きっといつかすべてのことを捨てる日がくる

私はいつからか生き急ぐようになった。

長い長い、大人として生きていく時間がありすぎて。

今日何しよう、明日どこ行こう、ああ今日どこも行かなかった。ダメな自分だ。と自分を責めてしまう。一日一日を丁寧に生きすぎているのだろうか。


マイペース、だるそう、そう言われてきた人だった。

初めてのアルバイト先では、Roaさんっていつもだるそうだよね、と鼻で笑いながら店長に言われた。それが今でも記憶に残っている。行くのが嫌で嫌で、泣きながらやめる相談をしたときも、こうやってすぐやめると、社会人になって続かないよ、そう言われた。確かに続いていない、それが少し悔しい。でも心を壊してまでそこにいる意味はないから、他の場所で自分らしくやり直せばいい。


期間が決まっているとだらだら過ごし、何もしばられるものがなくなると焦り始める。

学生のときは6年間、3年間、1学期、などの期間ですべてが区切られている。

大人の仲間入りをしてからは、何年でも何十年でも働く人生がはじまる。あと何十年働くんだ、と20歳の脳が毎日苦悩している。まだ20歳、でもこのままだらだら働いていたらあっという間におばーちゃんだ。

まだ学生だった私は、好奇心の赴くままに過ごしていた。

小学生時代、友達は家の中で流行りの雑誌を読んだり、お菓子を食べたりしている中、外でひたすら遊んでいた。暇さえあれば公園か学校の校庭に行っていた。おばーちゃんちに行くときは、必ずボールを持っていった。

転校先の小学校で、友達を作るよりも先に部活をはじめた。周りの友達は家にまっすぐ帰っている中、少数の部活経験者だった。週4だが、かなり厳しいコーチに泣きながら指導された。土日はもちろん1日練習か練習試合。それが当たり前だった。部活以外でやることは公園か校庭でバレー。バレーだらけの人生だった。運動量が多すぎて、たくさん食べてもガリガリだった。

中学校も同じくバレーだらけだった。小学校よりは少しだけハードではなくなった。精神面ではダメージをかなり受けた。だが負けずに卒業できた。

高校でもバレー部に入った。楽すぎてどんどん適当になった。その代わりクラストップをキープすることが生きがいだった。今までのバレーが大好きだった自分はもう消えた。

専門学校、運動とはきっぱり縁を切った。勉強だけしていた。卒業間近で暇になったときに、母に勧められつづけて、いやいや行ったホットヨガにハマった。

そして大人の仲間入り。3ヶ月で心が壊れた。そのときすべてを捨てて実家に戻った。ものではなく、プライドやこだわり、地位や職だ。

空っぽの2ヶ月を過ごし、何もしないことが苦痛と感じてから新しい職をゲットした。偶然にもホットヨガで、社風も体育会系だ。メンタルは弱いが、部活精神が残っているかもしれないと信じ、頑張ってみる。最初は内定を辞退しようと思った。でも今では何がなんでも続けてやると思って仕事に行っている。

だが、いつか今手にしているものをすべて手放すときがくる。

そう思っていないと、何年も何十年も会社という箱に支配され続け、飲み込まれてしまう。すでに飲み込まれている人がこの世にはたくさんいる。もう外の世界に自力で出られなくなり、生きることを諦める人もたくさんいる。

私はこのまま真面目に生活していると、飲み込まれて消えてしまうタイプだと思う。だから、いつかすべてを捨てるから、今はそれまでやってみるかという気分なのだ。

私は同じところに何年もいられない。すべてを捨てて、新しい土地に訪れ、新しい職をゲットする。そこで新しい関係を作り、新しい自分を作る。

そしてまた離れ、また見つける。

私の人生それのくりかえしだ。

20歳で何を言っているんだと言われても、満足するまで経験したら新しいことにチャレンジする。

我慢していると、また心が壊れるから。

私は、私の心の幸せのために生活を送ると決めた。


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