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1億総下層中産階級 その9

この一見矛盾した謎は容易に解くことができる。利己主義は、正にこの自愛の欠如に根差している。自分自身を好まない人間や自分を良しとしない人間は、常に自分自身に関して不安を抱いている。

彼は純粋な好意と肯定の基盤の上にのみ存在する内面的な安定をもっていない。

彼は自分自身に気を使い、自分の為にあらゆるものを獲得しようと貪欲の目を見張らなければならない。

彼には根本的な安定と満足とが欠けているからである。

これと同じようなことは、いわゆるナルシス的人間にも当てはまる。彼は自分自身の為に物を得ようと腐心する代わりに、自分自身を称賛することに気をかけている人間である。

このような人間は、表面的には自分自身を非常に愛しているように見えるが、実際は自分自身を好んでいないのであり、彼らのナルシシズムは ー利己主義と同じようにー 自愛が根本的に欠けていることを、無理に償おうとする結果である。

フロイトは、ナルシス的人間は彼の愛を他人から却けて、それを自分自身に差し向けていると指摘した。この説の前半は正しいが、後半は誤っている。 ナルシス的人間は他人をも自分をも愛していないのである。

さて我々は、我々を利己主義の心理学的な分析へと導いた、元の問題に戻ろう。我々は、近代人が自分の利益によって動いていると信じながら、しかも実際には、彼の生活を、自分のものではない目的に捧げているという、あの矛盾に落ち込んでいたのである。同じように、我々はカルヴァンが、人間存在の唯一の目的は自分自身ではなく、神の栄光でなければならないと感じていたことを見出した。

我々は利己主義が、真の自我に対する肯定と愛、すなわち、あらゆる能力をもった具体的な人間存在全体に対する肯定と愛との欠如に基づいていることを示そうとした。

近代人が行動するとき、その関心の元となっている「自我」は、社会的な自我である。それは本質的には、個人に対して外から予想される役割によって構成されており、実際には、社会に置かれた人間の客観的な社会的機能を、たんに主観的に偽装したものに過ぎない。

近代的利己主義は真の自我の欲求不満に基づいた貪欲であり、その対象は社会的自我である。

近代人は自我の極端な主張を特徴としているように見えるが、実際には、彼の自我は弱められ、全体的自我の一部分 ー知性や意志カー に縮められ、パースナリティ全体の他の部分を締め出す結果になっている。


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