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夢・出逢い・魔性

自分に都合の良い目標を近場で見つけて、それに集中して、それに逃避して、それが夢なんだって、思い込もうとするんです。人間ってそういう生き方しかできないんですよね。

わたしは幼稚園のときに将来なにになりたがっていたのか、あんまりはっきり覚えていない。確かケーキ屋さんだと言っていた記憶がうっすらとあるけど、本心からそう言っていたとはどうしてもおもえない。多分周りの女の子がそう言っていたからわたしも同じようにケーキ屋さんになりたいと言ったんだとおもう。プリキュアになりたいと言ってないことだけは確かに記憶している。当時のわたしは、プリキュアの存在をフィクションだとちゃんと理解していたし、プリキュアの戦闘衣装を着たくなかったし、がんばって強い敵と戦いたくもなかったから

小学生のときは、漫画家のアシスタントになりたいと言っていた。漫画を読むのがすきだったし、絵をかくのもすきだった。ただあくまでも、なりたいと言っていたのは漫画家のアシスタントだった。わたしなんかが漫画家先生になれるわけないと当時のわたしは自分の実力をちゃんとわかっていた。小学4年生のとき、1/2成人式で親の前で将来の夢を発表する機会があったけど、そのときもわたしは大きな声で「漫画家のアシスタントになりたいです」と言った。「みんなが漫画家じゃなくてアシスタントでいいの〜?って言ってたよ」と今でも母がその当時のことを冗談で言う。そのたびに二人で、現実的すぎる夢がない子供だったね、と笑う

中学生になったら、漫画家のアシスタントになりたいとは言わなくなったが、なりたいものが増えた。アマゾンの倉庫で働きたいと言っていたし、ヴィレッジヴァンガードの店長になりたいと言っていたし、アメリカ人になりたいと言っていた。アマゾンの倉庫で働きたかったのは、アマゾンで書籍を注文するとものすごいスピードで家に届くことに感動したから。その当時はあんまりネットショッピングが主要じゃなかったから、余計に感動したんだとおもう。ヴィレッジヴァンガードの店長になりたかったのは、ヴィレッジヴァンガードが大好きだったのがまずひとつと、店長がその店で仕入れたいものを好きに仕入れることができると聞いたため、わたしの好きなもので店内を満たすことができるのって最高じゃん、とおもったから。アメリカ人になりたかったのは、英語が流暢に話せるようになりたかったし、目が青くて、肌が白くて、髪の色が明るくて、鼻が高いALTの先生がとても羨ましかったから。母にアメリカ人になるのは無理だよ、と言われていたけど、整形して、英語の勉強をがんばってすればなれないことはないとおもっていたのがなつかしい

高校生のときは、将来についてあまり考えなかった。考えたくなかったからだとおもう。勉強に追われて、言われるがままに大学進学することしかとりあえず考えていなかった。進学するとしても、学部をどうしようか、と考えたときに、特に勉強したいこともなかった。大好きだった英語にも限界を感じていたし、日本史もセンター試験のための勉強がたのしかっただけで、歴史自体に専攻したいとおもうほど惹かれはしなかったし、政治も興味はあったけどわたしは無知すぎて、大学に入ったとしてもついていけないんだろうなとおもった

三者面談のときに、将来何になりたいの?と聞かれて、何になりたいんだろう、と久しぶりに考えた。ケーキ屋さんも、漫画家のアシスタントも、アマゾンの倉庫で働くことも、ヴィレッジヴァンガードの店長も、アメリカ人になることも、全部現実的でないことくらいわかっていた。だったら会社員として働くのか、と考えたときに、わたしは就職活動が絶対にできないんだろうな、とおもった。特に働きたくもない会社に働かせてくださいとお願いして、勝手に人格否定されるなんて、絶対耐えられないな、とおもった。という話を先生にしたら、公務員なら試験に受かればなれるよ、と嘘をつかれて、「じゃあ公務員になります」と言って、わたしは公務員になりたいと言うことにした

大学生になってからは、ますます将来のことを考えるのがいやになった。人生もこんなところまでくると、なりたいものを選んでいる場合ではなくなる。毎日どんどん自分が選べる選択肢が消えていって、かろうじて残った選択肢にもなにも魅力を感じない。だからといって新しい選択肢を見つけることもしない。ただまったくおもしろくもない選択肢がひとつだけになってしまうのを、わたしはなんとなく見つめている

なりたいものに全力でなろうとしているひとが羨ましい。わたしは今まで、なりたいものに全力でなろうとしたかと考えると、一度もそんなことしたことないな、とおもう。なりたいとただ言うだけで、そのために行動を起こしたことはない

わたしは自分の人生に後悔をあまりしていないけど、たまに、あのときああしてたらどうなっていたんだろう、と不毛なことを考えることはよくある

もし高校入試で、第二志望にした私立高校の美術デザイン科を第一志望にしていたらどうなっていたんだろう。もし英語を諦めずに、大学でも英語を専攻していたらどうなっていたんだろう。もし大学1年生のときから、まじめに法律を勉強していたらどうなっていたんだろう

こんなことを考えても、なにも今の状況が変わるわけではないし、自分がした選択について後悔するわけでもない。ただ、どうしてもちょっと気になってしまう。わたしがあのときわたしじゃないみたいな選択をしたらどうなっていたんだろう

いろんな地下アイドルのツイートを見ていると、彼女たちに感心する。彼女たちがどうしてそこまでアイドルという職業に固執するのかまったく理解できないが、それでもなりたいものになろうと実際に行動を起こしている点や、自分のなりたい姿に自分がなれると信じて疑わない点については、わたしには絶対にできないし、わたしがその姿を馬鹿にする資格はないとおもう。アイドルじゃないにしても、音楽や美術とか、ゲームとか、あとはそういうサブカルチャー以外にも、自分がなりたいものになるために実際に努力し続けていることはなかなかできないことだとおもう

結局わたしは今何になりたいのかほんとうにわからない。やってみたいことはあるけど、それを一生の生業にすると考えると無理だな、と諦めてしまう。多分そうやって諦めてしまうところがだめなんだろうな。本気でなりたければ、そんな生計とか周りからの目とか、そういうことは気にしてはだめで、ただなりたいもののことしか考えないといけないんだろうな


すべての地下アイドルに幸あれ。

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