父をもとめて

テスコボーイ。

イギリスで生まれ、G1 1勝の成績を残した彼は引退後アイルランドで種牡馬入りし、その後すぐに日本に輸入された。すると初年度からG1馬を排出し、2年目にはTTGの一角「天馬」トウショウボーイが生まれ、一躍優秀な種牡馬としての地位を確立する。その後も広がり続ける彼の血は「テスコボーイ系」として1980~90年代の日本競馬で隆盛を誇る事となる。

ウマ娘に登場するのではバクシン教祖サクラバクシンオーとユキノビジンがサクラユタカオーの子でありテスコボーイの孫、ゲームでは未登場だが三冠馬ミスターシービーもトウショウボーイの子でありテスコボーイの孫に当たる。サイアーライン(父の父など血統表で1番上に並ぶライン)以外でもキタサンブラックなどその血を引いた馬は他にも登場している。

残念ながらサイアーラインは衰退の一途を辿り、現在ではサクラバクシンオー産駒のグランプリボスを残すのみとなってる。それでも偉大な血は現在にも脈々と受け継がれています。

そんなテスコボーイ系の中で数奇な運命を持って走った馬…。

メルシーステージを紹介させていただきます。

メルシーステージの半兄(父が違う兄)にメルシーアトラと言う馬がいます。彼はメジロマックイーンと同じ世代でクラシックの年はダービー11着、菊花賞4着とそこそこの成績を残し、次の年の年明けの日経新春杯でウマ娘登場予定のメジロアルダンを倒して重賞馬の仲間入り、今年の活躍に期待された所で、次の大阪杯で転倒、予後不良(安楽死)となってしまった悲劇の馬でした。

その2年後…。メルシーステージはデビューします。何せ兄が重賞馬、期待を背負ってデビューした彼は1番人気で新馬戦を迎えますが、惜しくも2着。次の未勝利を2着、そして3戦目の未勝利戦で無事初勝利をあげます。

次のレースは萩S。前回紹介させてもらったサムソンビッグを抑えて2着に。オープンでも戦える力がある事を証明します。その後はなかなか勝てないレースが続きましたが、年明け2戦目の500万下条件こぶし賞で2勝目をあげる事になります。この時の2着には名短距離馬エイシンワシントンが入っています。そして続くバイオレットSでも勝利、2連勝となります。この時の2着にはマイル戦線で活躍したフジノマッケンオーが入っています。

条件戦を勝ち上がり、オープンレースでも勝った。メルシーステージの次の目標は、そう重賞レース、そしてクラシックレースになります。今まで勝ってきたレースは、芝1000m、芝1600m、芝1400m。やはり短い所があうのか。まずは得意そうなマイルに近い距離を、となったのでしょうか。彼が次に出走するのはアーリントンカップ(G3・この年は中京開催の為か1700m)になりました。

1番人気はマル外の良血エイシンワシントン。彼はメルシーステージに負けた後、500万下を強いレースで勝ち上がりこのレースで再び相まみえる事に。メルシーステージとエイシンワシントンはどちらも前に行ってレースをするタイプ。そんな中、ハナをきる(レース序盤に先頭に立つ)のはメルシーステージ。そして快調に飛ばすメルシーステージを見ながら2番手で進むエイシンワシントン。直線に入り追い上げてくるエイシンワシントン。それを許さず先頭を守るメルシーステージ。更に追い込んでくるアイネスサウザー。3頭の叩き合いを制したのは、メルシーステージ!初の重賞挑戦で見事初勝利をもぎ取ります!

3連勝と完全に勢いに乗ったメルシーステージはクラシックの主役候補の一頭として見られます。そうなると注目されるのは彼自身だけではありません。その血統も注目され…、父にも注目が集まります。

彼の父の名は、ステートジャガー。

往年の名馬アローエクスプレスの母馬とテスコボーイを配合して生まれたサンシャインボーイ。彼はレース成績はイマイチなものの血統が評価されて引退後種牡馬になります。そのサンシャインボーイの産駒として生まれたのがステートジャガーです。地方競馬の大井所属としてデビューした彼は大井→笠松と地方競馬で活躍した後、中央競馬に転厩してきます。

