1億総下層中産階級 その1
E.フロム「自由からの逃走」昭和26年12月30日 初版/昭和40年12月15日 27版(新版)/昭和62年10月20日 94版/東京創元社
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敵意や憤りは、また他人に対する関係のうちにも表現された。その主要な形は、道徳的な憤りであった。それは、ルッターの時代からヒットラーの時代に至るまで、下層中産階級のもつ変らない特徴である。
この階級は、富と力とにあかし、生活を楽しむことのできる人間に対して、実際には羨望をもっていたが、この憤りと羨望とを、道徳的な公憤の言葉や、これら上層の人間たちは永遠の苦悩を受けて罰せられるであろうという信念によって合理化していた。
しかし他人に対する敵対的な緊張は、なお別の方法によっても表現された。
ジュネーヴにおけるカルヴァンの制度は、万人の万人に対する猜疑と敵意によって特徴づけられ、愛や同胞の精神は、彼の専制政治にはほとんど見出されなかった。カルヴァンは富を信用しなかったが、それと同時に貧困に対して、いささかも憐みをもっていなかった。カルヴィニズムの以後の発展を通じて、見知らぬ者に親しくすることの警告や、貧しい者に対する残酷な態度や、また猜疑の一般的風潮が、しばしばあらわれていた。
敵意や嫉妬を神に投影することや、道徳的な憤りの形をとる間接的な表現のほかに、敵意の表現されるもう一つの方法は、自己自身に対して向けられるものであった。ルッターやカルヴァンがどんなに熱心に人間の罪悪性を強調し、あらゆる道徳の根底として自己卑下と謙遜とを教えたかはすでにみた通りである。彼らが心のなかで意識していたのは、極度の卑下の感情にほかならない。
しかし自己非難や自己卑下の心理的メカニズムをよく知っている人間にとっては、この種の「卑下」が激しい憎悪に根ざしていることは疑う余地がな い。それは、その理由がなんであれ、外界に向けられずに、自分自身に向けられている。
しかし、他人に対する敵意は、しばしば意識的であり、はっきり表現されるのであるが、自己自身に対する敵意は普通(病理的な場合を除いては)無意識的であり、間接的な合理化された形で表現される。
その一つは、自己の罪悪性と、無意味さとを強調することである。もう一つは、良心とか義務とかいう仮面を被って表れるも のである。自己嫌悪に少しも関係のない謙遜が存在するように、敵意に根ざさない純粋な良心の要求とか、純粋な義務の意識とかも存在する。この純粋な良心は、統一的なパースナリティの一部をなし、その要求に服従することは自我全体を肯定することである。
しかし宗教改革以来、今日に至るまで、宗教的な合理化や世俗的な合理化によって、近代人の生活に広く行き渡っている「義務」の意識は、多分に自己に対する敵意に彩られている。
(近現代人にとって)「良心」とは、自分自身によって、人間の中に引き入れられた奴隷監督者にほかならない。良心は、人間が自分のものと信ずる願望や目的に従って行動するように駆り立てるが、その願望や目的は、実は外部の社会的要求の内在化したものである。良心は、峻厳残酷に彼を駆り立て、快楽や幸福を禁じ、彼の全生涯を、何か神秘的な罪業に対する償いとする。それは特に、初期のカルヴィニズムや後期のピュリタニズムに特徴的な、「世俗的禁欲主義」の根底でもある。
自己否定的な良心と、他人に対する軽蔑と嫌悪はコインの裏表
さらに、この近代的な卑下と義務の意識が根ざしている敵意によって、ほかの方法では解きえない矛盾を説明することができる。すなわち、このような卑下は、他人に対する軽蔑と平行し、また自尊心が実際に愛や慈悲に取って代わっている、ということである。純粋な謙遜や、同僚に対する純粋な義務の意識であれば、このようなことにはならないであろう。しかし自己卑下と自己否定的な「良心」とは敵意の一面にしか過ぎず、他人に対する軽蔑と嫌悪とが他の面となるのである。
封建社会という中世的体制の崩壊は、社会のすべての階級に対して、一つの重要な意味をもっていた。すなわち個人はひとり取り残され、孤独に陥った。彼は自由になった。しかしこの自由には、異なる二つの意味がある。
人間は以前に享受していた、安定性と疑う余地のない帰属感とを奪われ、経済的にも精神的にも、個人の安定を求める要求を満たしてくれた外界から、引き離されたのである。
彼は孤独となり不安に襲われた。しかし彼はまた自由となり、独立して行動し考えることができ、自己の主人となることができた。また自分の生活を人から命じられるようにではなく、自分が成し得るように取り計らうようになった。
しかし、異なった社会階級の成員としての現実の生活状態に応じて、これら二つの自由もまた異なった重さをもっていた。もっとも成功した階級だけが、台頭する資本主義から利益を獲得し、実際に富と力とを与えられた。彼らは自らの活動と合理的計算によって、拡大し、征服し、支配し、また財産を蓄積することができた。 この新しい有産貴族は、かつての門閥貴族とともに、新しい自由の実りを享受し、新しい征服感と個人的創意の感情とを獲得 できる地位にあった。もちろん彼らも大衆を支配しなければならず、また彼ら相互で闘わなければならなかった。こうして、彼らの地位もまた根本的な不安と懸念から解放されてはいなかった。しかし一般的には、自由の積極的な意味は、新しい資本家の間に支配的であった。それは、新しい貴族の地盤に栄えたルネッサンス文化に表現されている。 ルネッサンスの芸術や哲学には、もちろんそこには絶望と懐疑主義も見られたけれども、人間の尊厳と意志と支配とについての新しい精神が表現されていた。個人の活動や意志の力を同じように強調することは、中世末期の力トリック教会の教義のなかにも見られる。当時のスコラ学派の人々は、権威に反抗することなく、権威の指導を受け入れていた。しかし彼らは自由の積極的な意味を強調し、人間が自己の運命の決定に参加することや、人間の力や尊厳や、また意志の自由を強調したのである。
ポピュリズムのもつ本来の意味
他方、下層階級や、都市の貧困階級や、とくに農民たちは、自由への新しい追求に駆り立てられており、増大していく経済的人間的圧迫を終らせたいという、熱烈な願望に燃えていた。彼らには失うべきものは殆どなかったが、獲得すべき多くのものをもっていた。彼らは独善的な繊細なものには興味をもたず、聖書の根本的な原則、すなわち、友愛と正義とに関心をもった。彼らの願望は多くの政治的な反抗や宗教運動のうちに、積極的な形をと った。そしてそれは、まさにキリスト教発生当時に典型的であった、妥協しない精神によって特徴づけられていた。
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