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進化論が熱狂的な支持を得た理由

ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則2」21世紀文明の生存原理 1983年11月5日 初版第一刷発行/祥伝社 より
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このように、自然淘汰にまかせておけばすべては進歩すると考えたダーウィンは、人種における優劣の差というものに関心を持ち、いつかは劣種が自然淘汰されると信じた。それは、彼の従兄のフランシス・ゴールトンが唱えた優生学論を支持したことでも明らかである。

ゴールトンは、計画的な出産によって「進化の過程を自然の成行きにまかせず、より迅速に無駄なく確保する」ことを初めて提唱したのだが、ダーウィンも、1871年に著した『人間の由来』の中で、育種に比べて人間の結婚は、なんともでたらめだという意見を述べている。

「文明社会の弱者たちは、劣性種の子孫を蔓延させている。家畜の飼育に従事した人なら誰でも、劣種をはびこらせる必要はないと言うであろう。家畜 の場合は、世話をしなかったり、世話の仕方が悪いと、またたく間に使いも のにならなくなる。使いものにならない動物を飼育する人など、どこにもいない。だが、人間の場合だけは例外なのであろうか」

そして、 このような進歩の概念、富の獲得、遺伝、労働の分業、植民地主義などとともに、この時代に広がったのが個人主義であった。

ダーウィンの時代の哲学と思想の特徴は、いろいろな個人の権利に対する強い執着であった。

それまでは、家族や一族、または地域社会単位で利益が追求されたが、産業革命時代の到来により状況は一変し、個人の利益こそが問題とされるようになったのである。

ニュートンは、この世界は物質一つ一つの相互関係で構成されている、と考えた。そして工業国イギリスの経済生活も、そのような形になっていったのである。 時代の政治的、経済的風潮は、個人主義の美徳をさかんに推奨した。そして、個人を全体に縛りつけている鎖を断ち切り、個人を解放し利益と個性を自由に追求すべきだとする考え方は、あらゆる人々の賛同を得たのである。

また、ブルジョワ階級の貧困者への態度は、冷淡さと無関心そのものであった。自然の法則にまかせておけば、社会に適応しない者は自然に落ちこぼれ、淘汰されていく。その結果、社会には適者だけが繁栄して、健康な社会 になるものと信じられた。

哲学者のハーバート・スペンサー(1820~1903)はその主著『総合哲学体系』で、この風潮を次のように表現している。

「すべての生物を支配している法則は、恵み深いが、厳しいものである。人が、この法則に従っていれば幸福になり、進歩していくことができる。しかし、この法則は人間に努力を求めて止まないものである。たとえば、能力のない者は貧乏になるだろうし、軽率な者は苦境に陥るだろう。怠け者は飢えることだろう。だが、これが世の中というものである。しかも、この優勝劣敗の法則を目の当たりにして、私たちは神の意志と慈悲を明瞭にうかがうことができるのである」

ダーウィンは、周囲の人々が何度も何度も こういう議論をするのを聞 いていた。 だから、自然の働きに関する彼の理論の中に、このような主張が入り込んだのである。そして、『種の起原』発表後は彼自身の論理が、逆にブルジョア階級のサロンやクラブで話題になるのであった。

こうして進化論は、新ブルジョア階級の重要な政治理念になった。そして彼らは「人間による社会改革というのは意味のないものであり、自然の法則に反する社会改革は進化の過程を妨げる」と主張した。

だから、進化論の信奉者たちは、法律改正などせずに、自然にまかせ、試行錯誤を繰り返していけば、「自然淘汰」と「見えざる手」 によって、社会は徐々に改善されてゆくのだと信じたので あった。

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