子供の性犯罪に対する夫婦間のアレ

子供の性犯罪に対する夫婦間のズレ - 田舎で底辺暮らし を読んで思ったこと。

僕の場合、性犯罪者目線で色んな事を考えるクセがついてるのでこういうズレはないですね… というか、一歩間違えば自分が性犯罪者になってるって自覚あるし。

大学で教職の単位取らなかったのも、教師の性犯罪まがいの行為を目の当たりにしたことあったからだ。教育の名の下に正当化された暗い欲望。子供だった僕は被害者がどう思うかって想像力はなくて、それよりも、自分の中に目の前の加害者の欲望に共振するものがあるのに気付いて、目の前で起こっていること、そして自分の中で起こっていることが、ヤバいな、って思った。

他にも色々あって、とにかく性犯罪は他人事ではない、自分がやりかねないこと、という意識でずっといる。日常的に性犯罪の報道をチェックしたり、不審者情報を何年も定期的にチェックしてたり、性犯罪のルポや裁判記録やパラフィリアの治療に関する論文などを読んだりするのは、自分を客観的に見ることの代用としてやっていることだ。いや、自分は違う、と思い込ませるために続けている面もあるかもしれない。

大人になって少しは他人への共感や他人の気持ちへの想像力というのが、ぎこちないながらも持てるようになってきて、暴力や権力で欲望を満たすこということ自体には強い抵抗を感じるようにはなっているけれど、それでも欲望そのものはなくならないし、合法の範囲でそれを満たそうとはしてきたし、欲望を持つこと自体を否定されるのはとてもつらい。

そういう意味では、例のエントリに出てくる「夫」たちの反応がいまいちよくわからなかったし、僕だったらああいう反応はしないと思うけれど、たぶんそれは「妻」たちが望むタイプの共感ではないのだろうな、とは思う。ていうかそもそもこんなんじゃ結婚とか無理だろ俺。

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