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代表取締役社長 CEO 片江光太

日本一人生を変えられる社長を目指す!

社長インタビューを閲覧頂き、ありがとうございます。
一風変わった企業の、一風変わった社長です(笑)
RUHに興味を持ってくれたあなたも一風変わった人かもしれません(笑)
一風変わった者同士、一般的慣習に囚われないスタイルでメッセージを送らせてください。何故、ここまで色々なことにこだわって独自路線を貫いた企業創りをしていくのか?代表として綴らせて頂きました。

人生を変えることにこだわるようになったキッカケは?

私は、日本で1番人生を変えられる人になる夢を実現する為に、RUHの前身である、株式会社Roadを創りました。だからこそ、Road(RUHの前身)の頃から、ビジョンは『日本一人生を変えられる企業を創る』ことです!

自分自身が生まれもった才能があったわけでもなく、学生時代に優れた要素があったわけでもなく、これといって秀でたことも何もなかった学生であり尚且つ、自分に甘く言い訳ばかりで、好きなことしかやらず、特に勉強は一切した記憶がないような学生生活でした。

ただ!社会に飛び出してからは、そのまま中途半端な何でもない人生を歩んでいくことだけは、絶対に嫌だと決意して、道を切り開いてきました。
二十歳の頃の自分からすると、20代の努力によって”大きく人生を変えることが出来た”と三十歳になった現在感じています。
多くの理想を掲げ、成し遂げたいことを叶え、大きく自分の選択肢や可能性を広げ、理想の実現に向けて着々と邁進することが出来、30 歳を超えた現在も、目標に向かってワクワクした人生を歩むことが出来ています。

私よりも、優れた才能や優秀な学歴、恵まれた環境にいた人を沢山知っていますが…
大人になっていくに連れて、理想とはかけ離れた人生を歩み、いつの間にか理想を捨て、とりあえずの自分の人生を自己肯定することに終始している大人を沢山見てきました。若いうちは、理想や情熱を持っている素敵な人は多くいますが、30歳前後にもなると大半の人が夢や理想を捨てて、つまらない大人になります。そして、そのつまらない自分を否定したくないから、いつの間にか、その自分を無理矢理、自己肯定して、幸せなフリをしている人が沢山います。
元々の理想や夢に嘘をついて、自らの中でも違和感を感じながらも「それが大人…」っと、支離滅裂な言い訳をして、無駄にプライドだけ高くなり、醜い見栄を張っていく大人になっていってしまった人を沢山知っています。
そして、醜い見栄を張り続ける虚像にも、限界が来て、いつの日か、本当に虚しく、ただ日々を消化していくだけの人生を歩んでいる人が沢山います。

私は、そんな大人になりたくありませんでした。
命を授かり、ここまで育ててもらい、沢山の人に支えてもらった以上
『最高の人生』を歩むことが、私の生きる意義だと感じています。

『最高の人生』とは、なにか?


まだまだ、その本当の答えには、到底たどり着けそうにないほどの難題だとは思いますが…
未来を見据え、長い人生を本当に最高の人生をする為には?
難題をとことん追求して『最高の人生』を歩みたいと考えています。

『最高の人生』という言葉を聞いて、どんな人生を想像しますか?
人それぞれ、その言葉の定義は違うと思います。

私が考える、『最高の人生』とは?まず、一人の人間としての幸せを考えました。20代前半、実力も何もなかった私は、人のことを考えるよりも、まずは自分が輝けるようにならなければなにも始まらないと考え、自らがまず輝くことを第一優先に考えました。

やはり、男として生まれた以上、パッと浮かんできた言葉であり
20代前半らしく、掲げたテーマは…「誰にも負けない格好良い男になる」

自分の10代を考えたときに、熱中した野球においても、学業においても、
何においても、狭い世界や低い目線で見れば、勝てたことはあっても
本当の理想と比較すると、多くの負けを味わってきた人生であった
感じました。幼少期から10代までの子供時代に、勝ち切ることが出来ず、決して格好良いと言える自分ではなかったからこそ20代に突入して、大人になる上で、「誰にも負けない格好良い男になりたい」と強く感じました。
社会や人の深みも知らない、青臭いクソガキではありましたが…

