見出し画像

陽極まれば、陰。

ドン・リチャード・リソ「性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム」春秋社 より
👇
その堕落をふり返ってみれば、神経症のタイプ1は、自分が最も恐れていたもの、そのものを引き起こしてしまったことがわかる。彼らはあまりにも非人間的に残酷であるため、必ず他の人たちから非難される―― そして、自分 の良心によって非難される。自分の信条にあまりにも反することをしてしま ったので、彼らはもはやその行為を正当化できない。今や、正義は彼らのためにではなく、彼らに敵対して働く

また、通常から不健全までのタイプ1が、客観的な真理であると説いた命題 の多くが、少なくとも部分的には個人的な好みであったことを、われわれは知ることができる。彼らの主張の多くの中にある真理は、ふつう、彼らが思っているほど自明ではない。これは、彼らがその信ずるところに従って行動すべきではない、ということではなく、彼らの人生の中で、主観的なものと非理性的なものが果たしている役割を彼らは理解すべきであるということである。結局のところ、理性は人間のもつ唯一の能力ではない。そして、 いったん、タイプ1が理性をその感情に対抗させると、彼らは騒動を起こし始める。理性だけが、非理性的な振舞いを引き起こす罠である。なぜなら、それは、人間性の他の部分を考慮しないからである

タイプ1が非常に健全でないかぎり、彼らの行動は、ある隠れた恐怖、すなわち、最も厳格な理想に常に従っていなければ、堕落の深みに悲惨にも、ま っさかさまに落ち込んでしまうであろうという恐怖が動機となる。彼らにと って人生は、深い裂け目の上の綱渡りをするようなものである。一歩でも足をすべらせれば運命が決まる。 このような人生観には喜びがほとんどないため、タイプ1は、他の人たちが進んで彼らに従わなくても、驚かされることはない。(他の人が進んで彼らに従わなくても、別に不思議ではない。人間として当たり前のことだ。)

彼らの理想が純粋で、理想を生きる生き方が健全であるならば、人々を言いくるめて彼らに従わせようとしなくても、彼らの理想は他の人々にとっても魅力的なものであろう。真の理想は、しつこく悩ませる支持者を必要としな い。その正しさが、魅力の源である

■無上の喜びを追求したことのない人間
ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤース「神話の力」早川書房 より
👇
あなたはシンクレア・ルイ スの 『バビット』を読みましたか?
「 ずいぶん昔ですが。」

最後の一行を覚えていますか? 「私は一生のうち一度も自分のしたいことをしたことがない」というのです。自分にとっての無上の喜びを追求したことのない人間。そういえば、セイラー・ロレンス大学で教えていたころ、この耳で実際にいまの言葉を聞きましたよ。

(中略)ある晩のこと、私は行きつけのレストランにいました。隣のテーブ ルには、父親と、母親と、十二歳くらいのやせっぼちの男の子が座っていた。「トマトジュースを飲みなさい」と、父親が男の子に言いました。「飲みたくない」と男の子が言いました。

すると父親はもっと大きな声で、「トマトジュースを飲みなさい」と言いました。そしたら母親が、「いやだということを無理にさせないで」と言ったんです。

父親は彼女をじっと見て言いました――「この子は、好きなことだけして人生を渡るわけにはいかない。好きなことだけしてたら、死んでしまうぞ。おれを見ろ。一生のうち一度だってやりたいことをやったことはないんだ」。

私は思いました。 「いやはや、バビットの化身がげんにいるんだ!」

無上の喜びを追求したことのない人間。世間的には成功を収めるかもしれないが、まあ考えてごらんなさい――なんという人生でしょう?自分のやりたいことを一度もやれない人生に、 いったいどんな値打ちがあるでしょう。私はいつも学生たちに言います。きみたちの体と心とが欲するところへ行きなさいって。 これはと思ったら、そこにとどまって、だれの干渉も許すんじゃないってね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?