見出し画像

ルターの信仰の特異な点

二人とも、タイプ1(改革者・外向的思考型)だけど、カルヴァンのウィングは9(調停者・内向的感覚型)、ルターのウィングは2(人を助ける人・外向的感情型)。

■エーリッヒ・フロム「愛について」第二章 愛の理論 より
👇
しかしながら、母性愛を求める気持ちを人間の心から根こそぎにすることはできない相談なので、愛情あふれる母親の像が神殿から完全に放逐されなか ったことも不思議ではない。ユダヤ教の場合は、とりわけ神秘主義のさまざまな流れにおいて、神の母親的側面がふたたび導入された。カトリックでは、教会や処女マリアが母親を象徴している。プロテスタントでも、母親像は、表には出ていないが、完全に根こそぎにされたわけではない。

ルターは自分の根本的主張として、人はどんな行為によっても神の愛を獲得することはできないと述べた。神の愛は恩寵であり、宗教的態度とは、この恩寵を信じ、自分自身を小さな無力な存在にすることである。どんなに良いことをしても、神の愛に影響をおよぼすことはできない、つまリカトリックの教義にあるように、神に私たちを愛させることはできない。良き行いについてのカトリックの教義もまた、父権的な構図の一部分であることがわかる。父親の愛は、服従と、父親の要求を満たすことによって獲得することができる。

いっぽう、ルターの教説は、表面上はきわめて父権的だが、母権的な要素を隠しもっている。母性愛は獲得することができない。それは、あるか、ないか、である。母親の愛を獲得するためにできることといったら、信じることと、自分をよるべない無力な者にすることだけである。しかし、ルターの信仰の特異な点は、母親が表面からすっかり姿を消し、父親に入れかわっていることである。母親に愛されるという確実性にかわって、つよい不安感と、父親の無条件の愛を望むという不可能な願いが、際立った特徴となっている

■ルーテル教会(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
👇
ルーテル教会は、マルティン・ルターによりドイツに始まるキリスト教の教派または教団。ルター派とも呼ばれる。プロテスタントの一つであり、全世界に推定8260万人の信徒が存在する。発祥の地ドイツを始め、北欧諸国では国民の大半がルター派であり、そこから移民が渡った先のアメリカ合衆国、カナダ、ブラジル等の南アメリカ各国でも信徒数が多い。

パッヘルベル、J.S.バッハ、テレマン、メンデルスゾーンなど著名な音楽家が多く所属し、ルター自身も賛美歌作家であったことから、作曲家や音楽家に縁がある教会としても知られる。

1517年、ローマ・カトリックの修道司祭(聖アウグスティノ会)だったマルティン・ルターによってドイツの宗教改革が始められた(ドイツ・ヴィッテンベルクにおける「95ヶ条の論題」)。ルターは最初、新しい教会を建てるつもりではなく教会内部の改革を目指していたが、カトリック教会から破門されて妥協を許さない状況になり、ルターは明確な信仰基準や組織を必要とするようになった。北欧にもルター派の教義は広まり、スウェーデンではグスタフ1世が、デンマーク=ノルウェーではクリスチャン3世がルター派をそれぞれの国教とし、権力強化に利用した。

1555年、アウクスブルクの和議の結果、ルター派(ルーテル教会)はドイツ国内での法的権利が認められた。1580年、ルター派の教理的な立場を示す「和協信条」が制定される。

アメリカへはヨーロッパからの移民と共に、ルター派の勢力が拡大、18世紀の中頃になり本格的な教派の生成が行われた。19世紀以降、ドイツや北欧のルター派が大量に移住し、アメリカ中西部を中心にして定住した。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?