Runaway Loveの話

頭に残り続ける曲がある。

好きな曲、とはちょっと違う。好んでふだんから聴くわけじゃない。

好きか嫌いか、一般的な名曲かどうかは関係なく頭に残り続けて、忘れた頃にまた思い出して、その曲について考え続ける。そんな類の曲がある。

"Runaway Love"はぼくにとってそんな曲の1つだ。

ルダクリスが2006年にリリースした『Release Therapy』に収録されている曲で、フックをメアリー・J・ブライジが歌っている。

シングルカットされた成績はビルボードHot100で2位。その時の1位がジャスティン・ティンバレイクの"What Goes Around...Comes Around"らしいから2006年の年末から2007年の序盤にかけてヒットしたんだと思う。

だけどそういった情報はあまり重要じゃない。ポロウ・ダ・ドンがプロデュースしたビートはスカスカしていながらカチっと硬質で心地いいし、ケリ・ヒルソンがソングライティングを担当していたことは14年も経ったいま検索して初めて知ったけど、それもあまり大事ではない。重心はもっと内面に訴えかけてくるところにある。

この曲はルダクリスが語る3つのヴァースとメアリーの歌うフックからできている。

ルダの3つの歌い出しはこう。

Now little Lisa is only 9 years old / She's tryin' to figure out why the world is so cold
Little Nicole is only 10 years old / She's steady tryin' to figure out why the wold is so cold
Little Erica is 11 years old / She's steady tryin' to figure out why the wold is so cold

そしてヴァースは全てこう終わっている。

Forced to think that hell is a place called home / Nothin' else to do but get her clothes and pack / She says she's 'bout to run away and NEVER come back

リサ、ニコール、エリカ。幼い少女たちが現実の冷たさと格闘し、行き詰まり、家庭が地獄になり居場所を失くして逃げ出すまでが、16小節のラップで描かれている。そこで語れるのはドラッグに溺れて男を連れ込む母、その男たちによる虐待、アルコール中毒の義父と暴力、銃による親友の死、望まない妊娠、そして貧困。そして繰り返されるメアリーの"Runaway Love"。

恐らくより多くの人たち、特に若いというよりはリサやニコール、エリカのようにまだ幼い子どもたちにも聴いてほしいという配慮だろう。リリックは語彙も文法も簡潔で、ヒップホップ的なスラングの知識がなくても素直に読み解けるようになっている。

曲中の物語を忠実に描いたミュージックビデオに映り込む1800RUNAWAYと書かれたオレンジ色のポスターはNational Runway Safelineという実在の国立機関のホットラインであり、音楽で表現するだけでなく、実際に深刻な状況に陥っている若年層への直接的なメッセージにもなっている。

この曲を特別なものにしているのはなによりもメアリーの歌だ。ルダクリスのラップも素晴らしいが、彼自身最後に"I can only imagine what you going through, ladies"と言っているように限界もある。そして、この曲のテーマを引き受けられるのはメアリー・J・ブライジを置いて他にいない。

2020年11月のタイミングで"Runaway Love"を聴いているのもカマラ・ハリスとメアリーの話題があったからだ。それくらいこの曲はメアリーに負っているものが大きい。この記事で池城さんはメアリーの生い立ちを綴った後に

この頃、メアリー・J. ブライジは崇める対象ではなく、悲しみを分かち合い、応援する対象であったように思う。

と書いている。共感、という言葉は今はもう軽いかもしれないが、「悲しみを分かち合」うこの感覚こそがメアリーをメアリーたらしめ、1990年代から今に至るまで多くの女性からの支持を受ける要因だったのだと思う。そしてこの"Runaway Love"は、30代半ばになったメアリーがかつての自分と同じような境遇にある少女たちを支えるための祈りのような歌になっている。

メアリーが歌うフックは"Runaway Love"と繰り返すだけだ。そこには痛みがあり、悲しみが滲んでいる。だけどそれだけではない。"Runaway Love"と繰り返すメアリーの声は徐々に熱を帯び、ルダの3番目のヴァースが終わると全開になる。ぜひMVを観てほしい。ベンチに座り泣きじゃくるエリカの横で支えるように歌い、"runaway, runaway, runinn' runinn' runinn' runinn'"と畳み掛ける。

そして"I know how you feel"。MVでいえば3分57秒のところ。ろうそくを掲げた女性たちに囲まれたメアリーが、歌の途中にふと漏らした本音のようにも聞こえる。この言葉には、メアリーだからこその強い説得力がある。こんなに重たい"I know how you feel"は他に聞いたことがない。この一瞬のためにこの曲があると言っても言い過ぎじゃない。そしてその後に続く"I'll runaway with you if you want me to"。あまりに深刻なテーマを歌にしたこの曲だけど、メアリーが歌ったからこそ、誰かの心に寄り添い、支え、微かにでも希望の光が差し込むものになっているんじゃないかと思う。

それでも、ルダが言ったように全ては"I can only imagine"だ。だから目を閉じて、想像して、考え続けるしかない。

15年経っても、20年経っても、メアリーの歌声に耳を傾けて。

この曲はそれだけの力を持っている。

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