春は馬車に乗って
この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。
⒈ 天気
4月はずっと、日差しが心地よくて、日傘をさして歩いているひとを見ると、遮るのにはもったいないな、とおもっていた。でも5月になってから急に暑くなってきて、生活しづらくなってしまった
小さい頃はそこまで季節に対して敏感ではなかった。ずっと前から花粉症なので、花粉めんどくさいなあとか、泳ぐことができないので、プールいやだなあとか、家族とスノボ に行くのが好きだったので、今年も楽しみだなあとかはおもったりしたけど、空気や景色から季節を感じるようになったのは、もっとずっと後で、意外と最近な気がする
もう少し、欲を言えばもっと、春を楽しみたかったのに、夏が近づいているのが感じられて本当に悲しい。今年の夏もきっと暑くて悲しいんだろう
⒉ 鈍感
敏感といえば、季節に関してはそうだけど、あとはだいたい鈍感になっていくばかりだとおもう。これまた小さい時は、子供っぽくみられるのが嫌で、一刻も早く大人になりたいとずっと願っていたけど、今は大人に一生なりたくないとずっと願っている
大人になったら責任が云々とかそんな社会的な話ではなく、いやもちろんそれもあるんだけど、それよりも、どんどん自分が研磨されていく恐怖の方がずっと大きい
昔はなぜかあんなに嫌だったのに、今ではそうでもないというものが多すぎる。たとえばシュークリームなんて、昔は食べたくもなかったのに、今では池袋駅でビアードパパのシュークリームを見るたびに、買ってしまおうかな、と悩んでいる自分がいてひどく落ち込む。なにかを嫌う、ということは、それに対して何か特別なセンサが自分の中で働いて、無意識に排斥しているんだとおもう。根拠はない
でも、そのセンサが歳をとるにつれ、経年劣化で鈍化していって、昔嫌いだったあれこれを克服しているんだとおもう。それはとても悲しいことだとおもう。自分でもなんでかよくわからないそのこだわりを大事にしたいのに、時間が経てば経つほど忘れていってしまう。いつまでもいろんな物事に対して敏感でいたいのに、こうして息を吸って吐いている毎秒ごとに、わたしはなんでもないただの平面になっていく
⒊ ローレゾ・パンとリンゴ
特別な経験や思い出なんていうのは、それを特別だと自分がおもい込むことによって特別なものとしてようやく扱われるんだと学んだ
高校二年生の夏に食べたサンドイッチが忘れられなくて、また食べたいとおもい、自分で作ろうと決心しスーパーへ向かった
そのときのサンドイッチというのは、よくある普通の食パンではなくて、ちょっとあかむらさきっぽい、ナッツかクルミかなんかのようなものがところどころに入っているローレゾな食パンに、ハムとチーズを挟んだ簡単なものだった
紙袋にはそのサンドイッチ2つと、小さいリンゴが入っていて、それらがとってもおいしかった。し、今でもこうして思い出す
でも、スーパーでそれと似たローレゾ食パンを探してみつけても、なぜか気分が乗らない。高田馬場の西友のなかにあるローレゾ食パンには、まったく魅力が感じられなかった。リンゴだってそうだ。売られているリンゴをみても、まったく丸かじりする気にはならない。普通に包丁で丁寧に切って頂きたいとおもう
結局、わたしの中で大切に扱われているそのサンドイッチとリンゴは、あの時、あの場所で、あのひとと食べたから特別になっているだけなんだと気づいた。サンドイッチとリンゴが特別なのではなくて、それらを含むその時の思い出全体がわたしの中で特別とされているから、今でもたまに恋しくなって、想いを馳せてしまうんだと気づいた
⒋ 腹が立つこと
三次関数を久しぶりに勉強して腹が立った。三次関数にではなく、こういうひとに対して
どういうひとかというと、
例えば夏目漱石とかYMOなんていうのは、とても有名なひとであり、有名な作品を数々残している。読書が好きなひとは、ほとんどのひとが一度は夏目漱石の作品を読んだことがあるだろうし、音楽を聴くのが好きなひとは、ほとんどのひとが一度はYMOの作品を聴いたことがあるとおもう
でも、だからといって、みんながみんな夏目漱石の作品を読んだり、YMOの作品を聴いたりしたことがあるわけじゃない。そんなのは当たり前。食わず嫌いのように、なぜか手に取ったことがないというひとも当然いるだろうし、自らは特に拒んでいるわけではないけど、たまたま機会がなくてそれらを読んだり聴いたりしたことがないというひとも当然いるとおもう
それはそれで別に構わないはずなのに、そういうひとたちのことを非難するひとっているでしょう、そういうひと
あと、夏目漱石やYMOを知っている、好きだという自分を過大に誇らしげに、知らないひとに対して押し付けるひとがいるでしょう、そういうひと
文化に限らず、何かに出会うことは奇跡に近いものだとわたしはおもっていて、それに出会えたことは偶然に偶然が重なったものなんだとおもう。だから出会えればラッキー、出会えなければまあしょうがないわねという感じ
三次関数だって、数学Ⅱを勉強しなければ出会わないし、別に勉強したひとがえらい、勉強しなかったひとがえらくない、とかそういうことでは決してない
もしかしてそうおもっていたの?みっともない、と言いたい
⒌ 家にいておもうこと
ステイホームを初めて2週間くらい経つ。4月はずっと労働に追われていたから
最近は朝8時に勝手に目が覚めて、とりあえずフルグラを食べながらテレビを見て、ひと段落したら作業をして、12時になったらお腹が空くので昼ごはんを食べる。その後3時間くらい昼寝して、また作業して、19時にもなるとお腹が空くので晩ごはんを食べる。寝る時間はだいたい日付が超えるちょっと前か、超えたとしても2時までには寝ている。今日はだいぶ夜更かししているけど
大学に行っていたときより、すごく規則正しい健康的な生活ができているとおもう。ちゃんと料理もするし掃除もするし、運動もちょこっとだけしている。ひとに会わないというだけでこんなに体力って使われないんだなあと実感した
もちろん、友達とご飯を食べたりお酒を飲んだりしたいし、旅行にだって行きたい。京都に行くつもりだったし韓国にも行くつもりだった。実家に帰省もしたかったし、両親が東京に来るのを楽しみにしていた
神様は、いつも、必ず、わたしたちに対して意味のある現象しか与えない。わたしたちが経験するすべての現象は、全部神様がそうなるようにと考えられたものなんだとおもう
だから、きっとこの今の状況も必ず意味がある。神様は無意味なことなんかしないから
おもえば、日本だけじゃなくて世界は最近おかしかった。最近というかいつからかわからないけど、とにかくおかしかった。すべてが終わる前に、一回反省するチャンスを神様は与えてくれたのかな
それとも、静かに終わらせる方法を神様は提案してくださったのかもしれない。もしそうだとしたら案外優しいとこあんじゃん、となった
こういう壮大なことをぐるぐるぐるぐる考えて突き詰めて生死の問題にたどり着いて、いつもめんどくさくなって寝る。最近は、毎日寝る前に、明日はどんな昼ごはんを食べようかなと考えながら寝る
みんなはどんな不毛なことを考えて寝るんだろう
興味ないけど
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