星野源2
前の投稿の続きです
3. SUN
それまで、知っているひとは知っている、くらいの存在だった星野源の知名度は、2015年発売「SUN」によって変化する
この「SUN」は、「心がポキッとね」という連ドラの主題歌だった。ドラマ自体の視聴率はゴミだったが、なぜか主題歌である「SUN」だけはかなり流行った。ありとあらゆる音楽番組に出演し、この年には初の紅白出場も果たした
当時高校一年生だったわたしは、バイトも少しだがしていたし、お小遣いも中学生の時よりももらっていたので、惜しみなく星野源につぎ込んだ。テレビだけでなく音楽雑誌にも引っ張りだこだったし、同じタイミングで「働く男」の文庫版が出るなど、あらゆるメディアで星野源を見かける回数が増えたし、それと同時に貢ぐ金額も増えた
そのときのわたしの精神状態はどうだったのかというと、星野源が大好きすぎてちょっと行き過ぎたファン、という感じだった
2015年、一歩間違えれば犯罪者ツイート
メディアに出る機会が増えるのは、星野源をよりたくさん見ることきくことができるから嬉しいと考えていたし、知名度が上がることに対しても、もっと人気になればもっとメディア露出が増えるから嬉しいと考えていた
しかし、「SUN」にはひとつひっかかることがあった
わたしは音楽の知識も技術もないので、フィーリングで音楽をたのしんでいるが、「SUN」はそれまでの星野源の音楽と比べるとかなり異質であった。どこがどうだとは明確にはわからないけど、なんとなく違うのだ
「SUN」より前の星野源の音楽は暗い雰囲気が混ざっていた。ポップに明るく歌おうとしているが、どこか闇を感じさせるような暗い感じ。幸せになろうとしているのになぜかどうしても幸せになれない、もがくような必死さが彼の曲から感じられた。し、わたしはその雰囲気が大好きだった
だが、「SUN」は違った
腹の底から笑ってます!ハッピ〜!!みたいな、心からたのしさが溢れているような、今までの星野源からは考えられない明るく幸せな曲だという感じがした
しかしわたしはまだあまりそのことに関して気にしていなかった。アーティストが己の世界観(わたしが勝手に決めつけているだけだが)から少し離れた音楽を作るのはよくあることだし、「SUN」自体もわたしはとても気に入ったので、あまりその変化についてどうこう言わなかった
4. 激ひっぱりだこ星野源
「SUN」を発売した同じ年、従来では考えられないくらい星野源はめちゃくちゃ精力的に活動した
今まで年に一回、多くて二回作品を発表するくらいのペースだったのに、2015年は、夏には資生堂マキアージュのタイアップである「Snow Man」を、秋にはめざましどようびの主題歌として「Week end」を、年末には二年ぶりのアルバム「Yellow Dancer」を…。とにかくめちゃくちゃ活動した
まあ当然だが、メディア露出が増えたり、楽曲提供が増えたりすれば、それに応じて星野源の知名度も上がる。空前の塩顔ブームとも相まって、たかはよくわからないが星野源の人気はまたたく間に上がった
ファンにとってはいいことじゃん!とポジディブに受け取る方も多いとはおもうが、精神疾患であるわたしは、素直にポジディブに受け取ることができなかった
まだ子供だったわたしは、ミーハーな星野源のファンが増えることに耐えられなかった。悔しかった
その悔しさを、ミーハーなひとたちにではなく星野源にぶつけることしかできなかった
そのときのわたしの星野源に対するふるまいとしては、「星野源調子乗ってんじゃねーよばーか!!大地くんの方がかっこいいわ!ハマケンの方がかわいいわ!!ばーかばーか!!」と言いつつ、なんだかんだ言って星野源に貢いじゃうわたし(笑)という一種のギャグのようなことをしていた。実際わたしもそれがおもしろいとおもってやっていた。そうでもしないと精神がもたなかったから
この大地くんとハマケンというのは、かつて星野源が参加していたSAKEROCKというインストバンドのメンバーたちです。当時のわたしは、星野源をけなして大地くんとハマケンを褒め称えるというのがブームでした
それと同時に、またここであの問題が大きく影を落とす
「Yellow Dancer」に収録された曲は、ほんとに素敵な曲ばかりだった。だけど、すべてほんとに明るかった。明るさしかなかった。昔わたしが馳せていたものはなかった
シングルカットされている「時よ」という曲がある。ユーキャンのCMソングにもなった。「SUN」と同様、というかさらに、「時よ」はハッピーなダンスナンバーだった。PVで星野源がギターを弾くシーンはない。ひたすら笑顔で踊っていた
アルバムのタイトルが「Yellow Dancer」なのも、星野源が黄色人種である自分が往年のマイケル・ジャクソンのようなダンスナンバーに可能性を見出していたことも、病気から回復し、彼の音楽に対する考え方、心が別人のように変化したことも、わたしはわかっていた。わかっていたけど、認めたくなかった。それはわたしが好きになった星野源が消えてしまうのと同じことだったから
わたしが虜になった星野源は、必死にギターを弾いていた。マリンバを叩いていた。やさしい声で歌っていた。SAKEROCKとして表舞台に立つ星野源は、たのしそうに仲間とギターを弾いていた。マリンバを叩いていた
だけど、「SUN」は、「時よ」は、心から自然と笑っているようだった。ギターは持ってすらいなかった。ただたのしそうに笑顔で踊っていた。歌声は自信に満ち溢れていた
でもそれを口に出したら、口に出さずとも心の中で言葉にしてしまったら、わたしの好きな星野源は消えてしまう。そんな懐古厨のようなことをずっと考えていた。こうやって冷静に分析することもきっとできたはずだろう。でもしなかった、したくなかった
ここでなんとなく、前に見たAmazonのレビューを思い出した。星野源は変わってしまった?
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