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岡潔の言葉から

岡潔さんを何で知ったのか
は思い出せない。

ただ岡潔さんの本を
図書館で借りて
一冊読んだことがある。

「日本人と情緒」

その時のメモが一つ手元に残っている。


すみれの花を見る時、あれはすみれの花とみるのではなく、紫色とみるのではなく、すみれの花はいいなぁとみるのが情緒。私は答案などによって詳しく研究した結果、男性は普通、知から情に向かって意思が働くが、女性は逆に情から知に向かって意思が働くらしいことを知った。


私は普段読書の記録などは
とらないので
この本を読んだ時の私は
この言葉を
感情まみれの私にとって
大切な宝物のように思って
手帳にのこしたのだなと
想像する。

このメモの意味することは感情まみれを肯定しているのではない。
そこからのベクトルを指し示している。
女性は感情から、知性へ向かうといいのだ。


心と技という関係にも置き換えて考えることもできる。

女性は、心がまず動いて、技を身につけるという順番がいいようだ。

男性は磨いた技に心をのせてゆくのだな。

こんなことを意識したら何か新しいことが見えてくるのだろうか?
みたい気もする。


慈悲と智慧を2つあわせて大慈悲となるという考えは、私の好きな仏像の世界にも大変よくでてくるモチーフだ。

例えばお釈迦様の脇侍は
文殊菩薩と普賢菩薩のお二人だ。
文殊菩薩は智慧を象徴し
普賢菩薩は慈悲を象徴する。
この2人の存在で
真ん中のお釈迦様の表す
大慈悲をよりわかりやすくさせる。

心と技と両方が必要なのだ。


さて、私にとって
知だとか智慧だとか技だとかは
いったいなんなのだろう?

わからないまま
私は刻一刻変わりゆく
自分の気持ちを眺めてみてる

なんのはなしですか

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