住んでるクソ田舎のこと‼️

夏休みなので中高のマブたちが帰省してきた😆😆😆
みんなちょっとずつ見た目が変わっていて、こうしているうちにあっという間に大学を卒業して、社会人になって、毎年のように集まることが叶わなくなるんだろうかと思って、ひとり寂しくなっていた😢

私は大学デビューをしないという得意の逆張り精神を全開にして大学に入学して、髪も染めたことがないし、ネイルもしたことがない。化粧も大学1年のころはしなかったけれど、さすがに恥を知った。中1のころから9年間同じカバンで通学している。「物持ちがいい」以外の感想は受け付けません😤

マブたちはみんなお兄さんお姉さんになっていて、恋人ができている人もいて、サークルであたらしいことを始めたりもしていた。もちろん一人暮らしもしている。

私はサークルにも入りそびれたし、これといった特技もなくて、成績もよくないし、中3のディズニーランドで友達に耳付きのカチューシャを勧められ「勘弁してください」と頭を下げたときから心がちっとも成長していない😥英華発外とはよく言ったものだなと思う。このまま親と暮らして、一人で二人の介護をして、親が死んで、ひとりで死んでいくんだろうかというところまで、かなり楽しかったカラオケの中で考えてしまった😔



私が住んでいるところに旅行に来てくれたプリ右リスナーの方のnoteを読ませていただきました😊自分が暮らしている街が題材になっている、太宰の『津軽』をきっかけに旅行を決めたと知ってとても“嬉しい”😊😊😊

大学でお世話になっている教授と初めて話したとき、太宰の『津軽』と司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ『北のまほろば』だけは読みなさい、と先生の書棚から取って手渡された。
私は太宰は暗くて病んでいるイメージであまり好きではなかったけれど、先生はよく「太宰は明るくて親切な人ですよ」と言っている。

先生はもともと瀬戸内の人だけれど津軽に赴任が決まり、この2冊を読んでここで暮らすのを楽しみにしたらしい。住んでいる人の気質も全然違うこんな田舎に赴任したのは不本意だったと思うけれど、それでもこれから暮らす土地のことを知ろうとしてくれた先生もまた、明るくて親切な人だと思った😊

だいぶ弘前の悪口を言つたが、これは弘前に対する憎悪ではなく、作者自身の反省である。私は津軽の人である。私の先祖は代々、津軽藩の百姓であつた。謂はば純血種の津軽人である。だから少しも遠慮無く、このやうに津軽の悪口を言ふのである。他国の人が、もし私のこのやうな悪口を聞いて、さうして安易に津軽を見くびつたら、私はやつぱり不愉快に思ふだらう。なんと言つても、私は津軽を愛してゐるのだから。

太宰治『津軽』

『津軽』が発表されてからもう80年もたつ。やっぱり弘前にはこれといった美点がないように思うけれど、だから住みやすいと思う。こんなところ何もないとみんな言っても、実際そんなこともない。
何もないから住みやすいけど、それは何もないってことでもないからってこと!わかる?!


みんな仕事で忙しくなってもたまには帰ってきてほしいし、お邪魔でなければみなさんが旅行に来てくれたときにはお供させてほしい😊向こう10年はここに幽閉されているので。おまちしています。サイゼもあるよ。


テスト勉強に飽き飽きしている中書いたのでこんな感じになりました。全然勉強してない。

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