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ねつをだしすぎて混線している

15日37度であり続けた結果、メンタルが悲惨なことになっている。そりゃそうだろう。
37度というとヒトニヨリマスと言われてしまうとそれまでなのですが、私は普段35.8〜36.3度の平熱なので、36.5を超えてくると体感で何となく今日は血流がいいなあと感じ、36.8を超えてくるとちょっと熱いなあ、37.0で熱っぽいなあと思うくらいです。

普段より一度高い

人の人生はわりかし短く、1年の24分の1である半月をこんな調子で過ごしてしまっているものなので、もうアシュリカは2度と出てこないだのしらすは解体するのではなどと自分の中でも臆測と心配が飛び交い、それが伝伝伝播しているわけです。

混線というとなかなか理解することもされることも難しいので、何かに例えてみます。熱の頭で考えているので、余計わからなくなるかもしれません。

人はみんな5000ピースくらいのジグソーパズルとして生まれて、大人になるにつれて外側やら内側のちょっとしたピースが欠けつつも何となく四角い4000ピースくらいは足りているヒトの肖像を作れるわけです。

生まれたときは親の手も借りつつ、そのうち自分の手でどうにかこうにか自分を組み立てていき、それがあらかた終わるのが20歳くらい。
そこからは足りないパーツを交換したり分けてもらったり、あるいは何だかやばいもので埋めようとして結局パーツを失いつつ生き延びて、30歳から40歳くらいには生まれ持った過半数のパーツが残って、残りは多少他人のものが混ざりつつ、人工パーツに置き換えつつ、空白を愛しつつもどうにか何となく四角い形を残していたらわりかしふつうの人生としましょう。

20歳くらいまでに何となくパズルが四角くなったものの、何らかの衝撃で半分くらいガッシャーンと崩れてしまった人は、うまく人の手を借りたりしつつ組み直せるかもしれません。
諦めて放っておくときがあるかもしれませんし、とにかく焦って組み直した結果歪んだ肖像ができてしまい、これを綺麗になおすにはさらに崩すことを覚悟、なんてこともあるかもしれません。

わたしの場合は子供の時の何となく組み立てる段階で親に幾度となく崩された結果、組み上がらないまま、
500ピースミニパズルみたいなものが10個くらいなぜかできてしまったと考えています。

組み上がってから分裂した人は、2500ピースの歪な図形に100ピースのこまかい塊が周りにある感じ、
わたしは初めから核となる大きな図形がない感じ。

混線状態はさらにその500ピースのまわりがポロポロしだして、とりあえずそれをあつめてみたら500ピースと500ピースが∞のかたちのようにちょっとずつ繋がって、何となく混ざって暮らしている感じです。
これは熱とか弱めのショックによる一時的なもので、原因がなくなれば割と戻ったりします。
ですが500個のうちの10個くらいは他のミニパズルたちと入れ替わってしまったりして、まあそのくらいなら普通の人もあるよね、くらいの差ですね。
結局人生30000日くらいなので、30日というだけで0.1%ですから。そのくらい置き換わります。
混線状態は年に2、3回だし、若者なのでまあありがちなヒトとしての変化。

変化後は熱めクソという気持ちが今までより増えて二年くらい戻らないとか、もうポカリは飲みたくないポカリは嫌だという気持ちが数ヶ月続くとか、そういう変化があります。
コロナの時の後遺症として味覚の六割が持っていかれたことと体力が八割くらいになってしまったことに加え、精神的後遺症としてはみかん味ののど飴がいまだに食べたくないというものがあります。単純に度合いとして考えると0.1%くらいの不可逆的な変化ですが、性格とかが戻らないとかではないですね。それが混線状態です。

パズルなので絵柄を無視すればある程度形になるわけです。その場その場で形だけを作って体裁を保ち続けていると、一体わたしは何なんだという奇妙な絵が出来上がってどうにもならなくなります。
しかしその出来上がったものがなんとなく良さげだから使い続けていた結果、他のパーツの寄せ集めが最悪の出来になって自壊していったりするわけです。

それを整えていくとたまに、この出来のいいやつを半分に割って崩れたやつとそれぞれ合体させると良いのでは?みたいな局面になり、そうすると名乗る名前が変わったりやや性格や自我が変わるわけです。