中央初戦、マイラーズカップでは当時最強マイラーとして君臨していたニホンピロウイナーの2着と大健闘。続く大阪杯では1歳年上で同じくテスコボーイの孫である三冠馬ミスターシービーを相手にして、勝利をもぎ取ります!そして挑むは…G1宝塚記念!相手は皇帝シンボリルドルフ!となる予定でしたが、ルドルフは直前で出走回避してしまいます。そして押し上げられる形で1番人気となったステートジャガー。ここを楽勝…、せずに4着に終わってしまい、G1制覇はなりませんでした。

そして、事件が起こります。宝塚記念後、ステートジャガーの尿から禁止薬物であるカフェインが発見され、結果的に宝塚記念は失格扱いとなってしまいます。この事件はこれだけで終わらず、警察の捜査まで入り、最終的に調教師が調教停止処分にまで追い込まれます。その後転厩したりもありましたが、結局出走する事無く引退してしまいます。その後種牡馬入りしていたのですが…、この結果ではさすがに人気種牡馬とはならず、年間数頭種付けをするだけで、結局種牡馬を廃用となってしまいました。

そこでメルシーステージの活躍で注目が集まり、彼の捜索が始まります。

3連勝したメルシーステージ。次は皐月賞を見据え、芝2000mの毎日杯に出走。そこにはマル外だからクラシックには出走できないものの、ナリタブライアンに匹敵する素質馬と思われていたタイキブリザードも出走していました。しかし、メルシーステージは果敢に逃げ、先頭は譲ったものの2番手から直線へ。素晴らしい脚で伸びてくるタイキブリザードをクビ差抑えて4連勝を飾ります!これでますます注目を集め、クラシックの主役の一頭として皐月賞に出走を決めます!

すると、ステートジャガーが見つかります。

ステートジャガーは馬主さんの好意で乗馬クラブで乗馬として過ごしていました。そして、乗馬は去勢されてしまう事が多いのですが、ステートジャガーはおとなしい馬だった事から、去勢もされずにいたのです…!そうしてステートジャガーはメルシーステージの活躍のおかげで奇跡的に種牡馬に復帰する事ができたのです…!

メルシーステージとステートジャガー。

それは奇跡の親子。

競馬において、「何が起こるかわからない」のはレースだけはない…、と教えてくれます。






…え?その後?聞いちゃうの?ほんとに?

クラシックの主役となったメルシーステージは皐月賞に出走します。1番人気は当然ナリタブライアン!2番人気にデビューから3連勝し弥生賞2着のエアチャリオット!3番人気に素質は充分!でも暴走しちゃう!でも弥生賞1着したぜ!なサクラエイコウオー!そして差がない4番人気にメルシーステージ。ナリタブライアンの圧倒的人気ではありましたが、その相手候補として好走を多くの人が期待していました。…しかし、13着に終わってしまいます。続くダービー。皐月賞の惨敗から人気を落とし13番人気で挑み、サムソンビッグの上、ブービーの17着に終わってしまいます。その後も神戸新聞杯、中日新聞杯で2着があるものの…1勝もできずに引退してしまいます。

ステートジャガーも種牡馬に復帰しましたが…メルシーステージの凋落もあり結局人気種牡馬にはなれませんでした。数年後には再び廃用され、今度は本当に行方不明となります(恐らく屠殺されてしまったのでしょう)。

メルシーステージも引退後、種牡馬として引き取ってくれる牧場があったのですが、体質の弱さもあってすぐに亡くなってしまったそうです。

メルシーステージは父が見つかって燃え尽きてしまったのでしょうか?それとも父を見つけるために命を削って走っていたのでしょうか?それとも…ただの早熟馬で体質が弱いだけだったのか。たまたま連勝できただけだったのか。

それは、わかりません。

でも、父を見つける為に気力を振り絞って走っていた…。そう思わずにはいれません。例え一時の夢、一時の幸せであったとしても、その夢と幸せを掴める馬の方が少ないのですから…。例え少しでも掴めたのなら、そして、その名を多くの人の心に刻めたのなら。ベストエンドではありませんが、ベターエンドを迎えられたのかも、しれません。

このエピソードも馬なり1ハロン劇場5巻で描かれております…。またまた1ハロンで申し訳ない…w

電子書籍版なり、ブックオフなりいかがでしょうか。

モヤッとする最後になってしまいましたが、読んで頂いてありがとうございました。次回は自分語りが多めになる予定です。多分知ってる人、覚えている人がほとんどいないくらいの馬ですので…w

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