパールカレーとパキスタンカレー。どちらも日本では半分だけインド人のフリしてお店を出して、店によっては「インドカレー」って堂々と看板に書いていたりする。文化的にはネパールは同じデーヴァナーガリー文字を使うし、パキスタンについては文字はアラビア文字だけど、主要言語であるウルドゥー語とインドのヒンディー語は極めて近い言語で、まとめてヒンドゥスターン語と呼ばれたりもする。だからまあまだカレーと呼んでいていいのかなと。

ちなみに日本のインドカレー屋の多くはネパール人経営。パキスタン系ののお店でもネパール人が下働きしていたりして、インド人は感覚的に少ない。またあのタンドーリから出てくる巨大なナーンは日本で発展したものだ。

さて話を戻す。フィリピンやインドネシアのカレーなど存在を耳にしたことがなくてとても捏造感があるのだけど、タイカレーについては強調しておきたい。僕がこのカレービュッフェに参加したのは多分2017年のことだと思うけど、そのときはタイ人は来ていなくて、タイカレーだけが提供され、日本人が代理人としてタイカレーを提供していた。「忙しくて出れない」のだとのことだけど、僕は気を悪くしてるからせめてもの主張だと感じていた。

そのタイ人は会場で聞いたのかどこで聞いたのか覚えていないけど「カレーじゃないからそれだけはみんなに言っておいて」と言っていたという。それで調べてみたのだけど、グリーンカレーはタイ語での名称を無理やりカタカナにすると「ゲーンキャオワーン」というようなものらしい。「ゲーン」という知る料理の一種だとか。

糸島でタイ料理を営むそのタイ人は、イサーン人。イサーンとはタイの東北部のラオスとカンボジア両国の境界を持っている広大なエリアで、バンコクに大量に出稼ぎ労働者を輩出している。言語もだいぶ違っていて、独自の食文化が発展している。結構な昆虫食文化地帯でもある。

そのイサーン人が誇りを持ってハイエンドなタイ料理を糸島の海岸沿いで営んでいる。そんな彼からみたら文化的な多様性や事情を色々無視したようなこんなイベントの仕様が許せない思いがどこかにあったのではないかと思う。

それで次のツッコミだが、その給仕の仕様だ。

アイランドキッチンが並ぶ部屋の入口では大量に炊かれたジャポニカ米が用意されている。炊き方は日本のお米の美味しい炊き方だ。皿をとってその白米を食べれる分だけ載せ、食べてみたい国のカレーを求めてそれぞれのアイランドキッチンに行くというものだ。

食べ方だって様々な文化があると思わないかい?食べるというものの中でもいろんな位置づけがあることだろうと思う。本気でガッツリ食べるとか、小腹を満たすとか、薬膳としてとか。美味しいバスマティライスやジャスミンライスでないと本領を発揮しないものもあるだろうし、サフランライスやビリヤニ、プラオでないとっていうものもあると思う。ご飯じゃないほうがってものももちろんあるだろう。それから手食のほうが自然だったりする場合もあるし、手食の作法にも文化の違いが出る。スプーン一個でなくて、ナイフフォークよろしく片手にフォーク、片手にスプーンという様式さえアジアでは珍しくない。そういうものが無視されて、

「カレーなら白飯にぶっかけてかき込むように食べれればいいんだろ」という安易さが透けて見えた。

本当ね、国際交流協会というのは名ばかりの冒涜でさえあると思ったよ。なんでこんなセンスが悪いのか。おそらくね「大東亜共栄圏」みたいは御旗を立てて現地無視の押しつけホンネタテマエ(=共栄植民地)的な意識が昔から引き継がれてきているのではないかと感じたものだよ。

畳の大広間のステージの上では、九州大学の大学生による中国ゴマのパフォーマンスとかあったけどまあそれはまだいいもので、おばあちゃんたちの健康体操を披露するとか関係ないもの混ぜなくていいから、それぞれの文化で拾えてないものを楽しく補うべきなんじゃないかなと思ったよ。

これがきっかけとなって参加者それぞれのその後の個人的な交流につながったり、お店の来客に繋がったりして、在住外国人もまたコミュニティの一員として多様性のある豊かな社会を形成していけるのではないかと。

あのときの感じだと一過性のものに過ぎない感じになっていて、悪く言えば在住外国人を消費して終わったって感じにもいえるなと思った次第だわ。

予算は限られているだろうにも関わらず1品2品カレーとは別のスイーツやおかずを出しているアイランドキッチンがあって、うれしいものだなと思ったものさ。

この文章とりあえず見直す気力がないのだけど、変なところがあったらごめんなさい。

参考:http://window-kokusai.com/?p=1634

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