見出し画像

秩序だった、穏和にして平和的なる奴隷制度

ロバート・N・ベラー「心の習慣・アメリカ個人主義のゆくえ」1991年5月8日発行 みすず書房 より
👇
トクヴィルは、近代社会が自由の喪失へ向かうとすれば、その道筋の一つと なるのが「管理的専制」 ―― ときに彼はこれを「民主的専制」という逆説的用語で呼んでいる―― の出現であろうと考えた。彼の定義によれば、管理的専制とは「秩序だった、穏和にして平和的なる奴隷制度」といったものである。「それが外面的に自由の形態を取ることは、ふつう考えられる以上に容易なことである。・・・それは人民主権の影のもとでさえ成立しうるのだ」と彼は言う。トクヴィルは、

専制とはいってもそれは比較的仁慈寛大な性質のものだ、と彼は強調する。政府は、市民たちの上に「その享楽を保証し、その運命を監視する責任を唯一人背負う巨大な後見的権力」としてそびえ立つ。 こういった政府は

彼はまた、「私の見るところそうした社会の指導者は、暴君というよりもむしろ学校教師に似ている」と書いている。 このシステムは投票制度を廃止したりはしないが、「このシステムのもとで、市民たちは自分たちの主人(師)を選んでいる間だけ依存状態から離れ、選挙が終わるとすぐにまたもとに戻る」。

ユング「タイプ論」外向型、意識の一般的構え

トクヴィルが明示したこのような懸念は、いまや多くのアメリカ人にとって心の片すみに追いやってしまえるようなものではない。しかし、トクヴィルが彼が訪れたころのアメリカに実在していると記した小規模で中央集権化されていない国家が、実際には20世紀にはいるまでよく持ちこたえていたと いうことを忘れてはならない。初期のころに職業的行政官の手による国家計画の立案を提唱した者たちのねらいは、脆弱な中央政府のもとでの急速な工業化と都市化がもたらした混乱に秩序をもたらすことにあった。彼らは、主として中産階級のプロテスタントに属する20世紀初期の改革者、プログ レッシヴ(革新主義)として知られる者たちである。階級間の争い、移民をめぐる緊張、企業工業経済の発展が引き起こした諸問題などを目のあたりにして、プログレッシヴたちは、 こうした利害の衝突から生じる葛藤を和らげ、もっと人間的な公共生活を打ち立てるためには、「良い政府」による改革が必要であると考えた。彼らは専門家の技術的知識を適用することで利害 の政治の問題点を取り除き、秩序正しい共同体を作りあげようと試みたのである。

国家計画の理想が大きく推進されたのはニューディール時代である。これを推進したのは、プログレッシヴよりも集団重視的な考え方の強い、専門的訓練を積んだ者たちの集団である。彼らは、無秩序な企業経済がもたらした惨状を克服するために大規模な行政管理国家を創ろうとした。

こうした国家こそ、大規模な経済生活のなかに、初めてある程度の秩序と同情を持ち込む責任を引き受けようとするべきものであった。実際は、この試みは部分的にしか成功しなかったが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?