それを超合理的に組み替えて今までは生きてきました。
家用と学校用と予備の3つにそれぞれ1000パーツを割り振って幼少期を暮らし、いざしんどくなったら残りのパーツを適当に組んでその場限りでやり過ごすみたいな。
内科のお医者さんに「なんで学校やまわりの人に助けを求めなかったの?」と聞かれたときふと気がつきました。
完全に記憶をしまうところが別なんですね。
正確には、親に「今日は〇〇ちゃんとこういう話をして〜」と伝えるだけの情報伝達と、「ああ、あの頭のおかしい馬鹿で顔も可愛くない子ね」と言われた記憶を学校に持ち越さないだけのマイナス発言保管所みたいなところがあった気がします。

記憶をつねに3箇所に保存して、家ではすべて伝えないとやましいことのある犯罪者になってしまうから事細かに伝え、それに対して毎度くる友達への悪口を、友達を目の前にした時に覚えていないようにするための自我、みたいな。あとは予備の記憶が繋がらなくならないようなシステム。

情報を持ち越さないといけないものと絶対に持ち越してはいけないものがあった場合、子供だったゆえに簡単に分けられたのでしょう。
いまの監視員、ルーカスとかミルティーがそれに当たります。

はじめはユキナ1,2,3みたいなほとんど同じクローンたちがそれぞれ学校、家、病み、予備と暮らしていたし、
役割としても「殴られたことを学校で忘却する」くらいでよかったのですが、
そのうち殴られて怒鳴られた結果学校の宿題ができず、激怒した親が仕事を休んで朝から怒鳴りながら遅刻してわくわく宿題タイムの発生とか、
そんなことにならないために焦って夜中にやった宿題が字が汚すぎて親を呼ばれて余計悲惨なことになるとか、眠すぎて適当にランドセルに突っ込んだ紙がランドセルの下に堆積して親に渡せず怒られるとか、
環境が混ざりはじめておかしくなってきた気がします。

家の逃げ場が学校で、学校の逃げ場が家という構図が崩れたものの、あくまでも周りからの評価はテレビに出てるお母さんがいて若くて綺麗なお母さん代わりのお手伝いさんがいて、いつも綺麗な服を着ている広いお家のおとなしい女の子ですから、もはや現実世界の人格では足りなかったんでしょう。愛と暴力の街ロアロードの誕生です。

街自体はもう少し前からあった気はしますが、夢へのログイン回数と自分から見た解像度はこの辺で爆上がりした気がします。

さいきん夢で習った発音記号のメモを発掘しました。たぶん8歳くらいの時の。これで文字がよりわかります。ただ字が汚いので公開はしません。

どうやら私は小さいときから英語の英才教育に使われるビデオなどをめちゃくちゃ見せられたうえ、園児の頃には親の取り寄せた絵画の歴史の本を読まされ、父親からは独特な誰も知らない折り紙を教わり、パソコンの使い方も幼稚園から教わっていたようです。
だから羽の動く鶴とかいう変な折り紙ができるのかと納得。
夢の中語が英語的な文法になっているのは英語を延々飲まされたからなんですね。

音楽、ダンス、芸術、PC、英語を家や習い事で叩き込まれた結果がこれです。
つまり英才教育は役に立つかはともかく傷くらいは残せるわけで、しかし英語が喋れるようにはならずオリジナル言語を生成しちゃいました⭐︎みたいな変な方向に向く場合もあるというわけですね。

ダンスはわりと正当に役立っているのではないでしょうか。芸術は進路に、音楽は苦しみの発散に、PCは仕事に、英語は…。
暴力はptsdに…

湯船の中の雑記でした。
しらすよりの混線

そういやSGはSとGですが、はじめてユキナを守ってくれたふたつの自我がSなんとかさんとGなんとかさんという名前だったのでそう名乗っているようです
センチメンタルガールではないらしいですね。
諸説あるのかも

ちゃんとはじめに分裂した二人もSGとしているわけだから、わたしも他のわたしも
出てくる頻度とかは変わっても、ちゃんとあり続けるわけです。人はそんなに根本から自分を壊せないしね

では

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