ささやかな美しさ
私にとって心躍るようなものとの出逢いはいつもたいてい印象的だ。
その瞬間から恋に落ちたようにしばらく似たようなものを探し続けたりする。
ところがこれとは反対に、じんわりいいなと感じるものというのは、気がついた時には小さくハッとするのだが、すぐさま胸の小箱にしまいこまれ、なにがどう良かったのが自分でもしばらくよくわからないでいる。
私がいいなと感じるものはとても目立たないものが多いのだ。
ぱっとみて主張がないようにみえるようなものがとても美しいように感じる。
例えばヘッダーにお借りした写真。
誰かが落とした帽子を
誰かが地面から拾い上げ
柵に引っ掛けてある。
こういう落とし物を交番に届けたり
学校に届けたりする親切もある。
一方で帽子をなくした子どもが気がついてすぐさま道を引き返してくることもあるのだから、一旦ここに置いて様子をみようという親切もある。
なんにも言わずに拾い上げ、
柵にかけて、翌日帽子がなくなったのをみてニコッと笑う。
そんなおばあさんをみかけるといいなと思う。
そんな人はなんにも言わない。
他の人と世間話しながら
手に持つ傘でヒョイと拾い上げ
何気なく柵に引っ掛けて、
多分引っ掛けたことも
忘れているようなおじいさんも
イカすなあ!と思う。
本人や家族が
落とし物をたくさんしたから
できるようになったのかなぁ?
あ、横道それた。
決してウキウキはしたりしないのだけど、いつのまにか頻繁に袖を通している服は当たり前みたいなデザインが多い。
とりたてた模様もない土を焼いただけみたいな花入れが、実は道端の草花を1番引き立ててくれたりもする。
身近にあるのにけっこういいものもほんとに目立たないから、ひとつひとつみつけていくしかない。
ワクワク心惹かれるものにあわせて
私はじんわり良いなと思ってくるようなものもたくさんみつけたいと思う。
何ものでもないことを
受け入れている私からみると
こういった
なんでもないようなことも
世界を支えているように感じる
のはとても嬉しいことなのだ。