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キーワードは「中産階級」

チーフ・シアトル「それは生命の終わりと、生き残りの始まりだ」。

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」より
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➡ 中産階級が、古い政治的宗教的支配者の権力をしだいに破壊していくに つれて、また人間が自然を征服することに成功するにつれて、そして何百万というひとびとが経済的に独立していくにつれて、人間は世界も人間も本質的に合理的な存在とますます信ずるようになった。人間性の暗い悪魔的な力 は、中世あるいはそれ以前の時代に追いやられた。そしてそれらの力は、知識の欠如によるとか、欺瞞的な王侯や僧侶の狡猾な陰謀によるとかと説明された。p15
➡  その当時は、現代と同じように非常に多くのひとびとが、経済的社会的組織の革命的変化によって、その伝統的な生活様式をおびやかされていた。とくに中産階級が、いまと同じように、独占の力と資本の優越した力とによ っておびやかされていた。この脅威が個人の孤独と無意味の感情をつよめ、脅威をうけた階級の精神とイデオロギーに、大きく影響したのであった。 p48
➡ 社会機構と人間のパースナリティは、中世末期に変化した。中世社会の統一と中央集権は次第に弱まった。資本や、個人の経済的創意や、競争が重要になった。新しい有産階級が出現した。個人主義はあらゆる社会階級のなかでいちじるしく成長し、趣味、流行、芸術、哲学、神学など、人間のあらゆる活動領域に影響した。私がここで強調したいのは、このような過程全体が、一方、富裕な資本家という少数団体にたいし、他方、農民という大衆にたいし、またとくに都市の中産階級にたいして、ちがった意味をもっていたということである。 p55
➡ マックス・ウエーバーが示したように、西欧における近代資本主義の発達の主軸となったのは、都市の中産階級であった。 p60
➡ ルッターやカルヴ ァンの神学を検討すれば、その内容によっていくつかの差異が明らかになるであろう。個人的な桎梏から解放されたことが、都市 の中産階級の性格構造にどのような影響をあたえたかという問題に、われわれは注意を集中しよう。すなわち、プロテスタンティズムやカルヴィニズムが、一方に新しい自由の感情を表現しながらも、同時に自由の重荷からの逃避となった事情を明らかにしよう。p60
➡ 十五、六世紀において、中産階級が富裕な独占者にたいして抱いていた恐怖と激怒は、現代の中産階級が独占と強力な資本家にたいして抱く感情と、多くの点で類似している。p66
➡  中世も終りに近づくころ、不安な落ちつかない気分が生活をおおうようになった。近代的な意味の時間観念が発達しはじめた。一分一分が価値あるものになった。時間のこの新しい意味をよくあらわしているのは、ニュールンベルクの時計が十六世紀以来、十五分ごとに鐘を打つようになったことである。休日が多すぎることは一つの不幸と思われた。時間は非常に貴重なものとなり、つまらないことに時間を浪費してはならないと考えるようになった。仕事がますます至上の価値をもつものとなった。仕事にたいする新しい態度が発達し、しかもそれは非常に強力だったので、教会の制度が経済的に非生産的であることにたいし、中産階級は憤りを感ずるようになった。居候階級は非生産的であり、したがって非道徳的であると非難された。 p67

➡ しかしこの発達のもたらした影響は、それぞれの階級によってちがっている。都市の貧民や労働者や徒弟にとっては、それはますます搾取され、ますます貧乏になることであった。農民にとってもまた、経済的、人間的な圧力が増大することであった。下層貴族は、もちろん別の具合にであったが、破滅しそうになった。これらの階級にとっては、新しい発達は結局悪化を意味したのであるが、都市の中産階級にとっては、その事情ははるかに複雑であった。都市の中産階級の内部に分化が発達してたことは、すでにのべたと ころである。その大部分は、ますます悪い状態へと追いこまれた。多くの職人や小規模な商人たちは、自分より多くの資本をもった独占者や競争者の優越した力に直面しなければならなかった。そして独立を維持していくことは、ますます困難になった。かれらはしばしば、圧倒的に強力な力に挑戦したが、多くのばあい、それは望みのない悲惨な戦いであった。中産階級のなかでも、あるものはもっと幸運にめぐまれ、発達する資本主義の上昇的気運 に参加した。しかしこれらの幸運にめぐまれたものにとってさえ、資本や市場や競争の役割が増大したことは、かれらの性格に変化をあたえ、動揺や孤独や不安にかられるようになったのである。

資本が決定的に重要なものになったということは、経済が超人間的な力によって決定され、ひいては人間の運命までが、それによって決定されるということを意味した。資本は一(いち)召使であることをやめて、主人となった。資本は分離した独立の姿をよそおって、自分の過酷な要求のままに、経済的組織を指令するような、支配者の権利を要求した

市場の新しい機能も、同じような結果をもたらした。中世の市場は比較的小さなもので、その機能は容易に理解できた。需要供給の関係は直接的具体的 であった。生産者はどれだけ生産すればよいか大体わかっており、その製品を適当な値で売ることについても、比較的自信をもっていた。いまやますます拡大する大市場を相手として生産しなければならなくなり、どれだけ売れるかをあらかじめきめることはできなくなる。そのため、有用な品物を作るというだけでは十分でなくなった。もちろんそれは商品を売るための一つの条件であったが、製品が一体売れるのか売れないのか、またどれだけの利益で売れるのかは、市場の予測できない法則が決定したのである。新しい市場 のメカニズムはカルヴィニズムの予定説と似たものがあるように思われる。カルヴィニズムの予定説は、個人は善良になるようにあらゆる努力をしなければならないが、果して救われるかどうかは、かれの生まれる以前にすでに決定されていると説いている。市場の時代は、人間の努力の生産物を審判する時代となった。

この事情の中でもう一つ重要なのは、競争の役割が増大したことである。たしかに競争は、中世社会にまったくなかったわけではない。しかし、封建的な経済組織は協同の原理にたち、競争をふせぐ掟によって、規制され編成されていた。資本主義の発生とともに、これらの中世的原理は、個人的企業の原理へと次第に変わっていった。だれも自分でつき進み、自分で運命を試さなければならない。かれは泳がなければ、溺れるほかはない。他人は協同の仕事をいっしょにやる仲間ではなく、競争の相手となった。そしてしばしば、食うか食われるかの岐路にたたされた

資本や市場や個人的競争は、たしかに十六世紀には、そののちの時代ほど、重要なものではなかった。しかし近代資本主義の決定的な要素は、個人にたいする心理的影響とともにすべて十六世紀までに準備されていたのである。

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