当時の自分なりに、”格好良い”を定義して、いくつもの目標を長期、中期、短期と掲げて、達成計画を立てました。生活面としても、身なりとしても、内面としても、生き様としても当時の自分なりに考える”格好良い”を定義して行こうとした中で、やはり一個人のことだけでは、どうしても違和感を感じていた矢先『大切な人を幸せにし続けられる人』という言葉が、自分の中で浮かび上がりました。若い時だからこそ、自分の為だけになりがちな中で『大切な人を幸せにし続ける』ことが出来る人の価値が高いと感じて、自分の目標に組み込みました。

ポイントは『大切な人を幸せにする』ことではありません。
『大切な人を幸せにする』ことにフォーカスをすると、確実に目先思考となります。

例えば…家族や恋人や仲間など、大切な人がいると思いますが
『大切な人を幸せにする』という思考である以上、目の前で何がしてあげられるか?今、どれだけの時間を過ごしてあげられるか?などに、終始してしまいます。ただ、私にはそれは全然格好良いことだとは思いません。
こだわったのは『大切な人を幸せにし続けられる人』です。

この『…し続けられる人』ということにポイントがありました。
だからこそ、目先思考でいては実現不能です。
私が考えた『…し続けられる人』というのは、それだけの力量がある人であり、それだけの力量を高め続けられる人であると考えました。
その為、一時的な楽しい時間や、一時的なお金や一時的な娯楽では、全くありません。人生を賭けて、生涯に渡って『大切な人を幸せにし続けられる人』ということに20代前半からこだわってきたことが、大きな分岐点であったと感じます。当時の私の周りにも『大切な人を幸せにしたい』と思っていた人は多くいましたが皆さん『…し続けられる人』にフォーカスを当てていませんでした。その後、10年近くが経過して、その人達がどうなったか?は、言うまでもありません。

こんな考えで20代前半から走り出した『最高の人生』への道は激動でした。
非効率で、無駄なことも、理不尽なことも、無意味なことも、沢山あった気がしますが…とにかく誰よりも沢山仕事をしようと努力をし続けました。
プロ野球選手/甲子園を目指していたにも関わらず、自分への甘さや怪我に負けて、悔いのない努力が出来ずに夢破れた過去のようにはなりたくないと強い覚悟で、圧倒的に頑張り続けました。

その結果、成り上がりの道は切り開き、下剋上を起こすことが出来て、一つ一つの理想を実現させていくことが出来ました。

結果として、20代で人生を大きく変えることが出来た自分の切り開いてきた道を振り返って自分程度の人間であっても、ここまで大きく劇的に人生を変えることが出来たからこそひとりでも多くの人にも、人生を変えて欲しいと思うようになりました。

自分のこれまでの人生が好きだろうが、嫌いだろうが
どちらにしても最高の人生と満足できていないのであれば、
諦めないで最高の人生を目指して欲しいと考えています。
妥協をすることは簡単です。
「こんなもんでしょ」と割り切ってしまうのは簡単です。
ただ、割り切ってしまった先にあるのは、妥協の繰り返しです。
一度、妥協し始めた人生は年齢を重ねる度に妥協を繰り返していきます。
いつの間にか、理想や幸せなど忘れて、淡々と無気力に生きて欲しくないんです。

キッカケを与えてくれる人さえいれば、アシストしてくれる人がいれば、導いてくれる人がいれば、実現可能な環境があれば…

あとは自分の頑張り次第で、人生を変えられます
実現不可能にも思えるような途方もないことも、どうにかなります。
叶えることは可能です。

私がそうでした!
だから、私は自分の人生をかけて一人でも多くの人の人生を変えたいと信念をもって生きていきます。

世の中に、そんな経営者はいないかもしれません!だからこそ、面白い!
私が、その唯一無二の存在となって、夢と希望を与え、道を作り、実現に導くことが、使命だと思っています。

私の生い立ちを知って、少しでも参考になってくれたら嬉しいです!


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