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自作自演の境界

■皮膚の内側と外側

■境界の作られ方
誰もが正当なものとして受け入れるもっともありふれた境界線は、有機体としてのからだ全体を取り囲む皮膚の境界であろう。これは普遍的に受け入れられている自己/非自己の境界線のようである。この皮膚の境界の内側にあるものは、ある意味ですべて「わたし」であり、その境界の外側にあるものはそのすべてが 「わたしではな い」。皮膚の境界の外にあるもののなかに は「わたしのもの」と呼べるものもあるが、それは「わたし」ではない。
➡ ケン・ウィルバー「無境界」

段階的に発生する境界

■エデンの園

子宮内の胎児は、胎盤を通じて酸素と栄養を補給され、あらゆる欲求は即座に満たされる。子宮という小宇宙と完全に一体化している。

■世界との対立

■全有機体(ケンタウロス)と環境との境界
からだは一生を通じて快楽の源となるものである。エロティックなエクスタシーから、ごちそうの微妙な味や日没の美しさを感じるのは、からだの諸感覚である。ところが、からだには不具の痛み、病による衰弱、ガンの苦しみなどの恐怖がすみついている。子供にとってからだは、快楽の唯一の源である。だが、同時にからだは両親とのいさかいや苦痛の第一の源でもある。そのうえ、 からだはまったく訳のわからない理由で始終両親をビリピリさせたり、悩ませる廃棄物を生産しているように子供には思える。おねしょ、尿、鼻水――なんという騒ぎだろうか‥これは全部このからだと関連しているのだ。 ➡ ケン・ウィルバー「無境界」

■哀れなロバは壁の向こう側

■自我と身体の分裂
大人になる頃にはほとんどの人が、だいたい哀れなロバに別れを告げている。自己/非自己の境界が固定されたときには、ロバは確実に壁の外におかれている。からだは外の世界同様、ほとんど(完全にそうなることはない)異質な領域になってしまう。 ➡ ケン・ウィルバー「無境界」

■良いも悪いもリモコン次第

心とからだのあいだに境界が設けられ、前者のみにアイデンティティをもち、自分は頭の中に住んでいると感じるようにさえなる。いうことをきいたりきかなかったりするからだを監督し命令を与える、頭蓋骨の中のミニチュア人間のように感じるのだ。➡ ケン・ウィルバー「無境界」

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