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気づいていない人々

フリッチョフ・カプラ「新ターニング・ポイント/ポストバブルの指針」1995年発行 工作舎 より
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■新版へのまえがき
1970年代に、物理学者として私が抱いていた大きな関心は、今世紀の初めの30年間に物理学で起きた、そして今尚、物質理論の中で、色々手が加えられつつある概念や発想の、劇的な変化にあった。その物理学の新しい概念は、

我々物理学者の世界観に、デカルトやニュートンの機械論的概念から、ホリスティック(全包括的)でエコロジカル(生態学的)な視点へと、大きな変化をもたらしてきた。

私の見る所それは、神秘主義の視点と極めて似通った視点である。初めの内この新しい世界観を、科学者が受け入れることは決して容易なことではなかった。

原子や素粒子の世界を探究するうちに、彼らは予想もしない、不可思議なリアリティと、相対するようになったのである。どんな説明も一貫性を持ちえないように思えた。そして、この新しいリアリティを理解しようとする中で、科学者は彼らの持っている基本的概念、彼らの言語、彼らの物の考え方が、原子の世界の現象を説明するのに、不適当であることに不本意ながら気づいていった。

彼らにとって問題は、知的なことだけではなかった。それは情緒的な、そして存在に関わる強烈な危機でもあった。この危機を、克服するには長い時間がかかった。しかし、その結果彼らが得たものは物質の性質、そして、人間の心と物質の関わりに対する深い洞察だった。

私は今日、我々の社会全体が同様の危機に置かれている、と考えるようになった。毎日の新聞の紙面が、その現れともいうべき記事で賑わっている。

そして、こうしたものは、すべて全く同一の危機の異なった側面に過ぎず、その危機は本質的に「認識の危機」である、というのが、本書の基本的な主張である。

1920年代の物理学の危機と同じく、今日の危機もまた、時代遅れの世界観――デカルト=ニュートン科学という機械論的な世界観―― ではもはや理解できないリアリティに対して、そうした概念を適用しようとするところから生まれている。今日、我々は地球規模で相互に結ばれた世界に住んでいるから、生物学的、心理学的、社会学的、環境的現象はすべて相互に依存している。 このような世界を正しく記述するには、デカルト的世界観にはないエコロジカルな視点が必要である。

今日この時代の、中心的な問題に対する解決策は<存在する>。中には単純なものさえある。が、

そのためには、我々の認識、思考、価値観を根本的に変える必要がある。というより、実は今我々は、科学と社会に於いて、そのような世界観の基本的変革の黎明期に立っている。

それは、コペルニクス革命と同じくらい根本的な「パラダイム」の変革だ。が、そういう認識をもっている政治家は殆どいない。この先我々が生き抜いていくには、認識と思考の根源的な変革が必要だが、企業のリーダーたちも、行政に携わる者も、有名大学の教授たちも、まだ殆どそのことに気づいてはいない。

彼らは個々の問題がどのように関係し合っているかを全く理解していないだけでなく、彼らが言う所の解決策が、未来の世代にどう影響するかを認識することさえ拒んでいる。

唯一実行可能な解決策は「持続可能な」ものである。持続可能性という概念は今やエコロジー運動の中心概念になっているし、事実、決定的に重要である。ワールドウオッチ研究所のレスター・ブラウンは、簡潔、明瞭に、しかも美しく、それを次のように定義している。

「持続可能な社会とは、未来の世代の繁栄を減ずることなく社会のニーズを満たしていくような社会である」、と。要するに、これこそが今日この時代の大きな挑戦なのだ。

持続可能なコミュニティ、言い換えれば、未来の世代の可能性を減ずることなく我々のニーズと願望を満たすことのできるような社会的、文化的環境、それを創り出す挑戦である。

今、様々な形で浮上している、そうしたパラダイムの変化。それが本書の主題である。過去30年の間に一連の社会運動が生まれた。それらはどれも、新しい世界観の異なった側面を強調しながら、同じ方向をめざして進んでいる。

当たり前のことが、当たり前ではなかった!

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