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暗記によって多くの事実を学ばねばならなかった

ジェローム・R・ラベッツ「ラベッツ博士の科学論ー科学神話の終焉とポスト・ノーマル・サイエンス」2010年12月25日 初版第一刷発行 こぶし書房
■巻頭言 より
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学生時代、私の科学についての認識は、大半の学生と似たりよったりだった。理論は、変化したりせず、正確な予測を提供すると考えていた。私は、暗記によって多くの事実を学ばねばならなかった。その後かなりの年月を経た1993年に、エドモンドソンとノヴァックが米国の大学研究の一環として聞き取り調査をした学生たちと同じように、当時の私は、間違いなく科学に対して「実証主義的」なアプローチをとっていたつまり、最初に、アイデアがあり、次にそれが理論になり、それから真実になるというアプローチである。実験は、正しい答えを得る練習であった。私は、ほとんどの場合正しい答を出すのに失敗していたのだけれど。

二つのできごとが、私の認識を変えた。最初の経験は、1960年代にドロシー・ホジキン〔英国の科学者で、X線回折法によるペニシリンやインシュリンなどの分子構造の決定によって、1966年のノーベル化学賞を受賞した〕の研究室でインシュリンの構造についての研究(彼女は三十年前にこのプロジェクトを始めた)をしていたときであった。 それは本当のカルチャーショックだった。われわれは何をすべきか、何に見込みがあるのかをめぐって多くの議論がたたかわされていた。明確なもの、確実なものは何もないように思えた

しかし、第二の経験のほうがさらに重要だった。私は、ドロシーと一緒に働 いているときに地方政治に関与することになった。オックスフォード市議会 の計画委員会の議長として、ほとんどデータがなく、たとえ使えるものがあ ったとしても不確実で矛盾していることが多いという条件のもとで、決定を下すように求められた。私は、政治に深入りせず、アカデミックな科学という安全な世界に撤退した。このとき私が発見したのは、

「成功する科学」 のこつとは、解決可能と思われる問題を特定し、その他の問題を無視するというものだった。

しかしこのやり方には間もなく問題が生じた。私は医薬品の発見という医学 の世界の仕事に従事をするようになった。私は推定薬剤標的〔薬剤が作用すると予測される、ある病気に特有の代謝経路において重要な役割を果たしている生体分子〕が阻害される仕組みを提案した。これは、非常にエキサイティングなことだったが、医薬品開発の始まりにすぎなかった。多くの医薬品の候補が、毒性の兆候を示したために、あるいは他の有毒な分子に似ているというだけで放棄された。訴訟社会化に直面して、医薬品の候補の臨床試験は、わずかでも危険の兆候があれば、中止された。しかし、それでも不確実性は残り、安全だとされた医薬品が、長期間経てから危険であると証明されることも多かった

不確実性にまつわる同じような場面は、1990年代の初めに、農業関係の研究政策に関与したときにも登場した。大臣たちは、われわれに、BSE(ウシ海綿状脳症)に関する政策は「信頼できる科学」に基づいている、と断言した。私が懸念したのは、感染物質と考えられているプリオンという粒子についてわれわれはごくわずかしか知らないということであり、体液中のプリオンを測定することはできないということであり、そして感染物質がBSEをどのように発症させるのかについてほとんど何もわかっていない、ということであった。

さらに最近になって環境汚染に関する王立委員会の議長を務めるなかで、私は、無知が環境政策を特徴づけているということを悟った。 スプレー、塗料、農薬、防火剤、そのほかの何千も の有用化学物質の分子が、製品から環境中に放出されたとき、その分子には一体何がおこるのか。新たな超音速旅客機の気候変動への影響はいかなるものなのか。われわれが一つの種を捕り尽したとき、食物連鎖の他の栄養段階とより広い生態系にどのようなことが生じるのか

本書は、このような疑間を扱うことから始まる。その取り扱 い方は、直接的でありかつしばしば挑発的でもある。

本書は、将来、ゲノミクス、ロボ ットエ学、人工知能、神経科学およびナノテクノロジーが経済発展をもたらしてくれるというわれわれの期待に揺さぶりをかける。本書が示唆するのは、科学が著者の言うところの「有害性」と「混乱」という事態に陥る可能性が非常に高いということである。

しかし、科学が将来、われわれの健康や福祉に貢献する可能性があり、貢献するはずである、ということも本書は認めるのである。科学者を志望する者すべてにとって、そしてより年長の科学者にとっても、本書は間違いなく基本的な文献である。

トム・ブランデル卿、王立協会会員英国、ケンブリ ツジ大学生化学学部教授

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